妄想が現実を侵食する~くせになる岸本佐知子の脳内劇場~
目次
果たしてこれはエッセイか?独特の奇妙な世界感
変わった思考回路を持った人だな…、というのが、エッセイを読んだ最初の印象。
その前にこれをエッセイと言っていいのか、という疑問も湧く。このエッセイを読むまで、私はエッセイというものは書き手が実際に体験したことや考えたものを書き連ねたものだと思っていて、辞書などで調べてみても、その認識は間違っていないと思われる。
だが、彼女のエッセイは、実体験を書いているのかと思えばそれは現実とは異なる奇妙な世界の話だったり、過去の思い出話は単なる記憶違いか、それとも本当にこんな変なことがあったのか判別できない不可思議なものであったりする。
どんな人なのか気になってネットで検索してみると、出てきた写真は想像と違いなんとも普通、というかむしろかわいらしい容貌。この人が脳内でムカつく人間をぶった切ったりトイレットペーパーと会話しているなんて、想像もつかない。
過去の記憶は事実かフィクションか?いつの間にか迷いこむ謎の岸本ワールド
エッセイを読むのが好きだ。エッセイは日本語で言うと随筆、国語や歴史の教科書でおなじみ吉田兼好いわく、「よしなし事をそこはかとなく」書き連ねたものであり、ちょっとした空き時間にサラッと読めるのがよいと思っていた。岸本佐知子のエッセイを読むまでは。
彼女のエッセイ、というかそれこそ脳内に浮かぶものを書き連ねた文章は、サラッとしていない。ざらつく。頭に残る。べぼや橋、ホッホグルグル、ごんずい玉、といった実在するのかしないのか、よくわからない名称が忘れられなくなってしまう。
エッセイを読んでいて、著者と共通の体験をしていたとき、あるある、と嬉しくなるものだが、岸本佐知子の場合、あるあると、いやそれないでしょ…との振れ幅がすごい。
お風呂でバンドエイドをはずしてそのまま置き忘れる、という文章にあるある、と思いきや、小学校低学年の頃、『あしたのジョー』を読んで、ジョーがパンチをくらったときに口から飛び出すのが肝臓だと思っていたり、子どもの頃とはいえ、ほんとか?と思えるエピソードがあったりする。
過去の記憶をいうのは、特に子どもの頃の記憶は夢と混じっていたり、いつの間にか捻じ曲げられていたりすることもあるというが、岸本佐知子の場合は特にその傾向が強いようだ。
小学校三年のときに入院した思い出話では、後半の同じ病室にいたおじさんがお腹から出た管に耳をつけてうんうんうなづいていた、というところから怪しくなり、退院後に先生が「キシモトさんはこんな小っちゃな壺に入ってしまうところだったのを、頑張って戻ってきました」と言ったのも、実際にあったことなのか、後付けの妄想なのかがわからない。先生がそんなこと言うか?とその発言にかなり疑問を持つも、彼女は何十年も前のなんでもない日の夜のことを正確に覚えていたりするし、もしかしたら本当のことなのか…。それともあえて真偽のわからないフィクション仕立てのストーリーにしているのか、読者を混乱させる。
立派な経歴とその内面のギャップ
岸本佐知子の本業は翻訳家であるので、エッセイが出た当初は読者から「全然翻訳のことが書かれていない」という不満があったらしい。私は彼女が翻訳家であることを知らず、書店に並んだエッセイ本のコーナーでタイトルが気になり買い求めたので、そういう不満は全く持たずに済んだ。だが、以前読んだロシア語通訳・翻訳のカリスマ、故・米原万里さんのエッセイもかなりおもしろかったので、翻訳に関わる人というのは変わった人種なのかも…という偏見ができてしまった。
岸本佐知子は経歴を見ると、世田谷で育ち、上智大学卒、サントリーで社員として働いていたこともあるという、一見順風満帆な人生を歩んできた人だ。だが人から言われた冗談を真に受けてしまう、空気が読めない「気がきかない」「気がつかない」星人であり、幼稚園に入ったころから自分が他の人のように自然に社会に溶け込めないことがわかり絶望していたという。
人は外見やその経歴だけでは測れないものだ…とつくづく思わせてくれる。
妄想のススメ。妄想力を全開にすれば、快適な生活が送れる…かも
この本のなかで私が特に好きなのは、岸本佐知子の妄想が炸裂する「マシン」と「奥の小部屋」の二編だ。岸本佐知子が子どもの頃家にあった足踏み式のミシン。そのミシンに座り、ペダルを踏むうちにミシンはずだだだだ…という音と立てて猛スピードで走り出す。その先は断崖絶壁。
これを読んだときに、私は子どものころ友人たちと時々やっていた遊びを思い出した。友人が漕ぐ自転車の荷台に後ろ向きに、背と背をくっつけるようにして乗り、目をつぶる。自転車は走り出し、スピードはどんどん速くなる。大丈夫、とわかっていてもどんどん怖くなり、ついには目を開けてしまうのだ。
私にはミシンひとつでスリルを味わえるような想像力はなかったので、実際に動く自転車に乗ってだったが、同じようなスリルを味わっていたんだな、と思うと少し嬉しかった。
もう一つの「奥の小部屋」。これを読んだときは、この人ここまで自分の頭の中をオープンにしてしまって大丈夫なのか?と心配になった。だが、頭の中でなら何を考えても自由だ。時折思い出す、今だにはらわたが煮えくり返るような過去にあった出来事も、岸本流の小部屋を自分の脳内にも作り上げてみると、これがなかなか痛快。実際に手を下さないので罪に問われることなく、嫌な人間に鉄槌を下すことができる。
それにしても、頭の中で単に嫌な人間を真っ二つに切る、というのではなく、小口切り、そぎ切りにして内蔵も出して、自転車まで三枚おろしにしてソテーして食べてしまう、その想像力にはまさに脱帽。
私も一瞬でそこまで考えられる想像力、いや妄想力があれば、過去を振り返りくよくよする無駄な時間を過ごさずに済んだかも。
彼女が翻訳した小説には、彼女が書く文章同様、奇妙で漠然とした不安を抱かせる設定のものが多いとのこと。次はぜひ岸本エッセンスに満ちた翻訳小説にチャレンジしてみたい。
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