受け入れる難しさ
この本はテレビでアシュリーを見た事がきっかけでした。
「プロジェリア」という病気の存在もその時知りました。
発症例の少ないましてや治療法がないというその病気
何がその病気を起こさせたのだろうか?何が違ったからなのかなと考えながら読んでいきました。
思春期の自分の周りの環境、本当に伝えたい想いや言葉を相手に理解してもらう事の難しさはどの国でも同じなのかなと思いました。自分だったら親と再び付き合う事ができるかなと思ったり、互いに愛情はあるはずなのにそれが通じていないからこその擦れ違いが感じられてこれが親からの立場子供からの立場で違ってくるのかなと考えさせられました。
自分の子供が障害を持っている事を受け入れる事は容易ではないなと
治療法がない 親にできることないのという絶望感や無力感は心が痛くなります。
でも子どものアシュリーはその病気の当事者でありながらなんでこんなに明るいのだろう?
自分と他の同じ年頃の子と明らかに違う部分が見えて理解している
出来てた事が出来なくなるはがゆさ、悔しくないはずないのになんで?
アシュリー自身その病気を受け入れているからなのかな?
自分だったら受け入れられるだろうか
どう生活して行ったらいいのか分からなくなりそうです
状況を理解して受け入れる強さとできる中で懸命なその姿
見習う事がたくさんあると感じました。
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