物語構成、キャラクター、音楽の見事な融合 - さよならドビュッシーの感想

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さよならドビュッシー

3.003.00
文章力
2.50
ストーリー
3.33
キャラクター
3.33
設定
3.33
演出
3.67
感想数
3
読んだ人
3

物語構成、キャラクター、音楽の見事な融合

3.53.5
文章力
2.5
ストーリー
3.0
キャラクター
3.5
設定
3.5
演出
3.5

目次

ミステリーの常套手段

信用できない語り手(英語: Unreliable narrator)とは、誰かの独白や手記など一人称で語られる物語の手法を指します。代表的なところではアガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』。日本の作家であれば湊かなえの『母性』、降田天の『女王はかえらない』など、ミステリーファンであればいくつか思い当たるものがあるのではないでしょうか。本作『さよならドビュッシー』もこの手法に則って書かれたもので、最終的に語り手が入れ替わっていたというのが衝撃のラストに繋がってゆきます。

では、信用できない語り手にはいくつか典型例がありますので、その内容から詳しく見ていきたいと思います。

1.子供の語り手

前述の『女王はかえらない』がこれにあたりますが、子供であるがゆえに経験や判断が正常にできておらず、結果的に読者を騙してしまうというパターンです。子供ならではの思い込み、子供だけの常識により、時として大人には理解できないような語りをしてしまうのです。道尾秀介の『向日葵の咲かない夏』はこの最たるもので、語り手である「ぼく」のフィルターを通してみる世界と、ラストで明らかになる現実世界との相違には大変驚かされたものです。映像化は出来ないかわりに、小説ならではの叙述トリックを味わえるのが魅力です。

2.複数の信用できない語り手

佐藤青南の『ある少女にまつわる殺人の告白』などに見られる、複数人にインタビューなどをしてゆく手法です。人間の記憶というものは曖昧でありますので、同じ事件について語っていても見方が違えば証言が食い違うこともあります。それゆえ、読者はミスリードに導かれやすくなります。一人ひとりが自分の私利私欲のために証言をあえてしないこともあれば、個人的な偏見や差別により事実を捻じ曲げてしまうこともある・・・誰を信用すれば良いのかわからなくなりますが、それだけ読者に与えられるヒントも多いのが特徴です。

3.読者を騙す語り手

本作はこのタイプに分類されるでしょう。ピアニストを目指す遥は、従妹のルシアと祖父と火事に遭うも一人だけ生還します。ですが、全身大やけどによりほとんどの皮膚を移植し、喉も焼けたことでまともな声を発することができなくなります。それでもピアニストになるべく、血を吐くような練習・リハビリを重ねてコンクールに出場することとなりました・・・。だいたいのあらすじはこのようなものですが、結果としてルシアは、家事で遥と入れ替わっていたのです。

それはもちろんルシアの意図ではなく、たまたまその晩2人がパジャマを交換していたことで母親が誤認してしまっただけです。しかし、顔は形成外科の腕により以前と変わらないまでに復元され、喉の火傷により声も老婆のようになってしまったということであれば、その入れ替わりに気付くのは大変難しいです。入れ替わりを知らない読者としては、なぜこの子が狙われるのか、なぜ母親が殺されるのかと常にドキドキさせられます。それが、この作品の最大の魅力です。更に、このタイプの良いところとしては、映像化に耐えうるということが挙げられます。本作も映画化も果たしていますが、映像でもトリックをそのまま活かすことができるのです。

ピアニスト探偵、岬洋介

上記のように、ミステリーとして完成された常套テクニックを使用しているということだけが本作の魅力ではありません。本作は第8回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作ですが、審査員の茶木則雄は「探偵役の人物造形も実に魅力的」であると称賛しています。この探偵役、父親は検察のエリートで、自身も司法試験にトップで合格するという実力の持ち主。そんな血筋も才能も兼ね備えているにもかかわらず、彼はなんと親の反対を押し切ってピアニストになったのです。

先日、中山七里先生と島田荘司先生のトークショウに行った時の事。まだ普通の会社員で大阪に単身赴任中だった中山先生は、島田先生のサイン会に行った帰りにワープロを購入し、そのまますぐ執筆。たまたま文字数や応募期日があった「このミス」に応募したのが小説家になった始まりだった・・・と話していました。島田先生といえば、言わずと知れた名探偵・御手洗潔の生みの親。中山先生自身も御手洗潔のファンであることを明かしています。御手洗潔以前の日本ミステリーというのは、靴をすり減らしてくたびれたスーツを着た刑事が探偵役であるのが当然であり、「頭が良い探偵」「知識がある探偵」というのはとても考えられないものでした。しかし、御手洗潔のように権威に歯向かうクレバーな探偵像は、読者にとって大変斬新かつ魅力的な存在で、その後このタイプの探偵はミステリー界に次々と登場することとなるのです。

中山先生がピアニスト探偵・岬洋介を生み出した背景には、御手洗のような知識豊富な探偵像に憧れがあったのではないかと、私は考えるのです。

音楽小説として楽しめる

最後に、本作のもう一つの魅力である、音楽について。よく本作は漫画『のだめカンタービレ』のようであると言われますが、主人公が指一本も動かせないほどの重症を負いながらもピアニストを目指そうと努力する姿は、のだめというより『巨人の星』・・・。「君はピアニストになるんじゃなかったのか!」と叱咤され、歯を食いしばってピアノを弾く姿はスポ根そのものです。ミステリー、スポ根、そしてクレバーな探偵。この3つの柱が、本作を輝かせているのだと思います。

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