誰の記憶にも残らないのは悲しすぎる
誰の記憶のなかにも残らない紅茶王子
紅茶王子の続編がでた!「紅茶王子の姫君」の表紙のアッサムに子どもがいると思いながら読みました。あれからの時間の経過を感じますが、アッサムの王子様ぶりは健在です。「女に王子様って言われるような男になれよ」アッサムが言いながら、園児の頭を撫でて去っていくシーンは、みんな王子さま・・・♥といって見惚れています。絵の中の幼稚園の先生方と一緒に、王子様と思ってしまいました。何度見てもかっこいい!洋服もよくアッサムに似合っています。「オヤジって40からだろ?あと10年あんじゃねーか」という主張をおまけページでアッサムが語っていますが、40歳になってもオヤジって50からだろ?と言っていそうです。かっこいいままのアッサムでいてほしいです。40歳のアッサムも見てみたい!商店街の寄り合いの飲み会に普通にアッサムが参加していて、帰ってきて酒臭い感じとかが普通の生活をしているのだなという感じがして、普通のお父さんになったのだなと思いました。アッサムの紅茶王子の時代を知っている者はもういないはずだったのに覚えていたルフナ。あと、泰子とアッサムの娘、杏梨がアッサムの王子時代を持っているはずのない記憶を持っていた。きっと杏梨は、生まれる前からパパとママに会いに来てくれていたのかなと思います。「ママと笑いたくて生まれてきたよ、池川明著、学陽書房」にもそういう事例が寄せられています。杏梨が泣くシーンとかはよく幼児が全身を使って泣きます。それをよく見て描いているなと感じます。泰子が記憶を取り戻すシーンは、こちらまで涙が流れてきました。前回の連載の「紅茶王子全25巻」でみんなの記憶からアッサムがいなくなる。それが王子を捨てる条件だった。恋した泰子までもがその記憶をもぎとられてしまうのです。過ごした記憶を忘れられてしまうってきついことです。アッサムは自分の記憶を失うよりも他の人の記憶から自分がいなくなる方を選択します。忘れられてしまう恐ろしさ、自分が自分でなくなってしまうかのような気さえしてきます。誰の記憶にも残らないというのは、今まで生きてきた記憶が自分のなかにしかないということです。たまにほかの人から聞いて、思い出す記憶というのも望めないということです。覚えていてくれたルフナ、彼が持っていた記憶、それによってアッサムも彼が誰であったかを思い出します。紅茶王子の姫君でラストに5歳だった杏梨が17歳ぐらいになっています。5歳杏梨→30歳アッサムということは、17歳杏梨→42歳アッサムということです。アメジストの指輪をチェーンにぶら下げている杏梨。アメジストの指輪は、泰子の指にはめられていたものだったけど、杏梨がもらったのだなということがわかります。確か泰子がアッサムに出会ったのもその頃だったなと懐かしく、時間の経過を感じてしまいました。
羨ましい感情を物語に
キャベツ畑のキラキラ星でイザイと言われても何のことかわからないけど、イザイ ヴァイオリンで検索すると、すぐにヒットしてどんな曲か聴くことができる。それが今の時代いいところだなと感じます。のだめカンタビーレも多くのクラッシック曲が出てきます。この漫画にもユモレスクとかクラシック曲がたくさん出てきます。それを聴きながら、この漫画を読むとまた格別かなと感じます。冬は、ヴァイオリンを弾くのに適している。長い腕と指、高い背に広い肩。でも、いつも猫背になりながら弾いている。もっと胸をはれと貴美は言っています。彼は思春期に伸びなかった背、長い腕も指も手に入らなかった。でも、天性の音を持っている。お互いにお互いの欲しいものを持っている。でも、貴美は持って生まれたものを嘆くのではなく、この体と音でしかやれないことをやるという心意気の持ち主です。みんな思春期には、もっと指が長かったら、もっとピアノが楽に弾けたかも。もっと背が高かったら、洋服が似合うのにとか思い悩みます。それを貴美くんは全部このオレでしかやれないことをやると言っています。貴美くんは、他の男の子よりも女の子よりも小さい背恰好なのかなと感じました。彼は歌手です。カラダ全部を使って歌、ヴァイオリンを楽しませてくれる様子がわかります。人はそれぞれ持って生まれたものが違います。人を羨んだりすることもたくさんあるだけど、今持っているものも大事でしょ?ということを教えてくれます。冬の友人、梨花子が貴美のライブが終わって座り込むシーンで、貴美は歌を冬はヴァイオリンを私は何も持っていないと泣いています。すごくわかります。みんな何かに必死になっているのに私は何も持っていないのではないかと不安になるのです。冬が梨花子にはあなただけのいいところがある。気づいていないだけだよって言っています。誰もが持っている羨ましいという感情を物語で読ませてくれます。それぞれに持っているものが違うので、この人に対してコンプレックスを持っているけど、それは私だけが持っている感情ではなく、お互いに持っているものかもしれないと主人公は気づきます。何となく自分の音がうまくいかなくて、イライラしていたときに貴美と出会います。乃木を貴美と勘違いしたのは、いとこだからどこか似たところがあったのかなと感じます。乃木はピアノを、貴美はヴァイオリンをやっているということは、お互いの親がやっていて、その関連かなと思います。音楽一家なのかもしれないですね。音楽という場があったから、小さい頃に出会っただけの人だったのに繋がっていられた。モンシロ蝶というのは、貴美かもしれないと思いながらも冬は確かめずにいます。小さい頃の思い出はそのままにして、彼を目指すのではなく、自分らしさを目指すと冬は宣言しています。ステキな物語だったなぁと自分のなかに持っている苛立ちも全部この物語が消化してくれる気がします。
いろいろな人の可能性に繋がる
「セロ弾きの紅茶王子」は、宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュの物語があっての物語です。作者が4つの短編を描くにあたって、資料・参考文献をラストに載せてくれています。ここまで細やかに参考文献を載せてくれる漫画って珍しいのではないかなと思います。この漫画を読むと、本当に紅茶が飲みたくなります。あとあのおまじないをやってみたくなります。満月の夜にお月さまをカップに映してみたくなります。紅茶王子が出てくるのではないかとドキドキして、違うよね。そんなこと起こらないよね。まさかね。と言いながら何人の人がやってみたのか。ひとりでこっそり派、みんなでわいわい派いろいろあると思いますが、それがきっかけで紅茶に興味を持つ人が増えたかもと思うのです。お菓子を食べながら、紅茶を飲むとリラックス効果も得られるかもしれないし、そのお茶を用意する過程が好きという人もいるかもしれない。作者が読んだ本だったら、いろいろ手にとってみたい。いろいろな人に影響とパワーを与えてくれると思います。
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