子供の将来に悩む親の愛おしく恐ろしい葛藤劇
この子の将来の行く末はどちらが正しいのか
殺人人形の間に産まれた子供なんだから、もちろん殺人人形として生きるべきなのかもしれない。
しかし人間もそうだが人形だって親となれば心変わりするものなのだろう。
通常ホラーとして続くのであれば、親よりも子の方が猟奇的な殺人人形として大活躍しそうだが
恐ろしく猟奇的な殺人を繰り広げてきたチャッキーとティファニーから
あんなに弱々しく心の優しい子供を登場させたのは逆転の発想だと考えられる。
子供の将来の行く末を決めたがる親が多いこの世の中だが、この映画でだいぶ学べるだろう。
野球をやらせたい父。ピアノを習わせたい母。そこに子供の意見はあるのだろうか。
殺人などホラー要素ももちろん満載だが、ホラー要素を抜いた部分で見ると
この映画は子育て真っ只中の’’父’’と’’母’’の子育て理論映画とも見れる。
どうしても(殺)してしまう癖
子供を優しい女の子として育てようと決意するティファニーだが、長年の殺人癖が止まらず
電話で相談するシーンがとても印象的だった。母親としての葛藤がここで出てきてしまう。
現代の人間社会とするならば、パチンコがどうしてもやめられない主婦と同等だということ。
親になり母になり、ましてや子供が出来ると我慢することも多くなる子育て期。
しかしながら関心したのは、ちゃんと電話で相談をしているところがとっても律儀だった。笑
パチンコ依存になり子供も車内に放置する親こそ、ティファニーを見習って頂きたいものだ。
やはり母は強かった!しかし癖は’’隠し事’’へ
子供がたいぶ成長し物事も理解してくる年頃になると悪いことと良いことの区別がつく。
母の人殺しの’’癖’’は’’隠し事’’へと変わっていた。
今までは人の気持ちも考えず、自分の快楽の為に人殺しを繰り返してきた母親も
子供にバレないように、死体をクローゼットへ’’隠す’’という行動から見ると、
人間になってもなお、癖は治っていないようである。
しかし、その癖を隠しながら日々過ごしている描写があるということは
殺人は’’悪い事’’だと母親も自覚しての行動だろう。
人間界にも親子の隠し事や秘密はもちろんあるだろう。しかし果たしてその偽った生活を
いつまで続けられるかは人形界も人間界も同じであろう。
いつか嘘や隠し事はバレてしまう。誰しもが幸せな生活が待っているなど確証はないだろう。
幸せな家族がいる一方、それを妬み、嘆き、怒りに満ち溢れてしまう者もいるであろう。
最後の最後で父親の腕がプレゼントとして運び込まれた描写がとても印象的だった。
自分の思い通りにならず、そして自身の子供に殺されてしまった父の念は、憎しみと怒りに変わっていた。
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