与太郎がかわいすぎる物語
一途に慕う弟子の思いが師匠の運命をも動かす
雑誌ではすでに連載が完結していますが、物語の全てを見た上で、あらためて一巻目から読み返すと、八代目有楽亭八雲と、与太郎こと三代目助六の出会いが、彼らを取り囲む全ての人々にとって、いかに大きな意味を持っていたのかが、分かってくる気がします。
もしも与太郎が刑務所を出てすぐに八雲のもとに押しかけなかったら、八雲はもっと早い時期に、落語界の未来を道連れにして、亡くなってしまっていたのかもしれません。
また、若くして死んだ助六の娘である小夏は、育ての親である八雲に対する愛憎入り交じった思いを持てあまし、自分の居場所を見つけられないまま、薄暗い人生を歩むことになっていたかもしれません。
さらには、三途の川の手前で、ニートともフリーターともつかない暮らし(?)をしている、二代目助六と、その妻のみよ吉も、未来永劫、救われないままだったかもしれません。
与太郎は、不幸な形で絡み合い、ねじまがってしまった人々の運命を、すっかり解きほぐして、あるべきところに納めるために刑務所から現れた、救世主でありました。
それなのに与太郎の扱いはちょっと不当にぞんざいな気がしなくもない
与太郎は、決して幸せな生い立ちの人ではないはずですが、心の傷や暗さ見せることがありません。傷がないわけではないのでしょうが、そこに拘泥して立ち止まったり沈んだりということが、なさそうに見えます。やくざの世界に引きずり込まれて、そこでいいように利用されて使い捨てられているにもかかわらず、どこまでも人をまっすぐに慕い、信じる心を持っていられるのは、よほど強い心があるからなのか、それとも驚くほどのバカなのか…その両方であるのかもしれません。
いずれにせよ、とてつもなく希有な人ですし、後年の出世の様子からみて、落語家としても天才レベルではないかと想像するのですが、このお話の中心人物は師匠の八雲であり、彼を取り巻く複雑な人間関係が本筋なので、与太郎の成長譚は、なんとなくサイドストーリー的な印象になっています。
コミックの一巻では、お客さんになかなか笑ってもらえず、伸び悩んでいる与太郎のところに、ヤクザ時代の兄貴がやってきて、裏社会に連れ戻そうとするお話があります。与太郎には、ヤクザに戻るという選択肢など存在しませんでしたが、八雲のはからいで、自分の全てを込めた落語を兄貴に聞いてもらい、笑ってもらうことに成功したことから、自分らしい落語をつかみ取って脱皮することができます。与太郎の人生にとって、大きな節目となる、その出来事でも、メインに据えられているのは師匠の八雲の存在感であり、やがて明らかになっていく、彼の心の深い闇と、亡者たちの住む過去への思いでした。
それでもやっぱり最愛の弟子の存在は大きい
一巻の終わりに、八雲が、与太郎のなかに亡き助六の面影を見ていることを語っている場面があります。
「技術もねェし、顔カタチも全然違う。一度っきりの気のせいかもしれない。けど、アタシもなんであんなの拾っちまったのかと思ってたけど、同しような野郎に引っかかるよう神様に作られちまった」
八雲は過去に囚われて苦しみつづけ、生涯、そこから抜け出ることはありませんでしたが、過去の面影と重なるものを持ちながらも、まるで違うエネルギーをもった与太郎を育てると決めたことで、前に進んでいくことができるようになったのだと思います。
与太郎への八雲の思い、愛情は、作中でストレートに語られることはほとんどありませんが、終始一貫して、最愛の弟子として大切にしていたことは間違い有りません。だからこそ、与太郎はお話の中で、すべての人から、どこまでも「かわいい」「愛される」「幸せな」存在でありつづけ、それだけに、どこか単純で深みに乏しくて、脇役脇役としたあり方に置かれざるをえなかったのかもしれない、とも思います。
できれば、九代目八雲となった与太郎を、名実ともに主役に据えた物語も読みたいところですが、叶うことがあるかどうか…やっぱり、難しいような気もします。
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