トラウマ必至の『AVP2』 - AVP2 エイリアンズVS. プレデターの感想

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トラウマ必至の『AVP2』

2.02.0
映像
2.0
脚本
2.0
キャスト
2.5
音楽
3.0
演出
2.5

目次

もう少し優しい残虐シーンをお願いします。

先に謝っておきたい。まず、筆者の個人的な話をさせていただく。

映画を始めとするエンターテイメントはこの世に数多くあり、様々なテーマ、個性、価値観、色んなものが取り上げられる。自他ともに認めるエンタメ好きであり、またありがたくもこのようなレビューを書く機会を頂いている以上、筆者の個人的な好き好みはあまり語るべきではないと思っている。

だが、この映画はどうしても、二度目を見ようとは思えない。このような気持ちになるのは『アナコンダ』の蛇に飲まれた死体(蛇の腹に苦しげな人の影が見えて得もいえぬ嫌悪感を覚えるのだ……)を観たとき以来だ。

それはエイリアンの犠牲になった(エイリアンの卵を植え付けられた)、保育器のなかの赤ん坊たちが映るシーンだ――といえば、多くの読者諸氏は「あぁ」と心当たりがあるだろう――。これを観た瞬間、筆者の頭はどうにもこらえがたい嫌悪感でいっぱいになり、以降エイリアンが大嫌いになってしまった。

もしかしたら同じ気持ちになった読者諸氏もいるだろうか。言葉の通じぬ獰猛な怪物の繁殖の道具になった生後間もない赤ん坊たちは、悲しいを通り越して不快にすら映った。もちろん、これが筆者だけの個人的好みであることは理解しており、「嫌なら観るな」と言われればそれまでだが……もうちょっとぼかすなり画面をずらすなり、ソフトな残虐シーン(?)を作ってほしいと思う次第である。あれはトラウマになるよ……。

ちなみに、筆者の記憶が正しければ地上波放送をしたときはこのシーンはカットしていたように思う。地上波でだけ『エイリアンズvsプレデター2』を観たという人は、DVD版を観るときは本当に注意していただきたい。

『AVP』からどう変化したか

さて、いきなり愚痴から本論をはじめてしまったが、以降はちゃんと考察をしていこうと思う。

前作『エイリアンvsプレデター(以降、AVP)』が人間・プレデターのタッグ対エイリアンという胸熱な構図だったのに対し、今回はエイリアンvsプレデターとそこに巻き込まれる人間という、“ホラーVS”シリーズにはありがちな構図になっている。ただし、サイヤ人よりも誇り高き戦闘民族である宇宙紳士・プレデターのターゲットは、やはり人間ではなくあくまでもエイリアンだ。この辺りは、VSものの有名どころ『フレディvsジェイソン』や『貞子vs伽耶子』とは大きく方向性が異なる。

こういったコンセプトのうえで、『エイリアンズvsプレデター2(以降、AVP2)』が『AVP』から大きく変わった点は、1に舞台が普通の街であること、2に多くの人間が登場することによりスプラッターホラーの面が濃くなっていること、3にプレデターが味方ではなくなったこと、4に核のラストということだろう。

以上に列挙した点をみると、非凡なるVS映画だった『AVP』と比べ、『AVP2』は“あまりにもよくあるVSもの”に成り下がっているとわかる。意外性と胸熱、原作への強いリスペクトで構成された『AVP』の良かった点は続編には一切継承されていないのだ。

こういった面から、筆者は『AVP2』をあまり評価していない。今回登場したプレデリアンの存在は、確かにプレデターにとっては脅威なのだろうが、人間サイドにとっては“恐ろしいクリーチャーが増えた”程度の印象しかなく、影が薄かった。前作がちゃんとした伏線を残して終わっただけに、この結末は残念でならない。

せめてまた「人間・プレデターの連合軍」vs「大繁殖したプレデター」の争いならプレデリアンも活かしようがあっただろうに……。

この戦いは果たして人間の勝利なのか

本考察を書くにあたって、『AVP2』への評価などを拾い上げてみると、意外な意見に出くわした。それは、エイリアンとプレデターの争いで勝ったのは結局人間である、という結論である。

確かに結果を見れば、核を使って街ごとエイリアンを滅ぼした人間の勝利といえるのかもしれない。だが、それは人間サイドの勝利だと筆者は思えないし、思いたくもない。

多くの人間が犠牲になり、街を滅ぼしたうえでクリーチャーを滅殺したとしても、それは本当に勝利といえるのか。そもそも勝利とは何か。VSの意味とは。

これは筆者の理想かもしれないが、「勝利」も「VS」も、個々と個々のイデオロギーと存在価値をかけた闘争に使われる言葉だ。惨たらしいが、エイリアンは種の繁殖という意義のもと動いているし、プレデターの戦いは常に種族の誇りを持っている。

だが、核による勝利はそれがない。あらゆるものに対して迅速に死と滅びという「終わり」をもたらし、後世にまで爪痕を残す、人間の生み出した利己的で勝手な最低最悪の道具だ。

これによる結末がもたらされたところで、これが人間側の「勝利」であるとは到底思えない。むしろ、『AVP2』は三者相打ちの救いようのない退廃的な結末を迎えたといえるだろう。

『AVP2』に続編があるとすれば、前作のような意義のある戦いを繰り広げ、観客の心を奮わせてほしいものだ。

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