人形遣いは人間遣い。人形遣い左近が挑む殺人事件
死者の声を聴く探偵・左近の早すぎた連載開始
今でこそ推理ミステリは漫画界で一定の知名度があるが、『人形草紙あやつり左近』連載当時はまだ『金田一少年の事件簿』も『名探偵コナン』も今日のような国民的認知を受けるには至らなかった。『金田一』も『コナン』も、それぞれアニメとドラマで知名度を上げるまでは漫画界の端役であり、言い換えれば両者が90年代に活躍したからこそ漫画界で推理ミステリというジャンルが確立したのである。
このような、いわば推理ミステリ漫画勃興期という時代に、週刊少年ジャンプ誌上で『あやつり左近』の連載は始まった。
が、残念ながら確固とした推理ミステリの土壌が出来る前に連載に踏みきったせいか、『あやつり左近』はその完成度とは裏腹にコミックスは全4巻、漫画のエピソードでいうと7本分で連載打ち切りになっている。
これは何故だったのかと、今でも『あやつり左近』打ち切りを惜しみ、いぶかしむ声は多い。
それほど、『あやつり左近』は『金田一』『コナン』に匹敵するほどの緻密な舞台設定と読み応えのある事件とで、漫画ファンから良作の誉れを受けていた。週刊少年ジャンプ歴代の連載作のうち貴重な推理ミステリとして、今もなお語り継がれているほどだ。『金田一』『コナン』より面白いという声も聞こえるほどである。
『あやつり左近』はこのような世間の人気と作品の完成度を裏付ける形で、打ち切り後にアニメ化、コンビニブックス化と異例の措置を受けている。この点もとても興味深い。
『金田一』『コナン』とは一線を画す探偵・左近
人形使いで人見知りの少年・左近は、常に右近という人形を連れている。左近は基本的に無口で、人と関わる(関係者から事情を聴く)のも、右近に任せている部分が多い。
要するに左近は腹話術師なのだが、右近はただ左近の話し相手・他者とのコミュニケーションの担い手という役目だけに留まらない。
左近は死者の魂を、右近のなかに呼び寄せるのである。これが推理ミステリとしての『あやつり左近』の特異な点だ。死者の魂が憑依した右近と対話することによって、左近は推理を確信へと変えていく…。
「人形遣いは人間遣い。腹話術は読心術。真似るのはその声色だけでなく、その内なる声」という呪文めいた口上で始まる左近の術は、その神秘性と合わさってエピソード中の大きな見せ場となっている。
実際、この術は本当に死者の魂を呼び寄せたのか、それとも左近が頭の中を整理するために行ったパフォーマンスなのか、正直なところわかっていない。だが、”人形使いの探偵”という特性を活かすにはこれ以上ない十分なパフォーマンスであり、作中のおどろおどろしい雰囲気、グロテスクで恐ろしい死体と合わさって、『あやつり左近』というコンテンツを確立するには十分だった。
また、『デスノート』『バクマン。』など数々のジャンプ漫画の作画担当として貢献してきた小畑健の作画も、人気を支えた一つの要因である。
小畑健の描く『あやつり左近』の世界は、特にカラーにおいて存在感を発揮する。和のファクターを巧みに取り入れた小道具使いも、色調も、90年代の男っぽい作画が多く見られるジャンプの中ではひときわ異彩を放っていた。
少年誌に殺人事件は難解すぎたのか
こうした推理ミステリとして独自の魅力を持つ『あやつり左近』であるが、繰り返すようだが打ち切りで連載が終了している。これには、大きく二つの要因があると筆者は考察する。
まず一つは、ジャンプ特有の打ち切りシステムにあるのではないかと思われる。
ジャンプは徹底したアンケート至上主義で知られ、反響がない作品はすぐに打ち切り候補にされる。
何週にもわたって構成され、犯人がわかる(=漫画的な爽快感を演出する)のにひと月はざらにかかる推理漫画にとって、このアンケートは実に厄介な存在だ。推理ミステリというジャンルには、全くそぐわない。
結果として、『あやつり左近』はジャンプシステムに足を引っ張られる形になったのではないかと考えられる。
また、ジャンプの読者のニーズに、『あやつり左近』は合っていなかったと思われるのがもう一つの要因だ。
同じく推理ミステリの『金田一』『コナン』が掲載されていたサンデー、マガジンは、ともに少年誌であるが、ジャンプ購読層は両者に比べて、年齢層がより広い。幼稚園児から社会人まで、ジャンプを愛読している層は幅広い。
そして彼らが求めるのは、漫画的な面白さであり、状況把握に頭を使うミステリではなかった。
関係者の人間関係、殺害動機、トリックといったミステリの基本が、当時のジャンプ読者層には受け入れられなかった可能性は否定できない。
要するに、『あやつり左近』は当時のジャンプという土地のうえでは咲かない花だったのだ。
しかし、『あやつり左近』はある層から確実な支持を受け、時折ネット上でも話題に上っている。また、筆者はたびたび『あやつり左近』が芽吹かなった理由を過去形にしているように、むしろ『あやつり左近』は現代でこそ映える作品ではないか、とも考えられる。
90年代ジャンプの、夭折の秀作。『あやつり左近』は、”打ち切り名作”にしておくには、あまりにも惜しい作品だ。- あなたも感想を書いてみませんか?
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