芸術家の強固な魂を持つ利休の権力への志向と、老境の成り上がりの権力者・秀吉の恍惚と不安の交錯を、両者の葛藤を軸に重厚に描いた 「利休」 - 利休の感想

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利休

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芸術家の強固な魂を持つ利休の権力への志向と、老境の成り上がりの権力者・秀吉の恍惚と不安の交錯を、両者の葛藤を軸に重厚に描いた 「利休」

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歴史ドラマというものは、厳然とした歴史の流れがあらかじめ決まってしまっているから、物語の筋がどうなるのかを楽しむ余地は少ないものです。織田信長の後には豊臣秀吉が、秀吉の後には徳川家康が天下を獲る定めになっているし、話の中で石田三成がいくら智略の限りを尽くしたところで、彼が政権を取り損ねて殺されたのは周知の事実です。

野上彌生子原作の歴史小説「秀吉と利休」を基にして作られた、この勅使河原宏監督の「利休」も例外ではありません。主人公の千利休が、秀吉から死に追いやられる結末はわかっているし、愛弟子の山上宗二が惨殺されるのも、利休の反対を押し切って朝鮮出兵が強硬されるのも、歴史のままです。そして、三成が利休に家康の毒殺を命じる創作エピソードにしても、家康が生き永らえるのは必然だから、果たして実行するかどうかのスリルには結びつかないのです。

だから、我々観る者は、結果よりもその途中のプロセスを、ドラマとして楽しむというスタンスで観るわけです。なぜ、秀吉は寵愛していた利休を殺したのか-------、その歴史上の「なぜ」が、この映画最大のテーマになっているのです。利休の権威が増大するとか、一面で堺の豪商である彼の経済力に対し恐れを感じたという説もあれば、豊臣政権内部での権力抗争で反対勢力からの讒言に遭ったとの説もあり、朝鮮出兵などでの反対意見の進言が秀吉の逆鱗に触れたとする説などが、後世の歴史家から言われています。

しかし、この作品では、芸術の頂点に立つ利休と、政治権力の頂点に立つ秀吉との心理的な葛藤に焦点を絞って描かれています。尾張の貧農から身を起こして天下人となった秀吉には、芸術と、それから皇室の権威への凄まじいまでのコンプレックスがあった、としています。それが、茶の湯に金をとめどなくつぎ込む執着、黄金の茶室で帝に茶をふるまった際の秀吉の異様な興奮、そして、貧しい農婦でしかなかった実母の大政所を飾る禁裏勤めをしていたと称する偽りの履歴、といった形で描写されるのです。

皇室の権威の方は、いくら関白太政大臣になっても、それ以上はどうしようもありませんが、芸術だと金の力で牛耳れば、いちおう格好はつくものです。巨大なパトロンとしてあらゆる芸術家たちの上に君臨することで、芸術を司どろうとするのです。しかし、それは所詮、擬制の支配でしかなく、同じ茶の湯の土俵上では、秀吉は利休の足元にも及ばないのです。

この映画の冒頭の茶室の場面、夏の払暁、秀吉を迎える利休は、庭に咲き乱れる白い朝顔を一輪だけ花筒に活け、残りのすべてを門弟に命じて摘み取らせておきます。そうやって唯一の存在にした一輪の朝顔が、茶室の柱で客人を迎える趣向は水際立っています。また、二人が最後に対決する茶室の場面でも、秀吉が素材として与える梅の枝を無造作に、花を散らし水盤に投げ出した大胆な技で圧倒し、権力者がいくら寛大ぶってみせても、決して屈しない芸術精神を意志強く表明しているのです。

秀吉自ら、茶碗を評してみせたりして半可通ぶり、斯界の第一人者・利休を力で支配しても、芸術に関しては遠く及ばないのをはっきりと自覚しているのです。どんな世俗的な栄光を得ても、また権力を握っても、芸術的才能を得ることはできないということを-------。

だが、秀吉=権力、利休=芸術と単純に対比するわけにもいかないのです。秀吉には、天下を獲った男ならではの力量と人間的魅力があり、それには十分、人の心をとらえる価値があるのです。また利休の方には、純粋に芸術の道を求める姿勢にとどまらぬ、権力への志向が潜んでいるのです。

秀吉につき従うこと自体、精神の完全な自由を犠牲にして、名誉と力を得る行為だし、黄金の茶室という「わび」とは無縁の趣味に、どこか美を感じてしまっていると述懐もするのです。あくまで、芸術に殉じた弟子の山上宗二の純粋さとは、距離ができてしまっているのです。そして、その利休の側のジレンマと対置されるからこそ、太閤秀吉の芸術コンプレックスとの対照が際立ってきて、この二人の巨人の人間関係の奥行を深めているのだと思います。

利休の三國連太郎、秀吉の山崎努、もうこれ以上の適役は考えられないほどの二人の名優の演技が、圧倒的に素晴らしく、権力と芸術が真っ向から激突する重量感あふれる、このドラマに厚みと深さを与えているのだと思います。他の役にも重厚な配役がなされてはいるものの、それらのベテラン俳優たちの印象がすっかり霞むほど、二人の演技が抜きん出ていると思います。

顔に刻まれた深い皺の間に永年の芸の蓄積と、人間的な深みを感じさせる三國は、後頭部ひとつにも強烈な存在感を主張させ、微動だにせぬ後ろ姿の風格だけで、芸術家の強固な魂を表現してみせます。また、一方の山崎努は、老境を迎えた成り上がりの権力者の恍惚と不安の交錯を、育ちの卑しさを滲ませながら、カリカチュアにならぬぎりぎりの絶妙なリアリティで演じきってみせ、これまた実に見事です。

草月流の三代目家元でもある勅使河原宏監督は、特に美術に贅を尽くしてみせます。大ベテランの西岡善信の細密な設計によるセットの中で、織部茶碗など実際の桃山時代の第一級の美術品を使う絢爛たる豪華な書画骨董が、本物の輝きを発していると思います。この茶道のみならず、陶芸、華道、造園、建築、工芸、そして舞踊や能に至るまで、ふんだんに提供される本物の美の重みが、利休と彼をめぐる桃山文化人たちの芸術生活を引き立てているのだと思います。

各種芸術に造詣の深い勅使河原宏監督をはじめ、脚本には画家で芥川賞作家の赤瀬川原平、衣装にワダエミ、音楽に武満徹と現代日本の代表的芸術家を参加させているのも、「芸術」について追及しているこの映画にふさわしいと思います。

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