基本昔から人のやっていることは変わらない - 星新一時代小説集 天の巻の感想

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星新一時代小説集 天の巻

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基本昔から人のやっていることは変わらない

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文章力
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目次

ごみ収集の作業員と政治家

どこかの国で、ごみ収集の作業員がストライキして、困っているという話を聞き、一緒にいた友人と「ごみ収集の人は偉い!」「改善を訴えるのは当たり前だ!」と盛りあがったことがある。考えてみれば、誰もやりたがらない仕事をしてくれているわけだし、誰かがしてくれないと、地域がごみで溢れかえるのだから、これほどかけがえのない存在もない。なんて、当たり前のこととはいえ、改めてありがたく思えて、友人との話はさらにヒートアップし「政治家の人よりよほど偉い!」「政治家なんていなくなってもいいけど、ごみ収集の人は大切にしないと!」と暴言まで吐きだす始末だった。ただ、思い返すに、あながち暴言でもなかったように思う。汗水たらしてごみを収集しにまわる作業員と、議会は休むは出席しても眠るわの政治家と、どちらが尊く偉いのかなど、聞くまでもないことだ。
この小説を読むと、政治に携わる人間は、昔から変わっていないなと、思う。正確に昔のことを書けるわけではないとはいえ、なんだかよく分からない、いろいろな当時の制度からするに、無駄さにおいては、遜色がなさそうだ。分かりやすいのが、参勤交代だろう。これにはじまり、幕府が地方の藩に強いた制度は、どれも財力の蓄積と勢力の拡大をさせないため、謀反を起こさせないためのものだった。もし江戸に目をつけられたら最後、藩はおとりつぶしになり、他の人間がおさめることになる。そうなったら、藩の人間は刃向かう気を起こすどころでなく、おとりつぶしにならないよう、まあ、自分の保身に走って、幕府の顔色を窺ってびくびくするばかり。おかげで太平の世が保たれた一面もあるのだろうが、今につづく政治的体質もできあがったのかもしれない。


借金をなくすことに努力しない無駄な努力

江戸の監視の目を切りぬけるのが、いかに難しかったか、よく分かるのが「殿さまの日」だ。些細な言動で臣下の進退が決まり、死にも至らしめる、また江戸での、ちょっとしたふるまいが、藩に危機をもたらすことを、この殿さまはよく飲みこんでいて、おそらく他の藩の藩主より、察しがよく弁えもている。が、故に、自分を戒めるあまり、すこしも言いたいことやりたいことができずに、虚しさを抱えているのだが、彼も藩主になったはじめのころは、藩をよくしようと、志を高く持っていた。それがなくなっていったのは、藩が繁栄すると、却って幕府に疎ましがれ、金をださせられるか、おとりつぶりにされるという、現実の理不尽さを知っていったからだ。もっとも理不尽さを象徴するのが、借金の話だろう。あえて借金を作っているような、藩の実情を知って、温厚な藩主もさすがに怒る。でも家臣は不思議そうにしていて、ある程度借金があったほうが、幕府に目をつけられなくていいい、と応える。それに金を貸す商人にも悪い話ではない。無理して返してもらおうとして、おとりつぶしになって逃げられたらたまらないから、大目に見て、利息を長く払わせようとする。だから返せないことに、藩主として責任を感じなくてもいい、皆がそれで安泰なのだからと。
こう考えると、なるほどと、思う一方で、なにかが釈然としない。たぶん、そこそこ借金があるようにして藩を運営するこの人らに、どんな存在意義があるのか、分からないからだ。「江戸からきた男」では、城に出入りしている庭師が、隠密ではないかと探るために、まさに家臣たちは無駄なことをしている。しかも、誰かの生死がかかっているとか、藩が攻め入られるとか、深刻な問題ならまだしも、ひそかに貯蓄した金を嗅ぎつけられることを恐れてなのだ。しかもしかも、結局格下げされた家臣たちが、引っ越すのに使ったのだから「藩のため」と口では言いつつ、所詮自分のためだったのだろう。そんな彼らと、腕がいいからと殺したり他の藩に行かれるのを惜しまれた庭師と、どちらのほうが存在意義や価値があったのかは、結果からしても明白だ。

やりがいがないと、ろくなことをしない人間


かといって、そんな藩主や家臣は、根っから腐っているわけではないと思う。藩を繁栄させたところで、馬鹿を見るという虚しい現実の前では、そりゃあやる気もでないというもの。本来は、藩内の道や建物を整備し、産業や農業、文化などを発展させて、収益をあげたり、人口が増加したり、平民の喜ぶ顔が見られたら、嬉しい。そんなやりがいを奪われてしまうと、幕府にやたらもみ手したり、出世欲を燃やしてライバルを出しぬいたり、賄賂をもらって私腹を肥やしたりと、人はろくなことをしないのかもしれない。「殿さまの日」の藩主もまた、藩をよくしたいとの、当然の思いを叶えられず、虚しさを抱えているものの、武芸に打ちことで、紛らわしている。太平の世には不必要なこと、いざというときのために、鍛えておくというのは、名目にすぎなくても、形だけでも、意義があることをしたかったのでは、ないかと思う。そうでなければ、女の尻を追っかけたり、猿を飼うのに熱を上げたり、他の藩主のように、狂ってしまっていただろうから。
「江戸からきた男」の最後で、庭師は呟く。「みな交代してしまった。しかし、おれは武士でないから行かなくていい。ついてゆく義理もない。ここは住みよいところだし、いい気候で、のんきでいい」。庭師にしろ、ごみ収集の作業員にしろ、地位が高くなくても、給料が安くても、人に評価され誉められることがなくても、藩主や家臣より、ある意味幸せなのかもしれない。庭師なら庭がきれいになることで、作業員なら町からごみがなくなることで、目に見えて自分の成果を知ることができる。藩の人らには得られない、やりがいを簡単に感じられるのだ。かといって、藩の人らも、難しくても、やりがいを感じられた、というより、現実、藩を守る以外にやらなければならないことは、かなりあったように思う。世界は大航海時代、周辺の国々が植民地にされていって、日本にも黒船がやってきたのだから、保身や懐の金にしがみついている場合ではなかったろうに。今の政治家にも言えることだ。周辺の国に海を荒らされている今、絶好のやりがいのある仕事が目の前にあるに関わらず、税金を使って外国で豪遊しているというのだから、怒るよりも、いっそ哀れに思えるのだった。

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