陽子の存在、路子の存在 - 人間の証明の感想

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人間の証明

4.504.50
映像
5.00
脚本
4.00
キャスト
5.00
音楽
4.00
演出
4.00
感想数
1
観た人
2

陽子の存在、路子の存在

4.54.5
映像
5.0
脚本
4.0
キャスト
5.0
音楽
4.0
演出
4.0

78年版
ネタバレあり。
今回全編通して観て確信したのは、少なくとも本作(78年TV版)における究極のテーマは、母は子に対して正直であるべき、ということ。
登場する第一の母子、棟居母子では、母が化粧を落として素顔を見せることが、捨てられた子が捨てた母を赦す事に繋がる。第二の母子、恭子は子であるジョニー殺しを自白することで、棟居から「最後にあなたは人間であることは守ってくれました ありがとう」というセリフを引き出す。第三の母子、朝枝路子は手錠に繋がれながらも「お腹の子が、嘘をつき続けていると変な子が生まれるような気がして」と吐いている。
母子という生物として最も単純な関係ですらともすると母が子に偽り無く相対する事ができなくなるのが人間社会であり、しかしそれを勇気を持って乗り越えることが人間として生きる上で大切なのである、ということなのか。また、母が子に偽り無く相対する事が出来る世の中でなければ、ともとれる。
制作サイドは、それらをより明確に視聴者に伝える為か、原作では最重要というほどでもない朝枝路子に対して「妊娠」という場を与えて「子に対して正直な母」の部分に暖かな日の光、陽光を当てて最後に手厚く救い出している。そもそも本作は彼女を中心に据えて構成していったのかもしれない。エンディング曲のイメージも彼女が最も近いし、エンディングロールに出てくるキャストでも彼女の役の方が陽子役の上にある。役者が映画版からの唯一のスライドというのも、初めからこれ狙いだったのかと思わせる。
一方、本作のためにわざわざ作り出された郡陽子はモノローグを語り、棟居との絡みがいかにも物語の中心という扱いから我々はどっぷり感情移入させられるが、実は舞台回しでしか無く、最後にテーマの表現者となって最大の救いを得るのは兄の恋人、朝枝路子であった、という制作サイドにどんでん返しを食らう作りに、意地悪!と文句を言いたくなる。
最終話終盤、白熱のクライマックスシーンを中心に次々に母子関係が成就していく。嘘が正直へと、オセロのコマが終盤に一気に変わるように。
それに比べて、最後の河原シーンは、とてもしょぼい。本作で心ウキウキワクワクな場面を二人で数々生み出してきた河原シーンなのに。「時をかける少女」は予告編で「愛の予感のジュブナイル」と宣伝されていた。がここまでの河原のシーンは正に「愛の予感のジュブナイル」。そういえばこの役を原田知世さんが演じていたらどうだったろう。
さて、最後の河原シーンで、家族3人が犯罪者となって残された陽子にもとりあえず救いはあり、棟居への思いを生きがいとする旨のセリフがこの場で心で語られ、オカリナを吹いていることで同様の心境も伺えるが、表情は微妙で、セリフも平面的かつ中途半端。「淡々とした」、という感じ。わざわざ作り出してきて、我々の感情移入を棟居と共に担わせておいて、最後にこの仕打ちは酷すぎないか?ご褒美少なすぎないか?この若い娘にもうちょっと希望を与える終わり方は出来なかったのか?と問い詰めたくなる。クライマックスシーンの棟居のように。
棟居もこの場では既に弱くなっている。本作での彼の役割は恭子から自白を引き出した、つまり「子に対して正直な母」を引き出した、自身の経験談も交えた渾身の尋問シーンで終わっているからだろう、もはや抜け殻にしか見えなくなっている。母への憎しみという彼自身をこれまで支えて来、陽子への魅力発信の原動力にもなっていた芯が抜け落ちていることもあって、ただの優しい男になってしまってセリフも弱い。
このシーンはそうではなく、棟居とともに典子も登場して棟居夫婦が家族の出所を待つ陽子を援護していく的な流れを作り出し、陽子に「辛いけど負けない。ありがとう」的な前向きなことを言わせてほんの僅かでいいから笑んだ表情を作らせておけば、ここまでの流れからも自然で大団円的、感情移入して見守り続けた我々の気持ちも落ち着く終わり方になったと思うが、制作サイドはそれではテーマが見えにくくなると考えたのだろうか、そうはしなかった。
もしかしたら、河原での出来事は母への不信感が高じて生まれた棟居の創作物だったのかもしれない。はじめから郡陽子など居なかったのかもしれない。だから不信が解消された今では陽子の存在は必要でなくなり、無色透明になっているのかも、と、勝手に想像してしまうのも持って行き場のない中途半端な気持ちがなんとかならんのかという思いから。
繰り返すが、本作の名場面を生み出してきた河原、中心を担ってきた二人の絡みが最後は不遇な扱いになっている。第1話の初めての河原シーンと見比べると悲惨甚だしい。だから、そのあとのエンディングの画に郡家の門構えを挟んでくれたのはありがたかった。閉ざされた門が、舞台の緞帳よろしく「これで架空の物語は終わりですよ 皆さん、現実に戻っていいですよ」と言ってくれているように思える。河原での二人の画で終わってしまってたらこちらはあまりにせつなすぎ、宙ぶらりんでおいていかれるような不安さをいつまでも引きずり続けるところだった。「立花典子も出してやってくれ」とうわ言のように呟き続けなければならないところだった。制作サイドによる、視聴者への温情だったと、感謝したい。

以上、感想でした。
撮り方で驚いたのはロングなカットがやたらと多かったこと。特に重要な場面、場所としては郡邸で、これでもかとロングの連発。かなり緊張を強いられる撮影現場ではなかったでしょうか。
クライマックスも郡邸リビングでのロングカットで、棟居刑事も八杉恭子も大迫力の大熱演です。ただそれだけに上記したように、最後の河原のショボさが・・・。
確か当時はこのシナリオが文庫化されていた気がするんだけど気のせいかな。
ちょっと気になったのは、棟居刑事が母親と断絶していた期間を途中まで「30年以上」と表現しているのを途中から「20年以上」と変えている。多分現場でのイージーミスではないかと思う。
もう1点。最後の河原シーンで恭子が死んでいることが語られている。逮捕されてそれほど時間が経っていない時期に見えるので、死刑だとしてもまだ執行されてるとは思えない。逮捕後に病気か何かで死んだのかな?77年映画版なら事件の最後に自殺するのでこれでOKだったと思うが、このシナリオでは不自然、すくなくとも説明が必要に思えた。

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