他人事という現実感と、純愛という違和感
ベトナム戦争に興味あり
世代的に、ベトナム戦争という言葉は大人たちの忘れられない遺物として繰り返し耳に拾われていた。人間の闇が発揮される戦争というやつで、常に何かがこじれる戦争というやつで、一体何が起こったのか、ということに関して、関心をもつ人も多いと思う。ディエンビエンフーに描かれるベトナム戦争とは、年表のベトナム戦争である。作者がほしいのは暗黒と極限と混沌の舞台であり、おどろおどろしいものとしてたまたまあったベトナム戦争を選んだだけじゃないのか、という疑問が残る。
面白すぎて破綻している
何故舞台としての選択が不純に感じられるのか。それはキャラが面白すぎて、戦いが面白すぎて、恋愛まで出てくるからである。グェン朝の落としだねのキリングマシーンと恋に落ちて最後は地雷踏んで終わる(詳細は不明)、傍観者で自慰好きの日系カメラマン。大人の仮面を被った子供、みたいな弱さの露呈の仕方が幼児退行なキャラたち。ヘリコプターからパラシュートもなく巨体が落ちてきて人間踏み潰したら面白いでしょ?という本能のままに描かれる戦闘シーン。
残酷だけど深刻じゃない
戦闘シーンは人がばらばらになるなど、とにかく残酷で血も多い。だけど絵柄があっけらかんとしていて、けして鬱ではないし、また、感情移入を誘わない態度で描かれている。このあっけらかんは『寄生獣』でも見たあっけらかんで、今やフィクションの一つのテクニックになっていると思う。
戦争の闇にまで踏み込んで、なお他人事
重大な出来事に遭遇してもクールな顔色の変わらないハードボイルド、些細な出来事に繊細に反応して動揺するセンチメンタル、そういう二極がフィクションの描き方として存在する。この作品では、どぎつい出来事は、起こっている最中こそヒカルたちはあたふたして反応するけれども、出来事以後の「記憶」としての存在感が薄くて、重要なキャラが次々死んでいくけれども、次行け次、とばかりに視線は常に前を向いている。これはある意味兵士の感覚に近いかもしれない。隣で砲弾により人がこそげても、他人事。ましてや、ヒカルがカメラを通して、インソムニアがスコープを通して見る戦場は、おかし食べながら見てても違和感ないくらいに、他人事じみている。その他人事の壁が崩れる時、この作品は動き出す。
純粋さという異物
この漫画に描かれる恋は、妄執ではなく、純愛である。ヒカルにとって周りの不幸は大抵が他人事で、関心はプランセスの女の子への下卑た愛、という下世話で高尚な純愛だけである。終戦後に仲良く地雷を踏むという未来の示されたこの期限付きな愛は、誰がどう見ても戦場にふさわしくなくて、そもそも戦争においては男は戦い、女はもてなし、犯されるものだった。この薄汚い現実に一本心棒を通すという確信でもって、このンククと笑う美女は参戦し人を切り刻んでいる。
まとめ
この作品は人を縛らない。感情で縛らないし、理屈で縛らないし、歴史の知識で縛らない。紙面で起こっているのは残酷な他人事と違和感のある純愛だけで、意外と要素の少ないすっきりした作品と言える。期待すべきは真新しいアイディアであり、新キャラ、シチュエーションであり、安定や日常ではない。この破綻した有り様でベトナム戦争に重ねてみせたこの作品は、結末まで読まずに死ねない。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)