キャストに疑問
ミスキャストと言わざるを得ない
なぜこの素晴らしい脚本に、この俳優陣なのか?疑問を投げかけずにはいられない。
主人公は、吉田栄作演じる「たくや」では決してないはずだ。いくら時代がバブルであったとしても、いくら時の人気者を使うことが視聴率を取りに行く手段だったとしても。
吉田栄作目当てで見始めた人には、あまりにもドロドロすぎて、世の中がバブルで騒いでいたあの時代の女子高生たちには、とてもじゃないが付いて行けない展開であった。
田中美奈子も然りである。
とにかく演技が下手すぎる。影がありそうな女優は他にもたくさん居たはずで、不幸そうな顔でもなければ、そんな背景を決して見せないでセリフに思いを乗せられる女優も他に居る。
残念ながら、このドラマで唯一必要だった俳優は山口智子ただ一人と言っても過言ではない。
脚本、効果音、ストーリー展開などが素晴らしいだけに、とても悔しい。
景気の良いこの現代に、演技上手な役者を揃えて、ぜひリメイク版をやってもらいたいドラマだ。
25年の時を経てもなお・・・
このドラマを初めて見た時の衝撃は、その後に流行る血縁関係ドロドロの韓国ドラマを彷彿とさせるものがあった。
25年の時を経たつい最近、再放送をじっくり見ながら、時代的に過激シーンはカットされていたものの、全てがこうなると鮮明に蘇った上で尚、25年前と同じ感想を持った自分に驚いたものだ。
「俳優を替えて、時代背景も変えて、ストーリー軸はそのままで、誰かリメイクしてくれないかな」と。
DNA鑑定が身近になり、何でも簡単に検索出来てしまう今の世の中で、それでも尚、運命に翻弄されながら逞しく強かに生きる若者にも「愛」こそが人間の本質を替えてしまう力があるのだと言う事を。
もう誰も愛せない。だとしたら・・・
かなり序盤に吉田栄作演じる「たくや」が、タイトルをわざわざ言ってしまう事で、このままストーリー展開か落ち着いてしまうのではないか?と疑った人も多いのではないだろうか?
だが、みんな知っていた。一話でも見逃すとストーリー展開が早すぎて付いて行けなくなることを。それがこのドラマの狙いだったのだとしたら、見事である。
「みゆき」が最後まで悪者になり切れなかった事と同様に「たくや」の本心にも「愛」と「愛情」の違いをもう少し見出して欲しかった。
セリフにない行間に、それら脚本家の意図をどれくらい自然に出せるか・・・そこに俳優魂がいかに込められているか、ぜひ見たいものである。
幸せそうな名家のお嬢様でも、親を知らずに育った人にも、誰かを「愛する」誰かに「愛される」ものなのだ。
しかし「愛情」は、育った環境如何では、その「大きさ」を図ってしまう。どんなに愛していようとも「愛している」と言葉に出した途端「信じる」か「信じない」か、受け止め側の主観で変わる。
どんなに愛されていようとも、本人に信じる心がなければ、それは虚しいものになる。
「もう誰も愛せない」たくやが、もしもこう言ったとしたら・・・たった一文字の違いが、このドラマを陳腐なモノにし、時の流れに埋もれて忘れ去られて行ったのではないだろうか。
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