文学美術作品としての名作
苦行による尊さ
狭き門というタイトルの通り、誰でも楽に出来る事を選ばず
修行僧の苦行と同じ狭き人生を選んだ者の物語です。
人生にはいくつもの選択肢があり、楽な方に多くの者は流されてしまいます。
そして、明らかに楽な方に流されてしまった者に他者は尊敬を頂かないと思います。
しかし、苦しい方をあえて選んだ者は、愚か者と軽蔑される事も多くはありますが
目的を持って自らを律する為に苦しい行いを選択した場合
多くの他者は、その人の自らの選択に対して尊敬の心にかられる事があります。
純潔という美意識
本書では、純潔という現代社会では多くの人々に忘れられてしまった行為を
追体験し、自分の穢れを認識する事ができます。
純潔という行為を、人生を通して貫き通すという事は非常に難しく
成人になっていれば、多くの場合誰もが想像できない
崇高な行いで有る為、それを認識した際に感動が起きます。
そして、その感動は美術作品を鑑賞した時と同じように
穢れておらず、美しいものに感じる事が出来ます。
物語が美術作品
最後の最後まで、幸せとはなんだろうかという複雑な心境にさせる物語であり
他者と自分自身の人生の美しさを推し量る事が事できてしまいます。
もし私が、純潔を通して、初恋を大切にして最後まで幸せを追求していたら
どうなっていただろうか。
自分の娘に純潔を守らせている親は、それが美しい行為と考えているのだろうか
本当に良いものなのだろうか。
純潔という美しさ清さを押し付けている醜い行為ではないだろうかと考えてしまいます。
初恋の時の心の気持ちやその後の恋愛感情を蘇らせてくれる文章と主人公の選択が
私の今までの人生の選択が正しかったのだろうか、何故ここまで主人公に対しては
堕落し穢れていると認識してしまう選択をしてしまったのだろうかと
比較をする事で、懺悔の念にかられ複雑な心情を誘います。
有名な小説には、文章の綺麗さによる美術的価値があると私は考えます。
美しい文章の流れは本書にもありますが、文章の綺麗さよりも
主人公の純潔さが読み手の心にある美的感覚を刺激してくれます。
読み終える頃には、純潔が非常に尊く、穢れの無い美しものであるがどこか切なく
その選択行為は、本当に美しいものだったのであろうか
ただの愚かな行為ではないだろうかと複雑に考えさせられ
物語が美意識を刺激して、本当の美しい行為とはなんであろうか
純潔という行為が美しいものという認識と判断出来なくなる程
心を動かす内容であります。
絵画や映像などの美術作品とは違う、文学そして記号の配列による美しさではなく
物語から美しさに対する感動をさそう素晴らしい文学美術であります。
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