能楽を通して知らない事を知る楽しさと、この世界のあたたかさに触れる
目次
作者の成田美名子さんの能への興味と愛がそのまま作品になっている。
元々、作者の成田美名子さんの大ファンで、『エイリアン通り』からずっと追いかけて全ての作品を読んできました。
そういったコアなファンからしてもこの『花よりも花の如く』は、ジャンルがかけ離れたものだといえると思います。
成田さんは、自分の興味、関心が自身の描く漫画に色濃く繁栄されるタイプの漫画家だと思うのです。
『エイリアン通り』始めとした初期作品でアメリカの暮らしが多く描かれてきたのは、成田さんが洋楽ファンであったからに他ならないと思います。
その後、『NATURAL』で、外国と日本の中和がされます。故郷の青森を描く中で、弓道、神社、そして、能への興味が高くなっていくのを、作品から感じ取る事ができました。
だから『NATURAL』が終盤になってきたころには、私の中で、成田さんの次の漫画のテーマは能の世界になりそうだな。と、考えていたほどです。
日本人でもなかなか知らない伝統芸能「能」の奥深さに魅了される。
この作品は前作『NATURAL』に登場した、榊原西門の兄の榊原憲人を主人公としたスピンオフ作です。憲人の仕事は能楽師。
だから全編が能楽の世界と繋がっています。
そこには、普通に生活していたら死ぬまで知ることがなかったに違いない、能のアレコレが語られていました。能と狂言の違いすら、一般の日本人は理解していないかもしれない中で、この伝統芸能の舞台をテーマに創作しようと思う成田さんの気合いを感じます。
普通、漫画家はそのテーマに関心がある人が一定数見込まれるテーマで漫画を描くのだと思います。
だからこそ、学園ものや、スポーツものは必ず需要がありますし、日本らしいといえば日本史の分野や、将棋、囲碁など、やはり勝敗があり、物語に起伏がおきやすいテーマがあふれています。
「能」の世界を舞台にするということで、多くの人にその魅力を伝える使命感みたいなものも持っているのだと思うのです。
また、成田さんがここにきて「能」を舞台に描いたのは、前作『NATURAL』ファンはそのままついてきてくれるだろう。という思いもあったでしょうが、やはり、古くからのファンには認めてもらえるという気持ちがあってこそ。だったと思うのです。実際、成田美名子の作品には、外れはなく、ファンは裏切られない安心感を持っていると思います。
そして、この作品を読むと、今まで知らなかった能の世界に魅せられていきます。
まず、能の噺のストーリーが面白いということがあります。古い時代の日本人の考え方をその作品を通して知るのです。考え方だけでなく、その暮らしぶりや、文化まで、実に幅広くストンと入ってきます。
主人公の榊原憲人(さかきばら のりと)は、幼少期から古典芸能の世界に覚悟を持って生きています。
いわゆる、「この家に産まれたからには能の世界で生きていき、次世代に伝える義務がある。」というような家庭でいきているのです。
身近にそんな友人がいない私にとって、それだけで興味深かったのです。主演をはるシテ方能楽師。主役と相手役、それぞれの家系があるというのには驚きました。
それ以外にも、母方の実家が神主の家系で、主人公憲人の弟の西門がそちらに養子に出されている。という「和」の設定。ここからも、成田美名子さんの伝統継承の意気込みを勝手に感じていました。
その後、作品中に出てくる能も、『経正』、『石橋』、『猩々乱』など、歴史好きな人の心をくすぐってくれます。
やはり、登場人物はみんな愛に満ちていて、人の思いがたくさんたくさん込められている。
やはり、味のあるいい作品。人の心のあたたかい部分、信じていれば思いは必ず伝わるし、いつか、わかりあえるというメッセージを上手く伝えています。これは、『エイリアン通り』や『サイファ』のテーマと似ています。
成田さんの中の一本、筋の通った譲れない部分なのでしょう。
成田美名子さんの漫画には、悪意をあからさまに持った人間が出て来ないと思っています。
よく言えば、心が洗われれますし、登場人物の心の中の悪意をみつけた時の葛藤も、それを乗り越えて前向きに進んで、希望に満ちた未来に向かってくれると信じています。
悪く言えば、よい子ちゃんのキレイゴト漫画なのかもしれません。
この部分を、性善説の軽い漫画だと否定的に言う人もいるかもしれません。
この作品の中では、特に今流行りの漫画に出てくるような悪意に満ちた、心の荒んだ、読後感が悪い人物はでてきません。自己顕示欲の塊のような人物もみかけません。
なぜ、そういう人物が登場しないのか?
もし、そんな人物がいたら、そこで『能』への興味は途絶えてしまうだろうと思うのです。
能の素晴らしさ、伝統芸能の良さを伝えるには、
やはり、今の作品のスタンスが大前提だと感じざるを得ません。
ちっとも進まない憲人と葉月の恋愛。ムズキュンではなく、ムズムズムズ…
それにひきかえ、いただけないのは恋愛要素。
まるで中学生かのような、のらりくらりとした恋愛で、キュンとくるポイントはほとんどありません。
多分、憲人が良い人すぎて、恋愛に向いていない上に、正論はしっかり言葉になっているからでしょう。
読んでいて納得させられてしまう事が多いのです。
恋愛の醍醐味とも言うべき、
もう、どうにも思いが溢れて。。とか、気持ちと身体がうまく合致しなくて悩んだり。
というような気持ちにならないからだと思います。
でも、この『花よりも花の如く』は現代日本の漫画でありながら、古典の時代と繋がっているのですから、そんな時代の恋愛に敢えて寄せているのかもしれませんね。
そう考えて読まなければやってられないレベルのムズムズさです。
恋愛については今後たくさんあたたかく見守っていこうと考えています。
憲人は、本当にいい人なのか?
いや、この漫画に出てくるみんながい人なのです。
憲人は、作中でいい人だとイメージづけられています。
確かに誰にでも優しい良い人の憲人。
でも、子どもの頃、母方の実家である青森に養子に出されるのが、西門だとわかった時、安堵してしまいます。そんな自分の気持ちがわかり、嫌気が差し、葛藤する姿も描かれているのですが、それも、憲人をよく見せるためのあざとい演出に感じる程に良い人に描かれています。
西門にも赦され、受け入れられる憲人。
葉月にしても中途半端に良い人なのです。葉月くらいは、ものすごい悪女で、それに翻弄される憲人、それを見て笑いを堪える家族、という設定くらいあってもスパイスが効いていたかもしれません。
先ほど述べた成田美名子節とでも呼べそうな、根底的テーマに繋がってくる部分です。
憲人を取り巻く環境もなかなか面白いです。
職場にあたる連雀能舞台の人達の人柄や
憲人、葉月の家族など、誰もがあたたかく包み込んでくれます。
以前、夫婦喧嘩した時に閉じこもった部屋で、ふと目についた『花よりも花の如く』を読んだら、イライラしていたのが嘘のように晴れやかになった事があります。
でも、我に帰る自分もいる。
「いやいや、世の中、そんなに良い人ばかりではありませんよ。もっと、ドロドロとした汚い感情が渦巻いてるじゃないか。」
成田美名子は、その絵で読む人を説得させる力を持っている。
その絵こそが、この世界の優しさを教えてくれる。
この世界のブラックな部分に気がついたとしても。
それでも、本を閉じたとき、カバーから放たれる美しい、ただただ美しい表紙絵を目にすると、なんだか、成田さんの伝えたい事を信じてみたくなる。
繊細で色合いも優しいイラスト。そこにいる憲人はいつも優しい目をしています。
「信じていいんだよ。この世界はあたたかいもので出来ているよ。きっと、うまくいくよ。」
そう、励ましてくれているように感じるのです。
そのあたたかい主人公と登場人物、成田さんの優しい絵。
その全てが、『能』という伝統芸能を継承していく人の心。そのストイックさと、覚悟ある優しさを読み手に伝えるエッセンスになっています。
だから、これからの『花よりも花の如く』も楽しみです。
憲人の成長物語を、能の世界に浸りながら楽しめるなんて、贅沢なことです。
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