大人なアニメ…そんな印象の作品ですね - サムライガンの感想

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サムライガン

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映像
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ストーリー
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キャラクター
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声優
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音楽
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大人なアニメ…そんな印象の作品ですね

5.05.0
映像
5.0
ストーリー
4.0
キャラクター
5.0
声優
5.0
音楽
5.0

目次

モンキーパンチの「サムライガン」

同名のアニメ作品が存在することが意外に思いました。普通は後発の作品がタイトル名を変えるものではないでしょうか。原作マンガからアニメ化された際に、タイトルが変わることがあるのも、同名の既存アニメに配慮することがあるというのを聞いたことがあります。また両作品においては、同じタイトル作品だけあって時代背景は似ていますね。どちらも江戸時代をモデルにしていることが伺えます。しかし、モンキーパンチの「サムライガン」は宮本武蔵が主人公モデルであることから、江戸時代初期なのだろうと推測されます。この熊谷カズヒロ氏の原作である「サムライガン」においては、坂本竜馬が登場することから、江戸時代であることは同じでも幕末がモデルになっているように思います。

またサムライが銃を武器に戦っていく根本的な設定は類似しているように思います。しかし、モンキーパンチの「サムライガン」はやはりルパン三世そのものといった感が拭えません。そして妖怪のような存在が登場します。それと比較して、熊谷カズヒロ氏の「サムライガン」は、幕末の勢力そのものを反映した内容になっており、幕末の歴史をひと通り知っていることで面白さの深みが増す作り込みになっているように思います。

また、主人公が幼いころに激しい戦闘訓練を受け、人間離れした強さを持っているという設定は、シティーハンターを彷彿とさせるものがありました。主人公の市松は、お花に惹かれているのに、その気持ちを表に出すことがない部分もシティーハンターの主人公リョウと相棒カオリの関係に似ている気がします。

初期型サムライガンという呼称が、人間扱いされていない感じがして切ない気持ちになりました。これは原作者が意図的にこのように描いているのでしょうね。そして救われることのない主人公、想像できないハッピーエンドという部分が大人のアニメ作品と感じさせる部分です。子ども向けのアニメ作品であれば、王道の展開・結末を外すことなく、ハッピーエンドで締め括ると思います。

 

ラップ調なオープニング曲がバッチリ!

オープニング曲がこのアニメ作品のイメージにハマッていると思います。独特に刻むリズムと暗い感じが作品のイメージと合致しており、サムライをモチーフにしていることから、歌詞にも富士山など日本を代表するものが取り入られています。

不思議と頭の中にいつまでも残る歌に仕上がっており、洗脳されてしまいそうです。メジャーなアーティストが作詞・作曲したわけではなさそうですが、これは良い曲だと思います。特に、この「サムライガン」というアニメ作品のオープニング曲として、最高ランクの出来栄えではないでしょうか。逆説的に、このオープニング曲が単品として存在しても、光が当たることもなければ、浮いた音楽になったように思うのです。

きっと、「サムライガン」というアニメ作品が前提となって、作曲された歌なのだと思います。

 

切ない終わり

二号丸、強太の扱われ方は、「るろうに剣心」に登場する志々雄真の気がして可哀想でしたね。

そして、サムライガンに所属するメンバーは、機密を扱っていることは同じなので、役目を終えたときには二号丸、強太と同じ結末を迎えることを示唆していると思うのです。二号丸、強太が壊れた、正気を失ってしまったという大義名分で命を狙われてしまいます。しかし、結果的に、強太は壊れていなかったと思うのです。しかし、組織にとって邪魔な存在になってしまったことで始末されてしまいました。また、主人公の市松も、それに気付いていながら、強太を救うことができなかったです。市松自身も自分の未来、死に方を悟った瞬間だったように思います。悟った、というのは少し違うでしょうか、市松自身も分かっていることだったことなのでしょう。しかし、分かっていたことでしょうけど、現実を突き付けられたように思うのです。

結果的に、両想いだったお花とはお別れすることにしたよう、推測させる結末ではなかったでしょうか。この部分は、冒頭でシティーハンターと比較しましたが、違う選択肢を選びましたね。最終的にはリョウとカオリは結婚しますが、サムライガンにおいては違った結末に着地しました。子ども向けのアニメ、大人向けのアニメの違いでしょうか。ハッピーエンドを迎える子ども向け、ハッピーエンドにこだわらない大人向け作品の決定的な違いのように思います。

また、主人公、市松は最後に、俺の現(うつつ)はまだ続いている、終わらない、といったような発言をします。自分の意志をもって行動することは強太と同じ結末になることの表れであり、流されるがまま生きるというのは、終わらない地獄・苦痛を示唆しているように受け取れました。

お花ちゃん、観ていて可愛かっただけに幸せになって欲しかったですが、市松と結ばれなくても女として幸せを掴むことはできると思うのです。彼女次第の部分も大きいですが、売られた身から解放され、自由を得ることができました。少なくともそういう部分では、市松に救われた、という事実は大きいのではないでしょうか。

私自身の中では、そのように思って物語が完結しましたが、皆さんはどう思いましたでしょうか。

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