愛を疑問視し、そして愛に還っていく映画
愛の希薄さ
映画全編で15分しか着衣シーンが無いこの映画。ただ男女がセックスをするという場面を映している。ここで、セックスとは愛の行為であるのかという疑問が生まれる。雄と雌の交尾、それは動物誰もが持っている子孫繁栄という本能。それに愛というものを求めるのは人間だけなのだ。愛というものの希薄さをこの映画はまざまざと見せつけている。ただセックスがした人間たちが集まる空間の異質さは、それが人間としての行為ではなく本能の、動物としての行為に準じ、それを求めているからこそなのだろう。行為自体は誰とでも、いつでも、できるもので、それに意味も価値も何も無い。それは人間として良いのか悪いのか、葛藤しながらも欲望に負けてその空間に集まる人間たちはどこか怯えているようでもあり開き直っているようでもある。愛など要らない、とふんぞりかえりながら、人間としての理性、その一線を越えてしまうことの恐怖も感じているのだろう。
人間の感情の機微
セックスという一般的には恥とされる行為を進んでしようと集まった人間たちの感情の動きがとてもしなやかで繊細に描かれている。初めは目を泳がせたり俯いたり、黙って「恥」という状況と感情に耐えていた人間たちが段々と本性を現していく様。その現し方もその人間の性質それぞれでとても興味深い。男も女も大胆になり、傲慢になり、遠慮がなくなり、そして人間の汚い感情をむき出しにしていく。動物的な本能は人間の理性を簡単に崩壊させて、他人をいとも容易く傷つける。そして、話し合いによってまた理性を取り戻していく。こんなにも様々な人間の感情の動きの機微を映す映画はなかなか無い。
愛に帰結する
愛とは何か、セックスとは何か、その先に愛はあるのかという事を問い詰め続けていくこの映画。セックスという至極動物的な本能をまざまざと見せつけ、そこに愛はあるのかとあざ笑うような描写をしていくこの映画は、しかし最後は愛に帰結するとわたしは感じている。初対面の女性に恋をした青年も、他人のセックスを商売にしながらも自身の子供が生まれた青年も、そして非日常のような快楽と本能に溺れながらもまた日常に戻っていく人間たちも、皆セックスの果てに愛を求めている。動物的な本能を求めながら、それでも本当に手に入れたいのは皆、愛なのである。それを求めるのは人間だけで、愛を得るために傷つき、笑い、泣き、生きている。人間とは愛である。そう感じさせてくれる映画である。
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