はっきり言って良いのは表紙装丁だけ - かなたの子の感想

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かなたの子

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はっきり言って良いのは表紙装丁だけ

1.51.5
文章力
1.5
ストーリー
1.0
キャラクター
1.0
設定
1.0
演出
1.0

目次

「八日目の蝉」で角田光代を知って2冊目で読むとたぶんがっかり

角田光代とは「八日目の蝉」をドラマで見て良い作品だな、という出会いだった。その後原作を読み、文章も上手そうだしいくつか読んでみるか、と思って手に取ったのがこの作品だった。で、正直はっきりとがっかりした。

そもそも短編集とも知らず読みだしたのがまずかった。

「おみちゆき」が導入で、「同窓会」は話が続いている前提で読んでいたのだ。そうと考えれば全く無理が無いと思う。「おみちゆき」の後半で登場する征夫の息子がてっきり「同窓会」の亮一かと思ってしまったのだ。そう考えて再読してほしい。たぶん誰もが納得するだろう。征夫の息子=亮一が祭りでの幼児体験で闇に恐怖を感じるようになった。そしてそのまま成長し、一見幸せに暮らしているが、「おみちゆき」の怪事を発端とする恐怖に巻き込まれていく、という勝手な恐怖。その上始末が悪い事に「かなたの子」として読んでいる。「かなたの子」って何だろう、いつ出てくるんだろう?

まずいことに「同窓会」を読み終わった時点でもまだ気づかず、「闇の梯子」の途中でさすがに『あれ?』と感じる。なんだ、これ短編集じゃないか!ここでかなりぐったり来てしまった。一応作家志望の自分としては「おみちゆき」「同窓会」「闇の梯子」間の年数や語られていない設定を、脳内でかなりぐるぐると考えていたのだ。

そう思って最初の2編をさりげなく読み直すと、何とも味気ない。「同窓会」なんてただの苦い思い出じゃないか。人が死んでるので登場人物たちが暗くなるのはわかるが、ミステリー性もホラー性もさほど高くない。亮一が自動改札に引っかかるシーンなんて何も暗示していない。尺が長編ならこの話もありえるが、短編でこのシーン必要あるか?と感じる。しかもその場にただ一人いない真というキャラクターになにかしら鍵とか、後日譚でもあるのかと思ったが、何もない。うーん、どうしたもんか、という感じだ。

残念ながらここで落ちた評価は最後まで向上することなく、全体に物足りないな、という感想で終わってしまった。

そもそも「表紙買い」の人多いだろうな

ハードカバーの諏訪敦の絵が官能的で美しすぎる。正直なところこれで買ってしまった人がかなりいるだろう。表題作「かなたの子」の如月のイメージなのだろうか?本編を読んで再度表紙を見るとちょっと育ちすぎではなかろうかと思ったが、表紙の装画:諏訪敦の記述の後に「諏訪敦絵画作品集 どうせ何も見えない」という表記があるので、本作のために諏訪敦が書き下ろしたわけではなく、装丁の大久保明子が画集の中から拾ってきたのか。大久保明子と言えば、村上春樹や又吉直樹をはじめ数多くの本の装丁をしており、かなり売れっ子の装丁家だ。自分もデビューの際は(そんな日が来るのか?)彼女に頼みたいと思うほどだ。あらゆる本の売上は表紙の装丁に左右されるだろう。当然ストレートに内容と関連したものもあれば、微細な関連を想像させるもの、全く表現されていないが全体のイメージを助長したもの、などいろいろあるだろう。ある意味「本」というのは作家と装丁家の競作であり、またある意味では一対一の真剣勝負でもあるかもしれない。そのような考え方で行くと、本作は明らかに装丁家の圧勝だ。判定ではなく3ラウンドKO勝ちくらい。(ちなみに作者角田光代はボクシングジムにも通っているらしい)あっぱれ、大久保明子、である。

「どうにもだめだな」と思った決定打:「道理」

この時点で短編なのはわかっているので、ニュートラルに読んだつもりだが、4編目の「道理」はこの作品がどうにも自分には合わないと思う決定打だった。

「道理」は「不思議」を扱っているが、そのような短編はいくつかの種類に分けられると思う。

まず「不思議」そのものが面白い、あるいは気味が悪い、怖いなどアイデア先行のものだ。この場合当然オチの切れ味が大事だが本作にはそれは感じられない。不気味ではあるが、目を見張る展開もないしオチもこれといった衝撃もない。

次に「不思議」が何かの比喩の場合だが、本作では何だろう?新興宗教だろうか?このパターンとするとそれを肯定するなり否定するなり、何かしら結論づけるべきかと思うが、クライマックスで主人公が考えるのは、自分の言ったことを野宮朔美が律儀に常識以上に実行しているのではないか、という事だ。しかも結局主人公は謎の儀式的なモノを続け、「道理」から外れたくない、と望んで終わる。何か分からないものに飲みこまれるのはお話としてアリとしても、その場合朔美の行動を考える必要があるだろうか?それなら突然「道理」を唱えだした静江の行動も振り返るべきだと思うがそれもない。どうにもちぐはぐなままだ。

3つめは昔話的な何かの教訓の場合だ。この場合、「口は禍の元」が恐怖を生み出している、という教訓を説いているのか?だとすればあまりにも陳腐でナンセンスだ。アニメの日本昔話だってそんなちゃちな作りはしない。

最後の可能性としては話の内容には特に意味はなく、文章そのものや表現が美しい、という場合だ。古くは志賀直哉が得意な手法であり、村上春樹もこのような短編を書いている。

しかし、本作ではそもそも情景描写は少なく、会話と展開説明文がほとんどだ。唯一と言ってもいい描写説明は後半の謎のバザーに入っていくところくらいだが、これも特に美しいとも上手いとも思えない文章の羅列だ。

 

と、いう訳で残念ながら本作で私が評価するのは表紙の装丁くらいである。残念だが次の機会が無ければもう角田光代は読まないかもしれない

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