堂上教官の感情の描き方。
能力系や学園モノなど実際に有り得ない世界観はよくあるが、本を狩られるというストーリーは初めてだったので作者の世界観に引き込まれるのには時間がかかった。
それでも読むのを止めなかったのは、恋愛観もまた今どき珍しい表現をしていたから。
私が読んだことある中では感情の移り変わりを言葉にして表現されているものが多く、(あいつの事が気になるとかドキドキするのは好きなのかもしれないとか)恋愛の展開も先が見え、似たりよったりの作品が多かったが、堂上教官の感情の描き方がほとんど態度で現されており、読み手の想像をふくらませる表現だった。
郁が稲見司令官と一緒に拉致されたと聞かされた時の表情や郁が泣きたい時に部屋から出て外にいるところを理由つけて追いかけたり、痴漢の囮作戦で痴漢に足を触られたと聞かされた時の表情と握りこぶしを描いた表現法、何かと気にかけ気付き頭を撫でて激励し、時にはひっぱたいて郁の感情の高ぶりをとめたり、冷静かつ護りたい気持ちが言葉ではなく態度で描かれているので引き込まれた。
どんな気持ちで戦いの中で傷ついていく郁をみているのだろう。
どんな気持ちで叱るのだろう。
どんな気持ちで見守るのだろう。
どんな気持ちで感情を抑えているのだろう。
郁と同じくらい真っ直ぐな態度を言葉に変えて知りたくなった。
堂上教官が足を打たれて入院中、郁がようやく面会に行った時、遅いと怒り、気持ちを伝えた後に取り乱した郁にキスをして気持ちの返事をした所も堂上教官の性格が表現されていた。
言葉数が少ない分、読者の感性(妄想)をふくらませるのにとてもいい内容である。
上記とは別にレインツリーの本のことで小牧教官が査問会から自白を迫られてる時、まりえちゃんが言った言葉。
わざわざ差別を探し出して騒ぎ立て、差別が大好きなのはあなたたちの方
これは、学校や職場、家庭でも日常に起こっていることで、とても意味のある言葉だと思う。
正義と思っていることが本当に正しい事なのか、相手を理解し(知っているということは誰でも出来るが理解できる人はほとんどいないだろう)知識を得て発言、行動しなければ正義を振りがざした偽善になるのではなかろうか。
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