作者の誘導にまんまと引っかかる楽しさ
いったいどんな宿なのか、教えてくれないから読んでしまう
なくしてしまったものが見つかるという不思議な宿「うせもの宿」。誰がつけたか、どんな宿なのかはわからないが、なくしてしまったものを見つけるため、一人、またひとりとお客さんがやってきます。案内人はマツウラという男。優しい表情でお客さんを導いていきます。うせもの宿ではなぜ探しているものが見つかるのか、そもそもマツウラって誰?女将さんのその特殊能力っていったい何?この宿はいったいどこにあるの?次々浮かぶ疑問をそっちのけで、お客さんの探し物は見つかっていきます。しかし、短編集風に仕上げながらも、少しずつ宿の仕組みがわかってきて、ここは死んだ人間がなくしてしまった、その人にとっての心を見つけさせてくれる場所だとわかるんです。一見関係ないようなことがすべてつながっている巧さが光るのが、作者である穂積先生の特徴ですね。他の作品でも、はじめから多くを語らず、徐々に謎ときをしてくれる。わくわくせずにはいられない、憎い演出です。まんまとはまってぶっ通しで読んでしまいましたよ…3巻というお手軽感もまた、一気読みさせる罠のような気がしてきます。
女将さんがいったい何者であるのか、最後まで引っ張ってからドーンとでかい話を持ってくる。どのお話の主人公もみんな死した者たちであるけれど、生きてきた人生それぞれが語られるから全部胸が熱くなるものばかりです。当たり前のように転がっている命が、かけがえのないものであることを教えてくれている気がします。
あの世をさまよう魂の通り道
何らかの原因によって死んでしまった者たち。消えゆく前に、悩みをせめて取り払い、あの世へ向かう。人それぞれが持つ後悔。それがうせもの宿では見つかるようになっているわけですが、初めてそこに来た時には、なぜこの宿に来てしまったのかが自分自身でわかっていない。自分が探していると思い込んでいたものは実は生前の記憶に引っ張られているだけで、本当に見つけるべきものを教えてくれるのがこの宿なんですよね。余計な雑念をすべて取っ払い、その人にとって一番大切なものを気づかせてくれます。女将さんは見つける手伝いはするけれど、実際のところ何も術なんて使ってない。これから死にゆく自分自身の心と向き合い、考える時間をくれているだけなんです。それがわかったとき、すぐに1巻の初めから読み直している自分がいました。この人なんで死んだのかな、家族はどうだったんだろう、結婚指輪でよかったのかな、もっと何か違うものはなかっただろうか…読む側に考えさせるのが本当にお好きなようで、熟読しながら熟考ですよ!罠にはまっています。この空間はいったいどこにあるのかとか、一人一人の正体が何なのか、直接的には誰も教えてはくれなくて、物語の中で少しずつ、うせもの宿にやってきてしまった魂に説明がされていくスタイル…うせもの宿は、働いている人すらも自分の失くしたモノを探している人たち。神の使いなんていいものじゃなくて、みんな迷える魂なんですよね。読者側もその迷い人(迷い魂?)になったつもりで、静かに旅人たちの行く末を見つめていくことになります。そこがまた印象深く、あの世には審判も何もないということ、きっと死んだ魂が決められた場所を通っていくだけなんだということを暗に伝えてくれているように思います。そんな気持ちになるとちょっと悲しくもありますね。死にたくないなー…って、思ってしまいます。
女将さんとマツウラの悲劇が酷すぎる
うせもの宿にいるということは、女将さんは死んでいる。そして、マツウラは生きている。ただ宿の入り口くぐればいいだけなのに、そこには生と死という絶対に埋められない底の見えない崖があるんです。女将さん、つまり紗季は、幼稚園の保母さんをしながら、出所したばかりの松浦がまた犯罪に手を染めてしまうことのないように、懸命に松浦を支えていた女性でした。一方の松浦も、はじめだまそうと思っていたのにどんどん紗季に惹かれていって、幸せを感じ始める。いったいここからどんなふうに死に至るのかと思いきや、今の幸せを手放さないために、脅してきた元仲間を殺してしまおうと考えた松浦のせいだったんですね…悪のためじゃない、幸せのために犯罪を犯すと決める松浦…そして殺しの瞬間に紗季が身代わりとなって刺されてしまう…悲しい。悲しすぎる。なんでこんなにつらい思いをしなければならなかったんだろう?そして、犯罪をするに至らないために、二人でもっと話し合えることがきっとあったはずなのに…紗季だってこそこそやらずに正面から松浦を守ってやるって言えたほうがよかったし、松浦も、犯罪を遠ざけたいということを紗季と語らっておくべきだった。そうすればこんな悲劇は起こらなかったんじゃないだろうか。
松浦は絶望のあまり、そのまま自分の首を切る。でも死ねずに昏睡状態のまま…紗季に会いたくてうせもの宿の門まで何度も迷い人とともに訪れる。紗季は恋人に犯罪をさせまいとして自分を殺させてしまったことを悔い心を閉ざして記憶も消し去ったまま、その場にい続けようとする。探し物が見つかるまではそこから出れないのだから、裏を返せばそこにい続けるということは、大切な人と会い続けることができるということです。表面上はマツウラを毛嫌いしていたけど、すべて愛の裏返しだったのかと思うと、もう胸が締め付けられすぎて、悔しくてしょうがない。
番頭の謎
松浦にマツウラとしての仕事を与えたのが番頭さんです。松浦は、探し物を見つけようとさまよう人を導く者としてでもいい、紗季に会いたいだけだったんだろうなと思いますね。そして最後まで、番頭さんは紗季と松浦を見守ってくれました。番頭さん、いいやつだね…しかし、番頭さんの背景だけはわからずじまいです。彼の正体はいったいなんだったのか?運命の門で人があるべき場所へ正しく還れるようにする仕事を与えられた、神様みたいな人なのかもしれませんね。決して下っ端ではなくてね。そうでなきゃ、こんな悟りの開けた人、そうそういないと思うから。紗季を女将さんに、松浦をマツウラにしたのは…親切なのかもしれないけど、残酷でもあるなと思います。決して生き返らせることも、二人とも殺すことも、できないししない。ただ導き、答えが見つかるまでそばにいる。これを考えていると、うせもの宿は、死者に死してなお最後の試練を与える場所でもあるのかなと思えてきます。人生で一番後悔していることと向き合う場所として。
見事に穂積ワールド
描写といい、ことばのチョイス、話の全容をオープンにするまでの過程が、さすが穂積ワールドだなと思いましたね。人物画のうまさはさすがだなーといったところでした。そして、女将さんの発する言葉、番頭さんの発する言葉がまっすぐと染み入るものばかり。
あなたの人生で幸せな時はいつでしたか?
人生全部において、いかなる小さな出来事でも、あらゆる出来事が幸せであったと言えるくらいになりたい。この言葉を聞いてそう思いました。穂積先生の作品は、謎が解けるまでは早く知りたい!と思わせる展開でたたみかけてくるのに、いざ解けてしまうと何とも言われぬ切なさを置いていきます。生きることと死ぬことに特別な意味なんてない。そう番頭さんは言うけれど、死ぬって怖いな、できるだけ生きていたい、大切な人を守るにはどうしたらいいのかな…誰にでも死は訪れるものだけれど、悲しくないなんてことは絶対にない。ただどうか、道が分かれたとしても、お互いに幸せであることを願いたい。うせもの宿は、旅立ちの日のために役立つ思考を伝えてくれています。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)