たっぷりと時間があること、効率化しないこと、信頼の感覚があることの素晴らしさ
名物先生の型破り教育の話ではありません
2002年フランス映画。監督はニコラ・フィリベール。フランスのドキュメンタリー映画監督で、本作を含め9作品を撮っています。本作は、本国フランスでは200万人を動員したロングラン・ヒット作になったそう。
邦題を見て、てっきり個性的でカリスマ性溢れた名物先生が、型破りで、でも皆が学ぶべき素晴らしい教育をしている、そういった活動を見せている映画だと思ったのです。
私は小学生の子供を持つ母親ですが、一人の親として、先生も学校も大変なんだろうなと本当〜に思うのですけれど、その反面、授業参観や行事参加をする度に、どうしてこんなにつまらない授業や活動になってしまうんだろうな、これでは子供が意欲を持てなくなっても無理ないよな、と思ったり、先生に「いつも私どもの活動を見守っていただいてありがとうございます」とか言われたり、父兄なのに「○○様」と先生に(まるで顧客みたいに)様づけで呼ばれたりするとびっくりするし、なんとも複雑な気持ちになります。なんでもかんでもコンプライアンスの世の中・・・・コンプライアンスの弊害やな、と思ったりもしていて。
そんな気分のなか、ある種の理想の教育みたいなものがここに描かれていることを期待して、この作品を手に取ったのかもしれません。
しかし、私の予想は良い意味で裏切られました。なぜならこの映画に出て来るロペス先生は、斬新なことをしたり、名言を吐いたりするカリスマ先生なんかでは全然なかった。そしてそれゆえに、この作品は素晴らしかったのです。
フランス山間部の暮らしの中にある先生や子供たちの日常
原題は「Etre et avoir」。意訳ですが、「(子供たちが)いて、(先生がクラスを)持っている」という意。邦題の「ぼくの好きな先生」とは随分ニュアンスが違って、もっとただあるがままのかんじがあります。映画は当然原題に相応しいものでした。
DVD には、監督のインタビューも収録されていて、あえてこういう内容で作ったということが直接監督の言葉で裏付けられています。映画を撮るにあたってのそもそものスタートが、「フランスの山間部の田舎を撮りたかった」。そうしてロケハンするうちに、少人数で色んな学年の子供が共に学ぶ小学校がその舞台に相応しい、という風に対象が絞られていったという順序。「先生は 誰でも良かったのです」と監督は言っていました。
無論、良い雰囲気を持った学校には良い教師の存在は必要不可欠ですから、結果的に良い先生 が登場することになりました。でもこの作品においては、まず厳しく美しく豊かな自然に囲まれたフランス山間部の田舎の暮らしがあり、人々は牛を飼った り農業をしたりして生きている。その中に小さな小学校があり、建物の二階にはたった一人の住み込みの先生がいて、その小さな場所をまるごと面倒みている。そこに素朴な子供たちが通ってくる。そういう順序でもって描かれているのです。大きな自然の中で不可避的におさまるべきところに物事が収まって行く、良いも悪いもなく、とても自然で無理なくそういった暮らしが淡々とあるということが描かれているのです。
たっぷりと時間があること、効率化しないこと、互いに信頼の感覚があること
作品は、吹雪の朝、スクールバスに乗って学校へ向かう子供たちの描写に始まり、おおむね全校生徒たった13人が共に学ぶ小さな教室を中心に進んでゆきます。中盤にロペス先生がもうすぐ退任する、というフックがあるにせよ、物語はおおむね淡々とした日常を切り取ってゆくことに終始しています。
編集においては、極力そこに流れる生の空気というか、「ペース」を伝えようと意図されているように思えます。ですから部分によっては非常に冗長ですし、子供たちが言葉を発するまでじっくりと待つ、といった姿勢が基本です。
教室での学科の授業は、ある意味とても普通なものです。とりたてて独創的な教育があるわけではありません。先生はわりと凡庸に怒ったり、指示をしたりしています。しかしその教室は、しみじみと良い空間であることが感じられます。
私たちが経験してきた、あるいは自分の子供たちの授業参観の教室の風景とは全然違う、それは何だろうと考えた時に、まず、先生がとても落ち着いた静かな声色で話しているということに気付きます。変にテンションが高いわけでも、威圧的な訳でもなく、まるで1対1で大人同士が普通に会話しているのと同じようなトーンで、しかし辛抱強く、先生は子供たちに対峙しています。
教室にも、訳の分からない興奮や混乱はなく、みなにこにこと元気で自由に発言もしますが、わめいたり人目をひこうと変にはしゃいだりするような子供は基本いません。先生の落ち着きが子供たちにも伝播しているというかんじがあります。
時にはそり滑りをしたり、パンケーキを作ったり。季節が良い時期には机を中庭に持ち出して、さわさわと風の吹く木陰の下で授業したりしています。そのどれもに、全く気負いがありません。
父兄の一人と子供について話し合うシーンでは、先生は別にその子のことを変にほめちぎったりしません。ただ良く見てその子の適性を分かっていて、「彼女が幸せになるのが一番だからね」とその子の母親と静かに微笑みを交わします。
花壇に腰掛けて、心配事がありそうな生徒の話をゆっくりと聞いてやるシーンでは、お父さんの病気のことを打ち明けてべそをかくその子に「病気は人生の一部だからね。きっと良くなるよ」と肩を抱いてやります。
どろんこで汚れた手をきちんと洗ったよ、と幼い生徒が手を見せにくるシーンでは、洗い残しをぬぐってやり、その子が自分の目では見えないのに「あとはおでこも汚れてるんだ」と言って、おでこも拭いてもらって、子供はなんだかとても満足そうな様子で元気にまた外に駆け出してゆきます。
なんて豊かなことだろうか、と思いました。そしてここにある全てが、今の日本の都会の学校ではすでに失われているものであることを痛感させられます。
この映画は、学校や先生は、あるいは子供を養育する立場にある人々は、とりたてて優秀でも聖人である必要もないのだ、ということを伝えてくれます。
きっと大切なのは、たっぷりと時間があること、効率化しないこと、お互いに信頼の感覚があるということです。
言葉で言うのは簡単ですが、なかなか、一筋縄ではいかないというのが現実だとは思います。ただ、この映画を見て改めてまず思った事は、忙しすぎるということは誰もにとって本当に良くないことだなんだな、ということでした。
私たちは、様々なメディアを通じて、政治を通じて、色々なことを「思い込まされている」。外国なんかに行くと、はたっと気付かされもするのですが、日本で汲々とくらしていると、日本的価値観から自由になるのは、容易なことではありません。私だってしょっちゅう流されて、不安にもなりますし。
それでも、忙しすぎなければ、自分の頭でものを考えることを投げ出さずにいられるのではないかと、そこを死守することは、とても人を守ってくれることなんじゃないかと及ばずながら思っています。
幸せに生きるってどういうことなんだろう、そんな思いに立ち返らせてくれる静かで優しい作品でした。
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