生命誕生まで思いを馳せてしまった作品
目次
いかにも不吉な始まり方
この映画は、いかにも不吉な始まり方をする。その不吉さは不気味で、個人的には好みだったので、どんどん映画にのめり込むことができた。
何者かからのメッセージを受け取ったかのような少女ルシンダは、取り憑かれたかのように手紙に数字を書き連ねる。その手紙は創立記念イベントでの50年後に開けるタイムカプセルに入れられ埋められた。
それから50年がたち、カプセルを開けてその手紙を受け取ったのは、少し難聴気味のケイレブ。ニコラス・ケイジ演じるジョンの息子だ。ここからストーリーの展開は早い。ケイレブの補聴器の不調から始まり、不可解な数字の謎もどんどん解けていく展開の早さに、画面から目が離せなかった。
この不吉な少女ルシンダは、後にルシンダの孫アビーとして再登場する。彼女もうまいけれど、ケイレブを演じているチャンドラー・カンタベリーも相当うまい。外国には時々凄みのある演技をする子役がよくいるが、彼ら二人もまさにそんな俳優だった。
書き連ねられた数字の謎
読点も何もなくただ書き連ねられた数字には一見なんの意味もないように見えた。だけどジョンが誤ってその手紙の上にコップを置いてしまい、丸いコップの後がついてしまう。丸で囲われた数字は一気に意味を持って見えてきた。このあたりの観客への理解のさせ方が実にうまいと思う。妙に説明口調になってしまうと観客の気持ちがストーリーから離れてしまうし、かといって何の説明もなければわかりづらい場面である。それを手紙にコップの後をつけるということで解決した、心地よい場面でもあった。
ジョンが夜通し解読したのは、その数字は大災害の起こった日付と犠牲者の数を表していること。ルシンダが何ものからメッセージを受け取り手紙に書き連ねてから50年の間に起こった大災害がもらさず書かれていたのだ。これに気づいたときのニコラス・ケイジの表情が良かった。認めたくないものをそこに認めてしまった人間の表情をうまく演じていたと思う。
ただ、日付と犠牲者の数は分かってもまだその間には未解明の数字が残る。一気に解明しすぎるとそんなうまい話がないだろうと思ってしまうので、そこはリアリティを感じた。
残された数字の謎が解けた飛行機事故
その手紙には未来に起こる日付も記されていた。未解明の数字はありながらも分かっている部分は確実に未来、それも次の日に起こることを示していた。半信半疑ながらもどうしようもないジョンは、世界のニュースを見ながら深酒して寝てしまう。この展開がとてもリアルだ。ヒーロー的にどうにか止めようとするのではなく、どうしようもないけど落ち着かないからついお酒を飲んでしまうやるせなさを、ニコラス・ケイジがうまく演じていた。
次の日ケイレブを迎えに行ったジョンは大渋滞にはまってしまう。焦りながらも小学校への別のルートを探そうとナビを操作しているうち、画面右上の数字に気づく。緯度と経度のGPS座標だ。未解明の数字は座標だったと気づいたジョンだったけど、手紙の指している座標はまさに今自分がいるところで日付も今日だ。そう気づいたとき、ジョンの真ん前に飛行機が落ちてきた。滑りながら炎上し爆発する飛行機の映像はとても迫力があり、同時にショッキングなものでもあった。
衝撃を受けながらもとりあえず救助に向かうのもリアリティがあった。どうしたらいいのかわからないけれどとりあえず行かなくてはといった、明らかに事故に飲み込まれてしまっている表情で、リアリティを感じたところだ。
そしてこの飛行機事故で、あの手紙に書かれている数字が一気に信憑性を増した。この展開がうまいと思う。謎を残しながらひとつずつそれをうまく解明していく。解明できた途端防ぎようのない事故に巻き込まれてしまうところなど、観客を飽きさせない展開だと思った。
数字の表す意味に飲み込まれたかのようなジョン
数字のもたらす意味を解明した後のジョンののめりこみ具合と憔悴振りはなぜそこまでと思えるものだった。でも理由がある。妻を失ったビル火災の事故もその数字に予言されていたからだった。それがもっと前に分かっていれば妻を救えたのにという無念さが彼を動かし続けていた。ここは切ないところだ。
ジョンがダイアナに、「妻が死のうとしていた時、僕は芝を刈っていた。虫の知らせもなにも感じずに」と言う場面がある。静かながら深い悲しみを感じさせる現実的なセリフだと思った。
こういう心理描写が巧みなので、ジョンの行動の動機が理解できる。だから余計に感情移入してしまった。
地上で起こるかと思った惨事が、まさかの地下鉄
飛行機事故が起こったことで数字に信憑性が一気に増し、ジョンは次に書かれている座標を割り出して、何とか止めようと奔走する。170人もの犠牲を出すという次の事故は日付けは分かっているものの、時間は分からない。世界中の惨事を予言しているのだからしょうがないところだけど、時間さえ分かればという思いをどうしても感じた。
地上を奔走するうちに警戒中の警察に不審者扱いされ、地下鉄に逃げたジョンは挙動のおかしい人物を見つけ追いかける。結果その男はただの万引き犯だったのだけど、この追いかけている間中に流れている音楽が実に安い。今どきこんな音楽をつける映画もあるのかとそこは残念だった。この映画はそういうハラハラするところでいつもそんな安い音楽をかける。そこは気に入らないところだ。
ともあれ、その男を追いかけたためジョンも地下鉄事故に巻き込まれる。対向車両が脱線したのだ。ここからは怒涛の迫力のある映像だ。福知山線脱線事故が2005年で、この映画の公開が2009年だったため、多少あの事故をモチーフにしたのかもしれない(犠牲者も170人と近いところを持ってきている)が、あの事故を経験した人は見ない方がいいだろうと思えるくらいのリアルなものだった。
映画の脱線事故は静電気のようなものでポイントが故障したことで起こったものだったけれど、その静電気は太陽フレアの影響だという伏線はなかなかよくできていると思う。
最後までわからなかったEE
そもそもルシンダは取り憑かれたように数字を手紙に書いている最中、しびれを切らした先生によって取り上げられる。だから取り上げられたのに最後まで書けたの?という疑問が残っていた。時々そういう疑問を解決せず放置のままの映画もあるけれど、これはちゃんとそれを解決してくれた。そしてルシンダがなぜ体育倉庫に閉じこもってドアに数字を書き連ねていたのかも。取り上げられて書けなかった最後の数字、座標を書こうとしていたのだ。ジョンが33と勘違いしたのはEEでEVERYONE ELSE。“全ての人類”という意味だった。ここの展開は個人的に感じていた疑問を払拭してくれたので、すっきりしたところでもある。
ケイレブとアビーを連れていったもの
映画の間中ケイレブにつきまとっていた謎人物は、最初宇宙人的なものかと思っていた。そういうものを安易に出されるとがっかりしてしまうので、出てくるたびにちょっと残念な気持ちになっていた(映画「サイン」もまさにそんな感じだった。途中までは面白かったのに、オチが毒霧を吐く宇宙人というのはあまりにひどい)。だけどいよいよ地球が滅亡すると言う時、ケイレブらを乗せていったものこそ宇宙船のようだったが、彼ら自身は羽を生やしまるで天使のようだった。ケイレブとアビーと一緒に連れて行っていいと言われたつがいのうさぎもあり、ノアの箱舟を思い出させた。
子供を持つ者からすれば、勝手にアビーを連れ去られた母親の半狂乱の気持ちは痛いほどわかる(あの車の事故もショッキングだった)。ケイレブを彼らに託す決心をしたジョンの表情も、ケイレブの悲痛な表情と合わさり、胸が痛くなってしまった。
彼らによって別の星に降ろされ新たなアダムとイブになったケイレブとアビー。地球に命が生まれたのは海にある元素が結びつき有機体へと進化したからだと言われている。一方そのように元素が偶然に結びつく確率は、飛行機工場が台風で襲われた結果偶然飛行機が組み上がるくらいの確率だということも何かで読んだことがある。
そんな奇跡的な確率よりも、もしかしたらこちらのほうがリアリティのある人類誕生の物語かもしれないと思った映画だった。
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