生態系を壊しながらも仲間を求める悲しいナイルパーチ - ナイルパーチの女子会の感想

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ナイルパーチの女子会

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文章力
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演出
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生態系を壊しながらも仲間を求める悲しいナイルパーチ

4.04.0
文章力
4.0
ストーリー
3.5
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
3.5

目次

女子会に参加できない女子の居場所は

 

この小説はどこに向かって行くのだろうかと、膨らんでゆく不安を感じながら読んだ。

あてが外れた、というわけではないが、もう少し穏やかな、仲の良かった二人の女性が、何かしら感情のもつれがあって離れてしまい…といったゆるやかなストーリーを想像していたので、予想を裏切るストーリー展開は、まるでお茶と思って口に運んだものがコーラだったような驚きと刺激があった。

女子会というと、華やかで楽し気な集まりという以上のイメージはなかったが、同性の友人がいない場合は、女子会というものに苦々しさを感じることもあるのだという、新たな認識を持った。

 

完璧を求める女・栄利子は狂気の道をひた走る

 

この物語の主人公は二人、大手商社に勤務する栄利子と、ダメ主婦ブログが注目されつつある翔子だが、唐突に訪れた二人の出会いと、その関係が修復不可能になるまでが実にスピーディー。栄利子の目線から話に入り込んでいた私も、彼女がブログを数日更新しない翔子を心配するあまり家に押し掛けるというシーンで、彼女の異常さの一端を知る。それ以降、ストーリー序盤の「世界を相手にする大手企業に勤める才色兼備のOL」という栄利子のイメージはことごとく崩れていく。

 

多かれ少なかれ、誰しも自分の道が正しく、自分は真っ当な意見を持っていると思っているものだが、栄利子はとにかくそれが度を越している。彼女は結局のところ、幼なじみの圭子との間に起こった、というより自分が引き起こした過去の失敗を何一つ認めようとせず、何一つ学んでいなかったのだ。

 

狂おしいほどに女友達を求める栄利子にわずかに同情する気持ちが湧くものの、「こんな女に付きまとわれたら人生終わりかも…」という恐れのほうを強く感じてしまう。

栄利子は同性の友人を得ることにより、自分の中の欠けている部分が補えると考える。決して翔子になり替わりたいわけではないが、栄利子にない自由奔放さを持つ翔子を自身の傍らに置くことによって、より完璧な自分になることを夢見ているようだ。それは果たして友情と言えるのか。翔子を心配している風を装って、翔子を意のままに、自分が求める女友達にしようとする栄利子は究極の自己中にしか見えない。

 

ズボラ主婦翔子とブロガーの世界

 

だらけた生活を売りにした、おひょうこと翔子のブログが人気になるのはわかる気がする。

たまに芸能人のブログなどを覗くと、そのあまりの充実した生活ぶりに「ほんとに毎日仕事しながら、こんな凝った料理作ってんのー?」と、私生活に下駄を履かせようとしているのではと疑ってしまう。

 

芸能人やトップブロガーと呼ばれるスーパー主婦たちは、すでにブログを仕事の一環としているので、ブログに載せるためにも人から羨望される生活を送るように心掛けているのだろうが、それでも仕事も育児も家事もきっちりこなしているような人たちを見ると、我が身を顧み、落ち込むことがある。

結婚しているが子どもはおらず、「家族って素晴らしい!家族が一番大切!」と家族の素晴らしさ、結婚している優越感を振りかざすことのない翔子のブログは、だからこそ栄利子の共感を呼び起こしてしまったのだろう。

 

KYに厳しい日本人とそこでやって行くことの難しさ

 

読み終えて、自分には安心できる居場所があり、気楽におしゃべりできる同性の友人もいてよかったと思ってしまったが、私にも人間関係で悩んだ経験はある。けれど、もし何か一つ歯車が狂っていたら、友人と思っていた人に無視されたり、遠ざけられたりといった経験を繰り返していたら、自分も栄利子みたいになる可能性があったかと思うとゾッとする。

 

周囲の人間が栄利子に向ける眼差し、「この人、どっかおかしいんじゃないの?」というKYな人間に対する眼差しは、私も過去に何度か受けたことがある。とんちんかんな受け答えをしてしまったとき。空気を読まずについしてしまった行動。そういうちょっとしたことで貼られる「おかしい人」「付き合いたくない人」というレッテル。一度そのレッテルを貼られてしまうと、それをなかったことにするのは容易ではない。

 

貼られたレッテルにひるまず、全力で力まかせにそれをはがそうとした栄利子にはほんの少し尊敬の念を覚えるが、力技が効かないのが人間関係の難しさだ。海外数か国で暮らし、グローバルな視点を持つ漫画家の女性が語っていたことだが、日本は特に型からはずれることを恐れ、空気を読まずに行動する人間に対しての風当たりが強いという。出る釘は徹底的に打たれる、それが日本という社会だと。

 

この小説を読みながら、どうしようもなく自分の高校時代を思い出していた。

割と自由に友達付き合いができていた中学生の頃に比べ、高校のときは本当に不自由だった。元々同じ中学出身の女子が少ない高校に進学し、二年生のときは以前からの知り合いが一人もいないクラスになってしまった。女子の世界のヒエラルキーははっきりとしている。トップに君臨する可愛くておしゃれで、異性にモテる女の子たちのグループに入るのは無理でも、せめて中庸に、最下位に位置づけられている二次元の男の子にしか興味を示さない、いわゆるオタク女子のグループにだけは入りたくなかった。

 

本当は、漫画を読むのが好きで、そういう子たちとの会話のほうが楽しめることがわかっていたのに、そこに属してしまったら最後、キラキラした青春を送れなくなると思っていた。

 

あの頃の自分の、なんとか少しでも仲良くなれそうな女子を見つけて、その子たちがトイレに行くなら自分も行き、その子たちの好きな音楽を聴きドラマを観、無理矢理にでも仲間に入れてもらおうとしていた努力を振り返ると、そこに栄利子の面影を見つけて血の気が引く。

 

それにしても、私がこの物語の中で一番理解不能だったのは真織という女性だ。そもそも、派遣社員という立場なのにひと廻り近く年上の正社員に威圧感を与え、屈服させることができるというのがちょっと現実離れしている。自分がエリートと結婚するのは、女友達とこれからも変わらず付き合い続けて行くためであり、自分を支えてくれた友達への恩返しでもある、というでき過ぎた言い分は聖人のようで、不自然に感じられた。単なる上昇欲、働かずにワンランク上の暮らしを手に入れたい、そして友達に自分の成功を見せびらかしたいという、自己本位な欲望のほうがまだ理解できる。

栄利子が真織の言うことを真に受け、部署の男全員と寝ようとしたときは、気が重くなりこれ以上読み進むのがつらくなった。

 

友達や家族があってこその人生という作られた価値観

 

終盤、済んでのところで栄利子のようになってしまいそうだった翔子は立ち直り、安心できる居場所を失ってなお、前を向いて歩いて行こうとする。このラストは読者にとって救いだ。栄利子が落ちぶれ、翔子さえも全てを失い狂気に落ちて行くようなラストでは、やはり後味が悪すぎる。

 

栄利子は前向きとは言えないまでも、自分は生涯同性の心を許し合える友達を持てないかもしれないという事実を諦観とともに受け入れる。自分は生態系を食い荒らし、共食いをするナイルパーチであると自覚したのだ。

 

友達がいない人生というのは孤独で、やりきれないものに感じられる。だが、現代においては家族愛や友情が重要視されすぎる嫌いがある。ドラマや映画、雑誌を見ても、家族が一番、友情はかけがえのないもの、気心の知れた友達との女子会がいかに楽しいかと喧伝される。だがその何割かはメディアによって作られた価値観であり、本当は、翔子が有名になる前のブログでやっていたように、同性の友達がいなくても人生を楽しむことはできるのではないだろうか。同性の友達が、夫がいなくても満たされて暮らしている型を栄利子は見つけることができなかった。栄利子自身がその新しい型となり、女子会に参加することはなくても充実した人生を送ってほしいと願う。

 

 

 

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