闇を抱えることになる少年達のキラキラした時代の物語。
誰もが知っているからこそ、独自性が感じられたストーリー。
歴史漫画でもかなりの数の題材として取り扱われている「新選組」。そのなかでも池田屋事件に関しては、新選組・坂本龍馬・長州藩土佐藩の尊王攘夷派・と様々な視点で描かれている。
この「新選組異聞PEACE MAKER」では、その王道たる新選組の視点ではあるものの、主たる新選組隊長の視点ではなく、そばに仕える小姓の視点、物語だ。それは、もしかしたらこういった事実もありうるやもしれない。という小姓・鉄之助の物語でもある。
続編「鐡」に続いていく人間模様。
「新選組異聞PEACE MAKER」は、続編として出ている「鐡」の導入ではないか?と私は思う。本来、作者が描きたかった物語は、ドロドロとした人間の憎しみや悲しみ、醜さ、愚かさ、怖さ…そういったもののように思う。その部分が、続編の「鐡」にはある。それは、無印「PEACE MAKER」があるからこそ、その対比として「鐡」の人間の弱さや黒さ、闇をより強烈に表しているように感じる。
あったかもしれない大切な物語。
確かに無印にも無慈悲な場面はある。山崎烝の姉は、密偵の際に犠牲となり強姦され殺された。なにがあったのかの細かな描写や語りはないもののその断片ぺきなコマのシーンで、その悲惨さやむごさは感じられた。それは、私が同じ女だったからそう感じただけかもしれない。しかし、史実にはない、そういったカラダを使った、表には出てこない裏方仕事はきっとあったのだろう。と思うと胸が締め付けられた。少年マンガ雑誌であるガンガンでこういったシーンを取り入れたのは、以外でもあり、そういった陽の目を見ないけれど、己の役割を全うした人がいたのかもしれない。ということを教えてくれた大切なシーンだと思う。
しかし、ここでは主人公鉄之助がまだまだ純粋で、真っ直ぐでキラキラと不純なくいることで、物語に明るさや希望をもたらしている。だからこそ、弟の烝が姉を思い悲しむことができた。本当の人間の暗さや血生臭さに触れていない白さは、もう一人の主人公である鈴もそうだろう。
何も知らない幸福な時。
無印の頃は、小姓として使えている吉田と「もしかして…」と淡いBL色を出すくらいであった。むしろ、純粋に慕っているからこその吉田への思いが色気ムンムン・・・。と腐女子が喜ぶ程(笑)。その純粋さが、何も知らない真っ白さだった。
鈴にとって無印の時代は「何もしらない」時代であるといえるだろう。だからこそ、敵対する新選組に属する鉄之介と友達になった。吉田の本当の姿を知らないまま慕っていた。鈴の人生として考えるとこの「何も知らない」時代はとても幸福なものだっただろう。そういう視点でいえば、無印時代は、鈴の大切なキラキラした思い出の物語でもあるのだろう。
一人じゃない安心感、年の近い子とのやりとり、人の優しさ。人とふれあうことの喜びを感じていた鈴。生い立ちも重ねるとその時間はとても尊いものだっただろう。
それなのに、池田屋事件は起きてしまう。その為に鈴は何もかもをなくしてしまう。慕っていた大切な吉田を殺され、失った。殺したのは新選組。友達だと思っていた鉄之助が、その新選組だった。
幸福感が強かったからこそ、この絶望感は普通のものではなかった。しかし、その物語は無印ではまだ想像でしかない。
もしかしたら、まだ鈴は純粋な白い気持ちを残しているかもしれない。と無印では希望を残すことができる。それは、無印で一度、物語が終わったからだろう。
鉄之助も鈴が敵だったという衝撃、現実にみる殺し合いの血生臭さ。自分の力の無力さを感じる。しかし、ここから強くなるんだ。という希望があり、鈴に対しても心配をする気持ちがある。鈴が無事に生きているように…と願っている。
ここまでが無印だ。純粋なこどもの時期が終わったのだろう。この後の「鐡」はここからはじまる。純粋さだけでは生きていけない、こどもではなくなっていく物語へと続いていく。
性善説・性悪説でいうならばこの物語の人物達は、性善説で生きていた。しかし、悲しい経験によって善だけでは生きていけなくなっていく。その序章が「新選組異聞PEACE MAKER」だと私は思う。
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