恐怖と悲しみで苦しすぎる映画
ナチスドイツの強制収容所
近代史では、最も残酷な方法で人間を殺したとされるアウシュビッツ強制収容所。掘り起こせばもっといろいろあるのかもしれないが、人間のやることとは思えない方法で、ドイツはユダヤ人を虐殺したことは事実。その罪をこれから先もずっと背負って生きていかなくてはならないのだろうね。ユダヤ人たちが後世に語り継ぎ、ドイツ人たちも決して忘れない。そのために、このナチスドイツの行った悲劇の実話を何度でも映画で振り返るのだ。二度とやらないと誓うために。
タイトルで、「縞模様のパジャマの少年」と日本語表現されているが、意味がわかっていると本当に心が揺さぶられるだろう。それはパジャマなんかじゃなくて、囚人服なんだ。でも子どもたちがどうしてそれを知ることができるだろう?ただ出会い、会話をして、仲良くなって、チェスでゲームをして…。たわいもない、かわいらしいお友だち。それだけで十分だったはずなのに、時代が、政府が、簡単に人の生き死にを決めてしまう。こんな時代に生まれなければ…彼らはきっと幸せだったに違いないのに。ブルーノがこの地に引っ越してこなければ、出会うことのなかった少年。出会っていても、出会っていなくても、ブルーノとシュムールは真実を知ることはできなかった。そんなふうに無知がゆえに失われた命がいくつあったことだろう。たった一握りの人間たちが決めたことで、何千、何万、何百万という人の命が失われた事実を、絶対に忘れてはならないと、この映画を観たらきっと思うはずだ。生きることを許される今が、どれほど恵まれているのかを感じよう。
大切な友だち
ブルーノは、父親のラルフが昇進して収容所所長に抜擢されたことを機に、ベルリン郊外の田舎への引っ越しが決まった。まだ8歳の少年。お父さんは立派な軍人で、お母さんは優しくて。右も左も分からず、でもお父さんの決めたことだからと、なされるがままに引っ越してきた地。友だちのいない地で、探検の後に見つけた大切な友だちシュムール。なぜか囲われた鉄格子のなかで生きているシュムールと、自然と仲良くなっていく様子が本当に微笑ましいというか、なんというか…。ブルーノ役のエイサくんとシュムール役のジャックくんがかわいいからね。あどけない雰囲気と、子どもらしい話し方に癒された。
柵で仕切られていても、会話をし、分かり合おうとする。ここの表現がすごくうまいよね。柵で仕切られているのは、一般人と罪深いとされた囚人という対比だけではなくて、大人に置き換えた場合のまさに国境のようなイメージ。すぐ近くにあって、会話をすることができ、分かり合おうとすることができるのに、柵を隔てて歩み寄ることができない関係性。笑いあい、信頼も構築することができるのに、何が隔たりになっているのか、小さな子どもたちには見えなくて、大人でさえも大きく広がる柵の端を見ることができない。戦争って、そういう違いから起きているんだよって言われている気分になった。何も知らないことが幸せか、それとも不幸なのか。そんなことを考えてしまう。いつもお腹を空かせたシュムールを、助けたかったからサンドウィッチを届けた。優しいブルーノを、責める親がいるだろうか。偶然出会った男の子と仲良く遊んだ。ただそれだけのシュムールを、誰が責めるというのだろうか。
父親への疑問
ブルーノもバカではない。なぜシュムールがそこにいるのかを考えていた。シュムールがユダヤ人だからそこにいれられていることも、徐々にわかっていく。でもどうして?武器を持たない彼らのどこが敵だというの?父さんはいったい何をしているの?軍人は敵を銃で撃ち倒すことが仕事だと思っているけれど、子どもにとってみれば、ただそれだけのこと。敵とはどういう人物で、何のために殺し合いが起こるのかは、子どもには理解できない部分が大きい。ただ純粋に疑問を持るブルーノ、そして、シュムールのことを思うと苦しい。シュムールは、ブルーノのことを友だちだと思うから、ブルーノの嘘が原因で折檻を受けても、許してあげた。謝ってくれる人を無下にするような人間じゃない。こんな…いい子なのに、人は人を殺すんだね…。
ブルーノの母親であるエルサは、夫のラルフが所長を務めることになった収容所の本当の目的を知ることになる。夫は立派な仕事をしている…そう思って生きてきた。なのに、子どもたちが巻き込まれているのが我慢ならない。グレーテルは異常な思想に取りつかれ、ブルーノはどうやらユダヤ人の友だちができてしまったらしい。ブルーノがケガをしたときに、純粋に手当てをしてくれた使用人のユダヤ人。そのどこが悪で、何が罪なのか?一緒に接したことがある人なら、その疑問に必ずぶち当たるのだ。
ラルフはお国に言われるがまま、そうすることが家族のためであり、別に知りもしない相手と仲良くする義理はないと思う。それも確かにそうだけれど、知らない人は、殺していいの?単純に、誰かの可能性を奪うことが、果たして人として正しい行為なの?考えることを許さない、情報を与えない、知識を与えない、一握りの悪が、本当に許せないし、悲しすぎる。
友だちだからこそ
シュムールの父親がいなくなったと聞き、ブルーノは探すのを手伝いたいと言う。大切な友だちのため、自分の嘘で痛い思いをさせてしまったことを悔いたからこそ、救いたいと思った。柔らかい土を掘り、地面の下から収容所の中へ…縞模様のパジャマはシュムールが用意してくれていて、2人はシュムールの父親捜しを始める…
ここでね、気づいている人は思うのよ。どうかその地面の穴を潜り抜けて、シュムールと共に外へ逃げてほしかったと。エルサなら、シュムールとブルーノをともに連れ出してくれた可能性だってある。もしかしたら、生き残れたかもしれない…。このシーンは本当に本当に辛くて、悲しいところ。一番の悔しいシーンだ。ブルーノがそこへ入ることがなければ、死ぬことはなかった。ただ単純に、友だちの助けになりたいと願った子どものことを、誰が責めれるというのだろう。エルサがブルーノとグレーテルの将来を思い、子どもたちを引っ越させようとした矢先の、ブルーノの最後の探検。収容所の外に脱ぎ捨てられたブルーノの服を見て、泣き崩れる母親。異臭のする収容所の中では、硬く手を握り合ったブルーノとシュムールがいた…もうここで泣かずにいられるか?無理でしょ。もうこんな子どもたちがいたのかもしれないって思ったら、絶対同じことやりたくないって思うでしょ。
どうか戦争と迫害をやめてほしい
世の中は自分の知らないもの・価値観として存在しないものをすんなり受け入れることは難しい。それはわかっているけれど、知らないからこそ知ろうとすること、分かり合いたいと願うことは否定してはいけないよね。あいつらが邪魔なんだと結託することで味方の士気は高まるが、それが間違っていたとき、気づくのがだいぶ遅くなってしまう。だからどうか、お互いの譲れない部分、妥協できる部分を十分に協議して、悩みに悩みまくって、活路を見出してほしい。即決が難しいなら、保留にしておくのも悪い事じゃない。
独裁者で、人を殺すのが趣味で、面白くないことは八つ当たりをするような人間だっているだろう。そういう人のことだったら殺してもいいのだろうか?それすらも難しいことだし、意見はたくさんあっていいと思う。みんなでルールを決めて、仲良くやっていくためにがんばっていくんだよね。そんな気持ちを再確認するためにも、絶対これは見たほうがいいと思うよ。
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