人間の強さと弱さについて考えさせられるドラマ_人間失格 - 人間・失格 たとえばぼくが死んだらの感想

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人間・失格 たとえばぼくが死んだら

4.104.10
映像
3.25
脚本
4.25
キャスト
4.50
音楽
4.00
演出
5.00
感想数
2
観た人
8

人間の強さと弱さについて考えさせられるドラマ_人間失格

4.04.0
映像
3.5
脚本
4.5
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

目次

父親の復讐心からみる弱い者と強い者。

このドラマを見た時、誰もが大きな衝撃を受けただろう。それは当時幼かった私にとって、涙なしでは見れないドラマでした。鋭い恐怖を感じました。何故、人は自分よりも弱い存在と認識したうえでいじめを行うのだろうか。小動物は中学生にとっては弱い存在なのだろうか。確かに自分よりも小さく、言葉もしゃべる事が出来ない小動物は中学生からみたら弱い存在なのかもしれない。しかし、そう感じる人と感じない人がいて、ほとんどが、小動物に対して自分の方が強いのだ、と考えたりはしないはずです。いじめを犯す本人がただ弱い存在なのではないかと私は思います。いじめを犯す人こそが弱い存在です。当時から大人気だったジャニーズ事務所のkinkikidsの2人が出演していたこのドラマは、多くのジャニーズファンの若い子が見ていただろう。若い世代に向けて、いじめを少しでも減らすことが出来たら、、という願いもあったのではないだろうか。いじめを苦に自殺をした中学生の父親は、その事実を受け入れることが出来ません。母親もショックを隠しきれません。いじめは、自殺をして全てが終わるわけではありません。いじめに負けて自殺を選択してしまい、実行に移してしまった時点からが、本当の始まりなのではないだろうか。自殺をした中学生の周辺の環境、人間関係、人間の心理、多くの問題が浮んできます。

大きなショックと悲しみを受け入れなければならない両親。どのようにしたら受け入れられるというのでしょう。きっと受け入れることなんて不可能であろうと、私は思います。海の様に広く深く終わることのない悲しみ、怒り、憎しみは、一粒も消えることもなければ薄れることもないでしょう。このドラマでは、父親が息子が死ななければならなかった理由を知るために動き、いじめをしていた相手に復讐を誓います。このあたりから、少しづつ人間失格へと傾いていってしまいます。いじめ自体がもちろん人間失格です。しかし、父親の復讐も、人間失格の行為であると私は思います。教師にしてみても、いじめを目撃した際の行動に問題がありました。なぜ、助けずにカメラを手にしいじめの風景を撮影していたのだろう。教師失格であり、人間失格です。

 「頭の中にハエがいる」に込められた深い狙いとメッセージ。

この言葉は1番印象深いものでした。頭の中に、ハエ?と小学生ながら考えました。どういう意味だろうと、、。ハエは汚い、素早い、変な音をたてて飛ぶ、うるさい、、そんな悪いイメージばかりの生き物です。それが頭の中にいる、、これはただごとではない状況ということは理解出来ました。いじめをしていた生徒の頭の中にハエがいるということは、やはりいじめをする生徒は普通ではないという印象を受けました。いじめは本当は悪いことと知りながら行動に移し、自分よりも弱い存在を傷付けることによって、自分の価値を見つめ安堵感を得ているのです。もし今いじめをしている人がこのドラマを見たら、あんな変な事をいうやつと一緒にしないでくれと思うかもしれません。しかし、完全に同類であると私は思います。そこが大事なのです。いじめをしている人は間違いなく頭の中に何らかの問題を抱えています。その事に早く気付くべきなのです。自分の犯している罪を自覚出来るドラマだとも思います。いじめをしている側への助けともとれると思います。頭の中にハエがいるという言葉の中には、そんな現代社会においていじめをしている人へのメッセージなのかもしれません。

自分を見失わないための本当の強さを手に入れるために。

息子がいじめを受けて自殺をし、父親は復讐へとたちあがりますが、どんなに復讐をしても、どんなに相手に追及しても、死んだ息子は戻ってこないという現実に気が付き、本当の苦しみが襲いかかります。現実が見えなくなる程の苦しみや悲しみを感じた時人間は、敢えて現実から逃げたくなり間違った方向へ向かってしまうことがあります。それは神様がくれた現実を忘れても良いという優しさでしょう。しかし、その優しさに甘え過ぎてしまうと、まわりが見えなくなり自分を見失ってしまいます。見失わないためにもこのドラマは実際に同じような経験をされた人へのメッセージかもしれません。どんな辛いことがあって、間違った方向に進んでしまいそうになっても、自分自身は見失ってはいけないという、本当の強さを持つことの大切さを伝えたかったのではないでしょうか。強い者は、弱い者をいじめるということ、しかしいじめをする人は決して強い者ではなく、弱い者であるということに気付かされるのです。

このドラマは、なくならない”いじめ”という大きな問題に立ち向かう人を励まし、本当の強い人間へと導き、いじめをしている人には、あなたは弱い人間だということを改めて実感させるために、つくられたドラマのように感じてなりません。

題名にも使われているように、例えば僕が死んだら、という言葉にも、いじめは決して許されるものではなく、いじめによって自殺をしてしまったら、このドラマのように自分のまわりの大切な人達が弱い者へとなり間違った道を歩んでしまうかもしれない、という必死の呼びかけにも聞こえてきます。

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他のレビュアーの感想・評価

これを見たときは衝撃

この作品をみた当時は小学生でしたが、いじめというテーマで映像もなかなかショッキングなものがあり、かなり衝撃を受けました。最近、成人してから見返すと、誠の気持ち、父親の気持ち、そしていじめというものがどれだけ重いものだというのが理解でき、表現され、今のこの時代では考えられない酷い映像などがありますが、見た者はそのテーマについて考えさせられるでしょう。今の世の中では放送されないですが、一度放送してみて、みんなの意見をきいてみたいです。そして、当時ではあどけないキンキキッズの二人が主演で、特に堂本剛の演技にはかなり魅せられました。父親と二人でキャッチボールをする映像は今でも忘れられません。そして、父親に、俺学校行くわの一言。。。あそこで父親には止めてほしかった。。ラストは父親が加勢大周(役名忘れた)を許すのですが、ここには誠のことを考え、罪の意識によって自分で抑えたのかなあと思います。賛否両...この感想を読む

4.24.2
  • dairi-dairi-
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