暗夜行路の私なりの解釈 - 志賀直哉『暗夜行路』作品論集の感想

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志賀直哉『暗夜行路』作品論集

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暗夜行路の私なりの解釈

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目次

志賀直哉にとって、長編は本作のみであること、前編から11年立っていること、などから長編と言うスタイルは結果であって、ストーリーを中心に何かを読み解く、というよりは、それぞれのシーンに分けて文体や描写の美しさを読む方が楽しみやすいかもしれない。

とは言え、それでは長編として失敗作なのか、というとそうではない。後篇の中盤以降から長編らしい展開が紡ぎだされる。

辛く苦しい前編

本編のあとがきに作者自身が書いているが、本作を書くにあたり、夏目漱石から作品を要望されたもののなかなか書けず、申し訳ない気持ちで4年を過ごしたことなどがかかれている。また実際の父との不和を題材にしていたのも作品が進まなかった原因らしい。確かに暗夜行路前編はこの作者の焦りやいらいらが文体に現れており、ある意味気持ちのままに思う事を描写する、という志賀直哉らしい文章なのかもしれない。とは言え、前編については辛い気持ち、いらいら、失恋、などの描写ばかりで、お話としての面白さは少ない。

これは現実世界で父と和解したのが1917年、全編の発表が1921年と比較的時間の経過が浅く、リアルと創作をうまく分けることが難しかったのではないか、と考えられる。

そうしているうちに11年の歳月が流れ、ようやく後篇が発表され完結に至る。

後篇に至る道のり

実に父との若いから15年の歳月が流れており、作品上の謙作も、ほとんど父との確執や出生の不幸などからは解放されており、むしろ自己と向き合うシーンが増えていく。

それも最終シーンなどになると、謙作は病に臥せってはいるものの、描写自体はさわやかさを帯び、「いい気持ち」「不思議な陶酔感」などの表現が増えていく。これは10数年にわたって書き苦しんだ作者自身が作品をようやく終えられる、という開放感を味わっており、それが文体に出ているのだろう。

志賀直哉という作家は「焚火」などに見られるように、元来奇抜なストーリーテラーとして展開の巧みさや、あっと驚く仕掛けで面白い小説を書く、というタイプではない。その時感じた気持ちや見た景色をどのように文章にするか、という能力に長けた作家なのだ。

喜びも悲しみを描かれ時任謙作が人間らしくなった後篇

後篇の組立で行くと、結婚に至る経緯や新婚生活などはこれまでになく、嬉しい気持ちや楽しさを描写するシーンが多い。

結婚が決まり、兄信行に会いに京都から鎌倉に行く時も本郷の実家については「寄る気は無いね」という一言で片づけられている。もはや父との不和や確執を書く必要もない、という様子だ。一方、妹たちから祝福されるシーンは淡々と描かれている。妙子が結婚の報を聞いて泣きそうになったことや、その手紙を読んで涙ぐむ謙作など、前編にはなかった家族とのふれあいが描写されており、暗いだけの人生はもはや終わったのだ、と印象付けてくれる。

また、結婚して直子と家を探すシーンなどでも、彼は生来の短気さを見せたりもするが直子がいることで、ちょっとしたイラつきはあっても笑っておさめられる、というレベルのものに変貌している。2人で蠣を食べに行くシーンなどは、以前尾道での嫌な記憶がよみがえるものの、「今の彼はあまりにも幸福だった」という表現で浄化される。

謙作を人間らしくすることで苦手を克服した志賀直哉

前述したように、志賀直哉という作家は長編には不向きであった。しかしそれは暗夜行路前編発表までの事だ。後篇の中盤以降、彼にとって初めてと言ってもよい伏線の消化と一つの書くべき結末へ一直線に向かう

新婚生活で「蝮のお政」に関連して「懺悔」について語るシーンはこの時は何気ない会話で、しかもその話のおさめ方が直子のかわいらしさを強調しており、何気ないシーンに見えるが、直子の不義の後彼女が思い苦しむまでの大事な伏線となる。

また、前編の主要人物であったお栄の天津行きは直子の不義への伏線である。それが起こるために謙作が一時的に家を空けなければならなかったのだ。そしてそれは謙作の責任に寄らないものでなければならない。つまり前編であった、小説が書けないとか、精神的に参っているので謙作が望んで旅に出るわけにはいかないのだ。

初めての子を失うシーンなども謙作が父親として、一人の人間として成長するために必要な話として挿入されている。生まれてすぐには「自身の肉親の子であると云う事は、どうも、しっくりこなかった」彼だが、その子の病に当たっては治癒のため奔走しつつ直子のの身もおもんばかる姿を見せる。この時点で彼は親となり夫となったと言える。

ここに至って志賀直哉は「不得意な長編」を完全に克服している。

これ以降描かれる直子の不義、それを許したいのに消化できない自分と戦うというクライマックスを生かすための伏線を150ページにわたって続けてきたのだ。

直子を恨む気持ちは無いのにイライラを消せない、という自己を解消するため、旅に出る謙作。前編でも物事がうまくいかず東京を離れるシーンはあるが、この時は単に自分にしか意識が無い謙作だが、後篇での旅は違う。直子を心から許せる自分になりたい、もう一度二人でやり直したい、という気持ちがある。

この後謙作は死んだのだろうか?それはどちらでも良い事だ。彼が自分しか愛せない人間から脱却し、直子は「この人を離れず、何処までもこの人について行くのだ」と描写することで、「暗夜」は開けている

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