落語と共に死にたい男と落語と共に生きたい男たち。
落語と聞くと、まず何を思い浮かべるだろうか。堅っくるしそう、古くさい、そもそも落語って何?と若者を中心にそう思っている人も少なくないのではないだろうか。実は私自身そう思っていた。この漫画を読むまでは。しかしいざこの世界に触れてみると堅っくるしさとは無縁で、人情溢れる暖かい世界が広がっていた。少しくらいの失敗なら笑い飛ばしてくれる、女には少し理解しがたい馬鹿馬鹿しさを楽しむ男の世界だった。そんな世界を舞台にした漫画なのだが私には一つ理解できない人がいる。それは第二の主人公とも言える八代目八雲である。作中では彼は自分の死とともに落語を道連れにしたいという姿勢を崩さない。だから与太郎以外の弟子は取らなかったし、自分の芸を後世に残すことを頑なに嫌がる。しかし彼は落語が嫌いなのかというとそうではない。若かりし頃には落語を楽しんでいるように見える描写もあるし、晩年の現在では身体の自由が効かなくなり満足のいく落語ができなくなることを恐れている。彼も与太郎たちと同じように落語を愛している人物だ。それなのになぜ彼は落語という世界の死神であるのか?きっかけは間違いなく二代目助六の死だ。理由や経緯はどうであれ彼は助六の死に責任を感じている。自分がみよ吉の故郷にいき彼を探し出さなければ、落語界に戻そうとしなければ…その後悔が彼の落語を楽しんではいけない、落語界の落ち目に、落語を綺麗なまま葬ってしまおうと、ある種の自暴自棄に追い込んでいるのかもしれない。しかしそんな彼の前にどこか二代目助六を彷彿させる与太郎が現れた。そしてあえて三代目助六を襲名し、「助六」の名にはびこる悲しみを塗り替えようとしている。そんな与太郎の姿に八雲も救われてくれることを読者として祈らずにはいられない。二人の師弟愛が気になるところだが、作中、与太郎が前座から章が変わると真打ちに変わっていたりするので、その過程も見たかったなと思う所がある。何はともあれ、これからが楽しみな漫画の一つだ。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)