新婚夫婦の微笑ましい日常 - 夫婦一年生の感想

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夫婦一年生

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新婚夫婦の微笑ましい日常

3.53.5
文章力
4.0
ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
設定
3.0
演出
3.0

目次

「仕合わせ」と「幸せ」

この小説は、これから夫婦になる人が読むよりは、夫婦生活を何年か経験して一年目の頃を振り返って「お、こういうこと懐かしい」と思うような「あるある小説」です。些細な行き違いにいらいらさせられたり、2人でいることの何気ない仕合わせを楽しんだり。そういう新婚時代のあれこれを思い出して自分の頃と比較するという楽しい時間が過ごせます。

さて、私は「仕合わせ」という文字を使いました。なぜなら作中で、朝倉かすみさんがそのように表記しているからです。普通なら「幸せ」を使いたいところです。そこで、「仕合わせ」をどのような時に使うかを少し調べてみました。「仕合わせ」はふたつのことを、し(動詞)合わすという意味を含むようで、めぐり合わせのような意味でも使われているそうです。つまり、この小説に限って言えば、青葉と朔郎という異分子が出会って「幸せ」を作りあげていると考えることができるのではないでしょうか。

「仕合わせ」以外にも、朝倉さんの表記には「ン?」と読むのが一瞬止まるようなものがあります。特に感じるのはひらがなと漢字の使い方です。「兄貴」は「兄き」で、「たべる」「くう」も「食」を使いません。「おまえ」「ことば」「くらべる」などひらがながすごく多いのです。これを編集用語で「開く」というらしいのですが、開かれすぎているような気がします。「いう」はひらがなですが、「行く」は漢字です。この辺りの使い方にどういう基準があるのかよく理解できませんでした。一般的にひらがなにすると優しい雰囲気になるといわれています。この『夫婦一年生』は優しく、柔らかい文字でつづられているのですね、きっと。多分、文字数稼ぎではないのですよ。ちなみに「腑抜け」は難しい(?)漢字を使っていました。

「おまえ」と呼んでもいい人

先ほど出てきた「おまえ」ですが、私は人に「おまえ」と呼ばれるのが嫌いです。「おまえ」は「御前」で丁寧な言葉だと屁理屈をいう人もいますが、上からものを言われている気がするのです。世の中で私のことを「おまえ」と呼んでいいのは父親だけだと思っています。しかし、過去を振り返ってみると、中学校くらいから同級生男子にはおまえ呼ばわりされていました。今でもそれは続いています。たまに飲み会で会うと、オジサン男子はオバサン女子を子どもの頃そのままに「おまえ」と呼ぶのです。それでも、私に一番近しい存在の夫は私のことを交際中から「おまえ」と呼んだことはありません。呼ばれたら「誰に向かって言っとるんじゃ、おい」と言い返す鬼嫁だからかもしれません。夫は人にそういう呼び方をするタイプではないのです。おまえって呼ぶ人って結構オラオラ系が多いと思うのですが、偏見でしょうか。今、鬼嫁の私でも、高校時代には憧れのセンパイに「おまえはさー」なんて頭をクシャクシャっとされると、溶けてしまいそうになったものです。朔郎は青葉を時々おまえと呼びます。私は、それがどうも気にいりませんでした。朔郎にオラオラ系の匂いがしなかったからです。青葉は受け入れていましたが。「おまえ」って特別なひとにだけ許された不思議な呼び方だと思いました。

それから、交際中に青葉が朔郎の前でおならをするシーンがありますが、これには驚いてしまいました。わざと出すものではなくて、出てしまったものなので不可抗力なのですが、私は結婚して20年以上が経ちますが、ただの一度も夫の前でおならをしたことがないのです。今までよくそういうタイミングがなかったなと感心もするのですが。あ、夫の方は私の前でもします。「もうっ!」と私は不機嫌になりますが、青葉も朔郎も笑ってしまい、後々までそのことをネタにするのです。私が青葉の立場なら怒ります。「いつまで言ってんだ?」とプイッとしてしまいます。こういうこと笑い合えるって、なんだか変わっているなと思いましたが、そこはうらやましくはないです。夫婦っていろいろだよなと感慨深く思っただけです。

夫よ、もっと思いやりを

結婚して、誰も知っている人がいない土地にきての専業主婦。青葉は毎日寂しかったたろうなと思いました。だんだん、青葉の世界が広がっていくのを好ましく思っていました。社宅の奥さんたちとの井戸端会議や、小さな書道教室は青葉の心を穏やかにしたでしょう。結婚が遅い分、長い間働いてきて、ぽつんと社会から取り残された気がしたのではないでしょうか。そこのところ、朔郎にもう少し思いやりがあればいいのにと思いました。朔郎は仕事に出て、朔郎の両親を青葉がアテンドするとか、新婚なのにあり得ません。仕事を休め、朔郎。もしくは朔郎の休みの時に訪ねてこい、義両親。青葉の立場になって憤慨しました。「オレの親を信用しろよ」とはよく言ったものです。美談のようで、これは勘弁してよと言ってもいいところではないでしょうか。青葉は一生懸命だったので、これは「妻の鏡だね」と褒めてあげたいです。

新婚一年目っていろんな新しい出来事があります。それが積み重なって日常になっていく…。何とも微笑ましいことです。普通の夫婦って一言で言っても、一緒であることは絶対ない。世界で一組だけの物語なのですね。あー、ほっこり。

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