人が人たりえるのに必要なものは、すなわち何であるか - 月の珊瑚の感想

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月の珊瑚

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人が人たりえるのに必要なものは、すなわち何であるか

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目次

逆かぐや姫

この作品のモチーフはおそらくかぐや姫だろう。いや、本来のかぐや姫とは住んでいた星と帰る星が逆ではあるのだが、大きな話の流れはかぐや姫のそれに準拠している。ただ当然、本作はかぐや姫における月と地球をあべこべにしただけのものでは無い。話はあくまで語り部の少女が綴る口伝の物語、あるいは小人の持っていた音声データによって再生される記録という形で語られる。あくまでこの作品の主人公たちはこの語り部の少女と小人ということになるだろう。だが、本作の根幹にあるのは語り部の少女が綴りあるいは聞く、月の娘と地球の男の二人が共に織り成した物語と記録だ。ゆえにこそ、月の娘と地球の男の心情と行動、その在り方にこそ、本作のテーマが詰まっているといえる。

地球の男

地球の男は、人間である。より正確にはデザインベビーと呼ばれる存在であるのだが、生物学上、彼は間違いなく人間であり、それ以外にはなりえない。まず、この作品の世界は、年代がおおよそ西暦3000年、人類のほとんどが生きる気力を失った、そんな世界である。人間のほぼ全てが骨の髄まで消極的なニヒリズムを極めており、自身の行う活動全ての意味を見失ったがゆえにあらゆる活動を止めてしまった、といえばイメージできるだろうか。周囲にいる人間のほぼすべてが無気力という退廃的な環境で、さらに言語を聞き取ることができない障害まで抱えている地球の男は、当たり前のように人類を見捨ててしまった。世界に現存する技術と資材では月に行けば二度とは戻れず、永遠の孤独が待っていると知りながら、地球の男は月への移動を強行している。他人が煩わしかったのだろうし、人付き合いがそもそも障害のせいで困難であるという前提はさておいて、孤独を享受するということは全ての縁を断ち切ることと同義である。すなわち、彼は月に向かうという行動でもって、自分以外の人類の全てを見捨てたと言えるだろう。

ただ彼は、迂遠な自殺を行うために月に向かったわけではない。全ての生物が行うべき自己保存、その為の行動を彼は止めてはいない。わざわざ月に降り立ったのも、生体反応は無いものの、かつて月に移住した人々の遺したコロニーを利用すれば、生存は可能だという打算もあったはずだ。自身にとって生き辛い環境を避けて、生きやすい環境へと移住する。ここに限定すればまだ共感も可能な範囲だ。だが、それだけである。結局のところ地球の男の月に向かうまでの行動に合理性こそあれど、人間性は存在しない。人間とはそもそも群生する生物だ。他人と生きる中で生まれる社会性や感情を、合理性よりも優先する生き物である。その不合理さこそが人間性だ。ゆえに社会やそこで生まれるべき感情を忌避し、全ての他人を遠ざけるような合理性に、人間性など存在しない。彼の感情の平坦さは、あるいは昆虫のそれにすら劣ると言えるだろう。前述したように地球の男は生物として人間であり、それ以外になりえない。だがそれでも、その内面は人であることをやめているといえるだろう。

月の娘

月の娘は人間ではない。姿かたちこそ人間の女性とほぼ相違ないのだが、構造や能力が人とはまるで異なっている。月の娘の正体は月という星を運営するシステムの機構の一部である。現実においても惑星を一個の生命として定義し、その魂の実在を認める考え方は存在する。この作品の世界観では、月の魂を人工的に操作可能な形に物質化し、月自体の環境などを操作できるようになっているのだろう。その結晶である彼女は、いわば人の形をした月の分身と呼んで差し支えない。ゆえに彼女はそもそも生物と定義できるかも曖昧だ。だがしかし、決して彼女は人間ではない、という点だけは決してゆるぎない。

そんな人間ではない彼女には自我がある。くわえて、人間ではない彼女の自我は、しかし極めて人間性に富んでいた。月に移住した人間が全て姿を消してしまっても、彼女は人間に入力された指示をこなし続けた。理由は、人間に戻ってきてほしかったからだ。彼女は必要のない声帯機能の獲得や、より人間に近い形態に自らの身体を作り変えて行った。理由は、地球の男に人として扱ってもらいたかったからだ。彼女は人間に近づいた代償として月で生きられない身体になりながら、それでも地球の男と共に居ることを望んだ。理由は、地球の男に恋をしたからだ。彼女が物語の中で取っていた行動は、その全てに合理性が欠けている。月の分身である彼女は人間などとはスケールの違う存在だ。ただ、存在し続けるだけならば、何をする必要もない。月が存在し続ける限り、共に永い時間を存在することができただろう。自己保存の観点において、完成されているとすら言える。しかし彼女はその完全性を放棄して、わざわざ破滅する方向に邁進している。あまりにも不合理的な存在だ。だが、その行動の根底にあるのは彼女の感情だ。他人を求め、他人との交流の中に生まれた感情を最優先し、時に不合理な行動をとってしまう。彼女のそんな在り方には、どうしようもないほど人間性があふれている。前述したように、月の娘は決して人間ではない。だがしかし、彼女は人間では無い身でありながら、作中における誰よりも人間らしかった。

この作品は、上述した人間のくせに人間らしからぬ地球の男と、人間ではないくせに人間らしい月の娘を対比させつつ、対称的な彼らがしかし、共に在ることで培った共通の人間性、感情の形を、物語や記録の形でもって主人公である語り部の少女、ひいては読者である我々に強く伝えたがっているように感じられる。その人間性、感情とは、すなわち愛であろう。自分以外の人類全てを見捨て、自己保存のみを目的としていた地球の男はしかし、最後には月の娘の為に行動している。月の娘からすれば最後までエゴに塗れた行動しかとっていないように見えただろうが、それでも地球の男からすれば、月の女との交流の中で生まれた感情に従った、実に不合理極まる行動であっただろう。そこには、彼が持ち得なかったはずの人間性が存在している。月の娘は地球の男との出会いから別れまで、地球の男を想いながら行動している。別れの際に涙する程に強い感情を示すその心の在り方には、彼女が人間でないことを忘れるほどだ。彼らが最後に望んだのは庇護と共存という別のものだ。しかし、互いに相手を想い合うその在り方の根底には愛があるといえる。地球の男は愛ゆえに月の女が生きることを望み、月の娘は愛ゆえに地球の男と共に生きることを望んだのだ。この作品は、人間であることを捨てた者と人間では無い者が本来持つはずの無い人間性、しかしそんな彼らが交わることで生まれたこの奇跡のような人間性、すなわち愛と愛ゆえの在り方について訴えかけているように感じられる。

語り部の少女

さて、この月の物語が愛について問うているのは、読者だけでなく主人公である語り部の少女に対してもだろう。あくまで形而上のものであるがゆえに、愛というものを信じることができない語り部の少女は、果たして本作の終わりにどういった結論を出すのか。すれ違いばかりで痛ましく、しかしどこか美しい、そんな月における二人の物語の結末に何を感じるのか。確かに互いに愛があったのだから、これも一つの結末だと納得するのか、それとも本当に相手を愛しく思うならばと、月における二人とはまた別の回答を示すのか。その回答は、この作品が完結する時にこそ、彼女が行動でもって示してくれることだろう。人類が終わりかけている世界で、だからこそ彼女が月の物語を経た上で示すその在り方こそが、人が人としてあるために最後まで持っていなくてはいけない人間性、愛への向き合い方の一つの回答と言えるかもしれない。

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