重く暗いながらも奥深い味わいの余韻を残す映画
後味が悪い映画の代表作ではないか
個人的に、映画は暗く重いサスペンスが好みだ。いい映画ならたとえ後味が悪くとも、それは重々しく複雑な味わい深い余韻を残す。そのような映画を探すために新しい映画を見るといってもいいくらいだ。でも最近全く映画にヒットがなく、ここのところは昔の映画をひっぱりだして見ることが多い。そして、今日は絶対に暗くて重い映画を見たいと思ったときに選んだ映画がこれだった。失敗したくないから過去に一度見たものを選んだのだけど、不思議なことにほとんど覚えていなかった。昔見たときは後味が悪いというよりも3人全員が不幸すぎてつらかったことを覚えている。だけど犯人は誰かとか、誰が被害者だったかとか細かいことは全く忘れていたので、ある意味それはラッキーだったかもしれない。
この映画が公開されたのが2003年というのも意外だった。もっと昔の映画だと思い込んでいたからだ(もっとも2003年でも十分古いのかもしれないが)。出てくる俳優たちも今ならそれぞれ一人ひとりが主役になれるほどの豪華キャストで、その印象が強かったからこそ昔の映画だろうという頭があったのかもしれない。
ショーン・ペン、ケヴィン・ベーコン、ティム・ロビンスだけでも豪華すぎるのに、ローレンス・フィッシュバーンやローラ・リニーまで決して脇役でなく、しっかりと出てくる。そしてそれぞれはさすがにしっかりとした演技だ。もちろん有名俳優をたくさん出してそれだけで客を呼ぼうとするような意図が感じられる映画もあるにはある。しかしこの映画はそのような客寄せのような印象は全くなく、それぞれの役がそれぞれの俳優でないと努めることができないであろう迫真の演技を見せてくれた。
ティム・ロビンスの凄さ
この映画の肝はショーン・ペンの悲しいながらも鬼気迫る演技もさることながら、ティム・ロビンスのその重厚な演技にあると思う。個人的には彼は好きな俳優で数々の映画をよく見ているが、どの映画でもティム・ロビンスが出るとそのストーリーに重みが感じられ、締まるように思う。あまりにも有名な「ショーシャンクの空に」はもちろん、「ジェイコブズ・ラダー」や「宇宙戦争」など、彼の演技の重さを感じることのできる映画は多いと思う。しかしやはり彼の演技を語りたければこの「ミスティック・リバー」を外すことは出来ないだろう。少年時代、乾きかけのコンクリートにいたずら書きをしていた3人は、それをとがめてきた男性に親に伝えるから車に乗れと強制される。誰が乗ってもおかしくなかったその状況で乗ったのはデイブだった。4日間誘拐され性的暴行を加えられながらも、無事逃げることができたデイブは、成長して結婚し一人の男の子をもうけている。ここでその3人が掘り込んだコンクリートが写るのだけど、引越しもせずまだその町にいたことに軽い衝撃を受けた。嫌なことがあれば住むところを変えればいいと思っていたけれど、それができない事情もあるのだろう。それは辛すぎる話だ。一体彼はどのようにあれから成長したのだろう。成長した他の2人、ジミーとショーンに比べたら明らかにデイブは老けているように思う。笑顔も少なく、自身の子供に対してもどこか2枚も3枚も壁を通しているような、そんな気がした。そこは小児愛を嫌悪ししすぎているから故の警戒があるのかもしれない。
自身の体験を語るとき一人称がデイブになるところなどはアドリブではないかと思えるほど、ティムの演技のどこをとってもデイブの生き様を物語っているような、全身でデイブを理解して演技しているようなそんな気がした。
それを最も感じたところは、デイブの妻が彼への疑いを止められなくなってきているところに対するデイブのあの表情だと思う。自分は違うと言えば言うほど自分が怪しいといっているようなものと捉えられている悪循環、俺を疑っているのかと詰め寄ったときのあの表情は、この映画の一番記憶に残る場面の一つだと思う。
ショーン・ペンの奥深い演技
犯罪社会から足を洗ったとは言えども、その言動にそれなりの威圧感を感じさせるジミーをショーン・ペンがうまく演じている。マフィアにしか見えないようでもだめだし、でもチンピラと見えてしまったではだめなこの微妙な役回りは、ショーン・ペンがぴったりだと思えた。個人的にショーン・ペンは「デッドマン・ウォーキング」で強烈に印象に残った俳優で(この映画がティム・ロビンスの監督だというのも頷ける話だ)、その後は「ザ・ゲーム」で出来の悪いヒステリックな弟の演技が抜群にはまっていた。今回のこの映画も相当難しい役回りだと思うけれど、その感情を抑えた演技で重さをストーリーに与えていたと思う。ショーン・ペン演じるジミーが激昂したのは娘が死んだ場所で娘に合わせようとしないケヴィン・ベーコン演じるショーンと向かい合ったときだけだ。後は常に哀しみも怒りも抑えたままだった。だからこそ余計に凄みを感じる。怒りを辺りに撒き散らしているサベッジ兄弟に比べると格が違う恐ろしさだ。それは“娘が殺された”というただそれだけの純粋な怒りだからこそ、余計に恐ろしいのだと思う。デイブを撃つときに見せた彼の悲しさの表情は、ジミーの娘ケイティが最後にジミーに見せた「もう二度と会えないような」目つきだった。ジミーもまた情が深すぎるゆえの悲しみを抱え続けて生きてきたのだと感じさせた場面だった。
また少年時代のジミーを演じた子役が抜群にはまっていたと思う。あの子役や大きくなったら絶対にショーン・ペンのような顔立ちに成長すると思う。子役でここまではまったのは、「大いなる遺産」のイーサン・ホーク演じるフィンの子供時代を演じたあの子供だ。彼も成長したら絶対にイーサン・ホークのような顔立ちになると思う。よく見つけてきたなと思えた子役だった。
他の役者たちの役回りとその演技
ケヴィン・ベーコン演じるショーンと相棒を組むパワーズという刑事をローレンス・フィッシュバーンが演じている。これは初め、別にこの人でなくてもいいのではないかと思った。しかしケヴィン・ベーコンと相棒を組ませるのにはやはりこれくらい存在感のある俳優のほうがいいのではという気がする。また意外にも情に流されやすいショーンを引き戻す役割も果たしている。感じる以上の存在理由のある役なのかもしれないと思った。
またジミーの娘ケイティ役のエミー・ロッサムは「デイ・アフター・トゥモロー」で可愛らしい高校生役を演じていたことが印象的だったけれど、この「ミスティック・リバー」の方が先だったということは知らなかった。ティム・ロビンスの実際の年から違和感を感じさせるほどの老け具合もさることながら、彼女の変身の仕方も素晴らしいと思う。
あとはデイブの妻を演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンの不安に苛まされる風は、こちらも胃がキリキリとするくらいの辛さを感じさせた。愛しているから疑いたくもないのに、ろくに説明もしてくれないうちから、誤解でも状況証拠がどんどんそろってくるところは誰かに吐き出さないと爆発してしまいそうな状態だったのだろう。その苦悩をジミーに伝えてしまったのはいささか時期尚早ではないかとも思えたけれど、セレステの弱さを演出するところだったのかもしれない。それに比べてジミーの妻アナベスは全く強い。当初はジミーの妻になるには印象が弱すぎるのではと思いきや、したたかさと強さを兼ねそろえたアナベスは全くジミーにぴったりだ。その妻をローラ・リニーが演じているのだけど、彼女はこのような微妙な役どころを演じるのが実にうまい。「トゥルーマン・ショー」でもそうだった。今回ケイティが死んだときに、実の娘ではないのかと感じさせた微妙な悲しみ方(実際そうだったことは後で分かるのがまた小憎らしいところだ)や、最後パレードを挟んでセレステを見たときの顔つきなどがすごい演技だと思わせてくれた。
ラストに向けて避けられないであろう悲劇の予感
自身を守ろうとしてしまう嘘がこうも悲しい結果を呼んでしまうのか、最後ジミーに銃を突きつけられたときに話したデイブはきっと初めて本音を出したのかもしれない。そして生きたいと思ったのだろう。真実とは違う自白をしてしまうところはリアリティの極地だと思う。最後ジミーも法によって裁かれたのだろうか。若干ショーンが頼りなく思えるところは子供時代から変わらないところなのかもしれないが、最後のパレードのシーンで見事に相互の心象を映し出してみせた監督クリント・イーストウッドの才能を再確認できた作品だった。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)