笑う光源氏
「読めば読むほどイラつくな~光源氏って男はっ」
そうして三人はロレンス先生に光源氏が如何に性的にだらしなく、自分本位にしか物事を考えられない野郎だということを訴えたレポートを提出した。
彼女達は分かっていない。光源氏という人物が、誰よりも女性を尊び、愛し、女性を美しくさせる究極の理想の男性だということを。「紫式部オバサン」は決して「ヒマ人」の暇潰しに源氏物語を書いたのではない。世界に誇る日本文学と言われるのは、この物語が人間の持ち得る全ての情念を鮮やか、且つ、雅に描き出したからだ。
なぜ彼女達は分からないのか。それは、三人が少女であり、理想の男性と恋愛関係を持っていないからである。だから、光源氏と関わった女達の苦しみをそのまま受け取ってしまう。物語の表面しか読めないのだ。女達は確かに苦しむが、同時に喜びも味わうし、苦しみによって精神的成長も遂げる。そして、それぞれの持つ美点を咲かせ、散っていくのだ。
だが、少女である三人は年齢としても経験としても、源氏物語の真に語らんとすることが理解できない。
源氏物語のエピソードが初期段階で語られるのは、彼女達がそうした状況にあることを読者に提示するためである。そしてまた、彼女達と結ばれる男性達が頭を抱えたりため息をついたりするのは、三人が未熟な状態であるために、恋愛関係を持てないことを嘆いているためである。男性達はそうした深層心理には気付いていないだろう。例えば、俊介さんが勉強会の会話を聞いて耳をふさぐ場面では、彼女達がロリコンとか、変態とか、聖ミカエルのお嬢様なら口にしない言葉をポンポンと飛ばし、少年のような口調でかしましく話しているために、悲しくなってしまったと彼自身は思っているのだろう。特に俊介さんの場合、「貴重な青春を犠牲にして」育てた和音がサファリ・ランド、野性のエルザ化していることにショックを受けている。彼は乙女と呼ぶに相応しいお姫様像を和音に期待していたのである。それは、おそらく兄ちゃんやロレンス先生にしてもそうだろう。
しかしながら、彼等のそうした落胆は表層意識の上での話である。
三人の少女と三人の男
繰り返しになるが、彼等が感じる彼女達への真の落胆は、少女達が未熟であることだ。彼等は全員、成人しており、自活している立派な男性だ。だから、自分の伴侶を求めるのは自然なことである。そして彼等は伴侶として、深層心理としては少女達を想定している。だが、未熟な三人は彼等の想いを受け止めるには精神はもちろん、思春期には発露する性的欲求すら芽生えていないようであり、肉体の上でも受け入れる準備は整っていない。そんな彼女達を大人である彼等は待たなければならない。
そうして兄ちゃんは「深い深いため息をおつきになった」。
けれども、やがて三人は彼等と互いに伴侶となる。柚子はロレンス先生と、和音は俊介さんと結婚し、史緒は兄ちゃんと一緒に暮らす。少女でなくなった彼女達は、理想の男性と出会い、家庭を持つ(史緒の場合、こうした書き方は適切ではないが)。ようやく、男性達は少女達と想いを交わせるようになった。
兄と妹はセックスできない
ここで、史緒と兄ちゃんの関係に注目しよう。二人は兄妹だから結婚できない。だが、「夢だっていいじゃない」で描かれているように、兄ちゃんが本当に愛する女性は史緒ただ一人である。だが、彼女とは性的な関係を持つことは許されない。兄ちゃんが「ボクたちは血のつながった兄妹なのだからおのずと越えてはいけないカベとゆーものが……」と、ぶつぶつ語るのは史緒に向けてではなく、実際は自分自身に向けての戒めである。わざわざ手書き文字で活字と分けて書かれているのは、彼の深層心理から発するものという表現と考えられる。そうしたことから、性的欲求のはけ口が兄ちゃんには必要であり、「薄利多売の男女交際」を続けるのである。理想の女性が産みの母であった光源氏を思い起こさせる男である。
一方の史緒はどうか。彼女にだって性欲はあるだろう。そうした疑問に応える形となっているのが、史緒が生理痛に苦しむエピソードである。
史緒は無理解な兄ちゃんから食べ過ぎだなどと言われてしまう。痛みに悩まされる史緒は「お……男にも生理があればいいんだっ‼」と、心の中で叫ぶ。彼女は「運の悪い方が妊娠するんだ」と、マタニティ背広を羽織ったサラリーマンまで想像し、「……ふん!」「あーすっきりした」と、気を紛らわせる。
このエピソードで読者は、少なくとも史緒が妊娠に対して明るいイメージを抱いていないことが分かる。彼女の過去を知る読者にとって、史緒が妊娠にたいしてそうした見方をするのは不思議ではない。むしろ、納得する。
だから、史緒にとって理想の男性は子供を望まない男性である。時代背景も関係して、セックスと妊娠は直結して考えられている。柚子や和音は男性とのセックスを必ず伴う結婚という選択をしており、子供を何人も産んでいる。何人もの子供は何度もセックスを重ねていることを暗に表している。
生理が男性にもあり、「運の悪い方が妊娠」する世界を想像して鬱憤を晴らす史緒には、妊娠と一体となっているセックスは嫌悪の対象ではないか。彼女には快楽としてのセックスという概念はない。彼女にとって性欲というものすら嫌悪の対象かもしれない。
子供も望まず、セックスもしない男性。でも、一緒に暮らし、共に支え合える男性。それは、兄ちゃんの他にはいない。だから史緒にとっての理想の男性は兄ちゃんなのだ。
兄ちゃんはそうした状況だからこそ、精神の上では濃厚な繋がりを持つ妹と、肉体の上では交われないことを己に向かって言い聞かせるのである。
『笑う大天使』で源氏物語が用いられているのは、当初、柚子、和音、史緒の三人が恋愛や人生に対して幼い感覚であったことを示す他に、兄ちゃんを光源氏に似せて描くことにより、結婚以外にも男女が生活を共にする道を得る形を提示したのだろう。
だが、愛する女性と肉体を結べない道が、兄ちゃんにとって望む道かは分からない。
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