切なすぎて巧すぎる物語
「うせもの宿」が何なのかを引っ張られてズルズルと
誰かの大切なもの・大切だったもの。失くしてしまったというものが必ず見つかるという「うせもの宿」には、次々とお客さんがやってくる。必ず1人で門をくぐり、そして出ていくその宿は、いろいろなストーリーを差し置いても魅力的な場所だ。その宿には、必ず「マツウラ」という案内人の男がお客さんを連れて一緒にやってくる。女将さんがなぜ探し物を見つけられるのか、この宿の正体が何なのかが謎のまま物語が進行していくのだが、その答えを早く見つけたくてどんどん読んでしまう。
短編でお客さんそれぞれの背景と探し物について1つ1つ解決していくが、物語はしっかりとつながっており、少しずつ「うせもの宿」の正体が見えてくるのが素敵だ。その答えへの近づき方もまた憎らしい演出で、1つわかってもまだ全容は分からず、また1つわかっても大事なところは最後までおあずけ状態。関係のないような些細な言葉1つ、動き1つ、全部が無駄なく答えに繋がっている。さすが、全部がちゃんとつながっているということを表現するのがうまい、穂積さんの作品である。もともとあまり長いストーリーを描く作者ではなく、それがまた早々にすっきりとさせてくれるし、余韻もまた絶妙なので中毒性のある作品だ。
死んだ人間が失くしてしまった、彼らが失くしたくないと思っていたもの。それを最期の最後、見つけるのがこの宿なのである。天国の手前にあるのかな…。こういう何気ない人の何気ない人生の話って心にグッとくる。所々自分の当たり前の日常と重ねてしまうのだ。
未練ある人の魂が最期に通る場所
気持ちよく死ねる人がいるかと問われれば、そんなに多くはなさそうだ。何か原因があって死に至る。それが老いであり、病気であり、自殺であったりもする。誰もが自分の永遠を少しでも願うし、未来を見たいと願ってる。何かしら、やりたかったことを残してる。そうだよね、自分が死んだってこと、自分では絶対わからない。眠って、そのまま無になる。だから、あの世が本当にあって、こんな宿があるんだとしたら、絶対死んだら通りたい。そんなことを考えるね。
この漫画で憎いね~~って思うのは、死んでしまった人たちが探しているものが本当の探し物ではないということ。本当は何を探しているのか…?それに気づくためにこの場所があるのだ。女将さんのおもてなしがあるわけでもない。格別すごいプレゼントがあるわけでもない。手伝ってくれるわけでもなければ、支えてくれるわけでもない。なのに1日でちゃんと向き合える。向き合って強くなるだけの「気づき」をプレゼントしてくれるのだ。そこには特別な能力はなくて、ただ“猶予”がある。最強の「精神と時の部屋」だと思う。
さらに、その宿にいる誰もが迷える魂であることが何とも辛い。いつからいるのかも、何を探していたのかも、もう忘れてしまった。そんな魂もやっぱりあるんだね。だから、旅立てる人は幸せだと言えるのかもしれない。死んだら…もう何かを決めることも迷うこともないということのほうが、不幸せに思えるね。
言葉であれ行動であれ、たった1つの選択が人生をつくっているし、取り返しのつかないことだってたくさんあるってこと、考えさせられるからすごい。というか、常に読む側のご自由にって感じで置いてけぼりされるので、毎回考えなくてはならないから大変だ。
宿の女将さんの過去
結局、「うせもの宿」は「失せ者宿」。女将さんも死んでいるのだ。そして、その門をくぐらないマツウラは生きている人間。入り口を越えたら一緒になれるのに、いつも顔は見れるのに、絶対に抱きしめられないこの距離…胸の苦しさ最高潮を迎える。
しかも、女将さんは超絶いい人だった。犯罪者だった松浦をずっと支え、出所してからまた犯罪に手を染めることのないようにと温かく接する生前の女将さん…いや、紗季さん。松浦は、紗季さんが大好きだからこそ、今の幸せを失いたくないと願うからこそ、元仲間の犯罪者を葬り去ろうとする…なんでその思考になるんだ…そしてその殺しの瞬間、紗季が身代わりとなって死んでしまうのだ。幸せのためなのに…なんでこんな悲しいことになる?紗季だって松浦だって、もっとお互い話し合えよ、大切だってちゃんと言ってくれよ、そして生きていってくれよ…。絶望した松浦が、今度は自分の首を切る…でも死んでない。死んだのは紗季さんだけ。松浦は何度だって、愛してるから「うせもの宿」まで会いに行く。紗季は記憶を閉ざし続ければずっと松浦に会えるから、記憶を失っていようが何かを思い出そうとも思わない。その場にい続けようとする。しかし…触れ合えず、一緒に生きてもいけないこの日々は不毛でしかないのだ。もう悲しすぎて逆にイライラするレベル。救いようがないとはまさにこのことである。誰のせい?松浦のせい!!静かに生きていくことは、いくらだってできるはずだ!!
ただ一人の導く者
この「うせもの宿」の管理人とも言えるのが、番頭さんである。番頭さんもまた何かを失くしてとどまり続ける魂なのかもしれないが、松浦にマツウラとして迷い人を宿へ導く仕事を与えたり、紗季の生き方を最期まで見続けたり。本当…いい奴だった。彼だけは、背景も何も見えなかったね。それはやはり、番頭さんだけは神の使いであったからではないだろうか。最初から迷えるものを導く神だったのかもしれないし、長くいるがゆえに仕事を与えられて神様レベルになっちゃった式神かもしれない。これだけ悟ってて、ベストなタイミングで、最高の言葉をくれる魂が、もはや成仏のできないレベルだなんておかしい話で、やっぱり番頭さんが神様だったんだろうって信じたいところだ。
松浦は「マツウラ」という仕事のおかげで紗季の最期をちゃんと見届けられたし、女将さんも旅立つことができた。本当に、本当に悲しい2人だったけれど、止まっていた時間がようやく動き出してくれたような嬉しさがある。誰かに感情移入するわけでもなく、ただ淡々と、個々の魂が答えを見つけるまでそばにいる。それはすごく残酷のようでもっとも優しい方法であるということが、やはり大人になってからだと余計に沁みてくる。最期の審判の場であり、最後の優しさを手にできる場でもあるこの「うせもの宿」で、今日もまた迷い人は答えを探している…。余韻たっぷりのいい話。
作者・穂積さんの華麗な世界観
穂積さんの作品っぽく、イラスト・セリフ・演出全部がよく練られた物語であった。女将さんの言葉も、番頭さんの言葉も、マツウラの言葉も。すべてがじーんとくるものばかりで、一生懸命生きたいなって気持ちになれる。
人生は迷ってばかりの日々であり、そしてそれこそが真骨頂でもあるんだろうと、歳を重ねるごとにわかってくる。そして、その迷いから逃げずに立ち向かえるかどうかが人生の分かれ目。儚いが、だからといってがんばらなくてもいいってことではなくて。番頭さんの
生きることと死ぬことに特別な意味なんてない
という言葉。冷たいようだが、勇気もくれるこの言葉。これが私の大好きな言葉になった。それなら最期まで走りぬこうかって思わせてくれる。そりゃー死んでしまうことは怖いのだが、それが誰かのスタートにもつながっている気がして、無駄にはなっていない気にもなるこの物語。いい事も悪いことも、たどり着くところが誰かの幸せであるように、願いたい。いやーー大人すぎる漫画だった。全然死ぬ気ではないのだが、早々と死生観を変化させてくれたように思う。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)