少女という時代、遊女という運命
「変化」への、二つのきっかけ
「たけくらべ」には、変化に至る「きっかけ」が二つ存在する。一つ目はやや軽く、二つ目は決定的なものである。
まず一つ目は、美登利が祭りの日に女郎と罵倒されることだ。これにより前から意識していた信如を、さらに好きだと自覚するようになる。
二つ目のきっかけは、「しばらくの怪しの現象」である。この現象をきっかけとして、美登利は少女時代と決別することになる。
この「異常」についてもう少し考えてみると、「信如への思い」と「女としての自意識」という二つの意識に行き着く。
「信如への思い」、つまり恋は、去る春に美登利が信如へハンカチを手渡そうとしたところから始まるが、彼女の心の中でだんだんと成長していった秘めた思いが爆発するのが祭りの日の「こちには龍華寺の藤本がついている」という長吉のセリフによってである。このとき長吉は美登利を「女郎」と罵倒しており、このことが美登利に、近い将来に迫ってきた自分の運命をはっきりと知らしめることになる。
「女としての自意識」をつきつけられたと同時に前々から気になっていた信如の名を出されたことによって、初めて美登利は自分と信如を「男と女」という枠組みでとらえることとなった。ただ思うだけでなく、考えさせられるようになる。信如は坊主に、自分は遊女に。それは避けがたい運命であって、いつまでも子供時代にしがみついてはいられず、しかも信如とも別れることになるということをはっきりと知ってしまった。
その後の「怪しの現象」である。とうとう運命の日がやってきてしまった。自分の体は女になってしまった、心がついていかなくても、それは避けようが無い事実である。
美登利はもう、信如とは違う世界に入ることとなってしまった。この運命は、どうにも抗いようがない。
「女の子」と「男の子」の描き方
この小説において、「女の子」は初めは幼く、男だとか女だとか意識せずにいる。それがあるきっかけによって「女の子」は急速に成長し、「女」になっていく。
しかし「男の子」のほうはそんな彼女に気づくことなく、結局は彼女についていくことができない。変わってしまった彼女を前にどうすることもできず、ただ頼りなく、見ていることしかできないのである。
男の子は、女の子よりも成長が遅い。あるいは、成長や変化のきっかけたりえるものが、なかなかやってこない。急速に大人になってしまう女の子に対し、男の子は徐々に、ゆっくりと男になっていくのだろう。そういう意味で、男は鈍く、呑気である。女の子のほうは、自分の身に起こることにいろいろと悩み思いつめ、「女としての自分」を意識しなければならないのに対し、である。
物語終盤、美登利の体に異変が起こる。女にとって、体は特別な意味を持つ。それはそのまま自分の価値や将来と関わっていくものになる。
男にとっての体は、相手を征服する武器でしかない。女の体は、とても儚いのである。若くして戸主になり、自ら借金をしてまわり、吉原の事情にも詳しかった一葉は、十分それを知っていた。
アンハッピーエンド
美登利の恋は成就されぬまま終わってしまう。ここに一葉の恋愛観、女性観を見ることができるのではないだろうか。
美登利は女になり(=遊女になり)、信如は坊主になっていく。幼い日の恋の儚さ。純粋で、どんなに強い思いも、運命や社会、何より自らの幼さによって叶えられずに終わってしまう。
恋愛は幼さゆえにすばらしく、また儚く難しいものなのであろう。
一葉自身、恋のハッピーエンドを経験せずにその人生を終えてしまった女性である。女や恋の儚さ、難しさは十分知っていた。同時に、世間のどれだけの女性が幸せな恋愛をして幸せな結婚をして死んでいくのかということも。その多くは平凡だったことだろう。
タイトルの意味
初めてこれを読んだとき、単なる少年少女の成長譚か、と思ったが、今改めて考えてみると、果たしてそれだけなのだろうか。
「たけくらべ」とは、伊勢物語に見えるように、幼い日々の親しい関係を象徴することばであって、本来の意味はないと思う。特に一葉の「たけくらべ」では、美登利がもう二度と取り戻すことのできない、夢の少女時代を象徴しているのではないか。男も女も関係なく、無邪気に遊びまわっていた日々。姉のようになることはわかっていても、まだまだその日は遠い、とモラトリアムを安心して謳歌していた美登利の、最後の姿への賛歌のようなものではないか。
物語の舞台は吉原の一角であるが、一葉は遊女の境遇を哀れむと同時にその世界に深い情緒を感じたのだろう。「たけくらべ」は、吉原の遊女たちに捧げる慰問の詩のようなものなのかもしれない。
処女作の「闇桜」から三年、おぼろげに吐き出された一葉の恋愛、女性観は、美登利という少女によって体現された。主人公を三章までもったいぶって出さない手法は、それだけ大事にこの物語を綴っていったということだろうか。一葉に、現代にもいる美登利を見守ってもらいたい。
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