キャラクターからわかること
「僕」の装い方
「僕」は、幼稚園時代に僕の行った行動によって親や先生が不安そうにしていたことによって周りに溶け込む術を覚えたようでした。信頼している人を不安にさせているということには子供は敏感です。そういった経緯から「僕」は、幼稚園時代から自分は普通ではないことを察知していたと思われます。子供の頃の記憶というのは、その人の人生に影響を与えるものなのです。しかし、取り繕う、装う必要があるとまで覚えるべき時期なのでしょうか。まだ、早いと思えます。こういった子供にはなってほしくないです。子供には、異常であっても欲求や感性に敏感であってほしいと望むことは間違っているのでしょうか。「僕」の幼稚園時代の行動は、子供が親や幼稚園の先生を心配させまいとして移した行動、もしくは子供ながらに仲間外れにしないでほしいという心から生んだ行動なのかもしれないと感じます。
「僕」は、幼稚園時代の記憶から瞬時に人の心を察知して溶け込む術を得ようとしています。その時点で学習能力と適応能力が高いと思いました。それらの能力を高校生になってからもずっと使い続けてきたのでしょう。
「世間で好かれるような価値観を知り、それを覚えて装うことで、僕は問題のない人間として生活することができる。」
この文章から幼稚園時代の出来事やそのほかにあったのかもしれない周りに合わせなきゃいけないという精神をもって生きてきたことがわかります。しかし、どれだけ適応能力が長けていても、疲れてしまう時もあります。自分以外にはわかってもらえる人も、受け入れてくれる環境もないといった状況は、どういった人間にとってもつらいことです。森野が声をかけなかったら、「僕」は孤独の中で一人生きていたのかもしれません。休憩の時間を作らずに生きることは大変ですからよかったと思います。森野への執着がある「僕」なので、今後、「僕」が殺してしまうということもないとはいえません。そうなったとき、「僕」はどうなってしまうのか気になるところです。
GOTHの登場人物である「僕」と「森野」は一見すると共感をしにくいキャラクターのように思えますが、彼らの考え方を覗くうちに共感できる部分もあるのではないかと感じました。一つ一つの行動や考え方だけをとってみれば、GOTHの登場人物たちのような人はいます。そういた人たちのことを考えるきっかけにもなるのではないでしょうか。また、GOTHを通じて共感し合うことができるかもしれません。
リストカット事件における「僕」の行動について
リストカット事件において、「僕」は犯人である篠原を騙して篠原が持つ手たちを手に入れています。リストカット事件の犯人が篠原だと考えられる部分や手を得るために家に忍び込む部分は、森野と話し出す後より実行力が高いと思いました。一人で行動することができていたからこそかもしれません。しかし、森野と話し出す後の「僕」の方が思慮深く、軽率な行動をしないと思いました。森野と話し出す前と後で「僕」にも変化が生じているのだと思いました。そして、その変化が若いからこその行動力のように例えられていてもおかしくないようなものだと感じました。「僕」にとって、森野との出会いは確実に「僕」の価値観を強化し、殺す側としての自覚を強めています。この出会いは「僕」に影響を与えていることが現れているリストカット事件だと思いました。
また、「僕」がなぜ森野へ執着を見せるのか、という問いの答えが少し出てきました。死のうとしたリストカットの跡がきれいだと「僕」は感じているようです。死という言葉だけではなく行動や跡にも魅力を感じる部分があるのかもしれません。
土に出てくる登場人物、佐伯について
佐伯はコウスケの前や家族の前など、周囲の前では自分が土に埋めたいという感情を隠してきました。でも、欲求を押さえることができなかった。押さえつけるものがなくなったとき、人は欲求のままに生きるのだと示唆しているようです。人の欲求を押さえつけているものは、法律やモラル、人との関係などの社会で生きていくためのものです。特に、人との関係が佐伯を押さえつけていたように思えます。祖母が大きな影響を与えていたのでしょう。花を育てることを教えてほめてくれた祖母が、土を、人を埋めるために使うこと、人を埋めるという行為そのものに良い感情は抱くことはないと考えていたため、行動に移すための制限がかかっていたのだと感じました。しかし、祖母を悲しませるようなことはしないという理由だけではないように思えます。行動を起こしたのは、祖母という佐伯が守りたいと思っていたものがなくなり、制限がなくなったことが大きな原因です。人は大切にしたいものができたとき、犯罪を起こすことが減るのだと感じます。大切なものを傷つけたくないから、守るために犯さないようになる。しかし、その逆はどうなのでしょう。その逆の一例が佐伯のように思えます。守りたいと思えるものがなくなり、欲求の方が勝ってしまえば行動に移すまでなのです。
コウスケは佐伯を信頼していた、コウスケの家族もそうでした。佐伯には、コウスケたちの信頼は祖母や家族の喪失による欲求の増加を抑えるためには及ばなかった。佐伯にとって、祖母という存在はすごく大切なものだったのだと感じられました。
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