短期間でのキャラ立てが得意な作者がキャラ一貫の漫画を描いたらどうなるか
目次
一話完結ギャグで人気を獲得した地獄のミサワ
地獄のミサワの代表作と言えば『カッコカワイイ宣言!』で間違いないだろう。アニメ化もした人気作だ。また、彼を一躍ネットで有名にしたものと言えば「女に惚れさす名言集」である。これは『ヤング!ヤング!Fruits』という題名で書籍化もされている。
そんな人気ギャグ漫画家である地獄のミサワが『カッコカワイイ宣言!』終了後描いた商業二作目の作品が、この『いいよね!米澤先生』である。
表面的に見ると、この作品はプロのギャグ漫画家の新作ギャグ漫画という他の作家も当たり前にやっている、特に注目すべき特別な点の無い作品のように見える。
しかし実はそれは間違いで、この作品は作者の実験、はたまた挑戦的な要素を持つ作品であると私は考えている。
どのような部分の実験かと言うと、漫画で今最も重要と言われている部分、つまりキャラクターについてである。
漫画家にはをれぞれ自分の得意な「キャラ立て方法」がある
さて、ここからは地獄のミサワの話は一旦置いておいて、漫画家の「キャラ立て」についての話をしよう。
「キャラ立て」とは、そのキャラがどんな性格で、どんな思考で動く、どのようなキャラなのかを読者に伝え、キャラを確立することである。これに失敗すると、キャラが頓珍漢な行動をしてしまい、読者の理解が得られず、「つまらない漫画」という烙印を押されてしまう。「キャラが作者の操り人形だ」と批判される作品は、これに失敗しているのである。
そして漫画家は各々、自分の得意な「キャラの立て方」というものを持っている。
例えば言動、つまりキャラの台詞でキャラを立てることが得意な人もいれば、キャラの行動から心情を推察してもらうのが得意な人もいる。また、表情で語る、良い表情を描く人もいる。
そしてそんなキャラ立ての得手不得手の中には、当然ながら「期間」という要素も存在する。
例えば長期のストーリーの中でキャラの様々な面を見せキャラに深みを持たせていく長期間でのキャラ立てが得意な人がいる。そのような人はキャラが一貫したストーリー漫画が得意である。逆にあるある要素や突飛な設定を使い短期間でキャラ立てすることが得意な人もいる。そのような人が得意なのは、ギャグ漫画に代表される一話完結の漫画だ。
短期間でのキャラ立てが得意な作者がキャラ一貫の漫画を描いたらどうなるか
ここから再び地獄のミサワについての話に戻ろう。
上記の「キャラ立て期間」の話を受けて、では、地獄のミサワが得意なキャラ立てはどちらであろうか。
彼の代表作である『カッコカワイイ宣言!』や自身を一躍有名にした『ヤング!ヤング!Fruits』(女に惚れさす名言集)を読めば分かるが、地獄のミサワは短期間、それも一枚絵でといった超短期間でのキャラ立てが得意である。
実は短期間でのキャラ立てには一つ大きな問題点がある。それはキャラが早期に立ち固まってしまうことで、キャラの変化というストーリー上の面白味が希薄になってしまうことである。
そのような欠点を晒さないため、通常短期でのキャラ立てが得意なギャグ漫画家は、キャラが一貫しない一話完結の作品を描く。キャラ自体を総とっかえすることにより、キャラの変化をつけているのである。
しかしこの『いいよね!米澤先生』はキャラを取り換えずにストーリーを展開するキャラ一貫型の漫画である。
その点からこの作品は「短期間でのキャラ立てが得意な作者がキャラ一貫の漫画を描いたらどうなるか」という実験的な作品であると私は考えている。
もちろん本当に実験の意図で作られた作品化は分からないし、仮に実験の意図があったとして、それを主導したのは編集なのか、それとも地獄のミサワ自身なのかも不明である。ただそれでも、この作品は一つの実験の事例として扱うことが出来る作品であると思う。
その結果どうなったか
短期でのキャラ立てが得意な地獄のミサワのこの挑戦は、個人的にはあまり上手く行っていなかったように思う。やはり短期キャラ立ての欠点、キャラの固定化によるキャラ変化の面白味の希薄化が出てしまっていた。
もちろん実力派のギャグ漫画家が描いた作品だけあって、冴えた面白いギャグも多くあり、全くつまらないという訳ではない。
ただそれでも『カッコカワイイ宣言!』と比較して「もったいない」と思う部分が多かったのは事実だ。
あと、これはキャラ立てとは関係ないのだが、一話完結ギャグ漫画を描く漫画家のキャラは「一期一会だから許される」「長期間登場すると結構ウザい」というのが多い。これは短期でキャラ立てし且つオチまで持って行けるよう極端にデフォルメし強い特徴をつけ突飛な行動をさせるためである。
そのような技法をキャラ一貫のこの漫画にそのまま持って来てしまっているため、この漫画を読んでいるとキャラに対しイライラすることや胸焼けすることも多かった。
これらの点で『いいよね!米澤先生』はキャラに関してあまり上手く行っていなかったように思う。
でも意外といいよね!米澤先生
地獄のミサワは、主にキャラに大きなアドバンテージを持っている作家である。他に強みというものはあまりない。
わざとヘタウマにしている部分はあるものの、画力はそこまで高くないし、設定や演出も感心するような点はあまりない。
そんな地獄のミサワが、自身があまり得意ではないキャラの立て方で描いたこの作品は、スペックをそのまま鵜呑みにすれば、駄作の烙印を押されても仕方が無いものになるかもしれない。
しかしでは本当に駄作であったかと言うと、全くそんなことはないのは代表作『カッコカワイイ宣言!』と同じ全5巻、3年以上の長期連載であった点から見ても明らかだろう。
たしかに『いいよね!米澤先生』は画力はあまり高くはない。設定や演出やストーリーにもそこまで特筆すべき点があるようには感じなかった。キャラにだって問題点はある。
しかしそんな個別ではあまり特筆すべき点は見当たらない要素が組み合わさり、この作品は意外と良い作品に仕上がっている。個々ではそんなに面白味を感じない要素が組み合わさることで意外な爆発力を発揮する創作の面白さが、いかんなく発揮されている。
そうなった理由はやはり「ギャグ」だろう。高いギャグセンスを中心基軸として据えることにより、普通は相互作用せず点在するのみ、下手をすると互いに足を引っ張り合ってしまう各要素を一つにまとめ、昇華することに成功したのである。
また、キャラが一貫であることに対しここまで否定的な意見を述べてきたが、キャラが一貫であることによって、この作品は地獄のミサワの新しい面が見れた作品でもあった。その新しい面とは「いい話」である。
地獄のミサワに限らず一話完結ギャグ漫画家の特徴として、いい話をあまり描けないというものがある。その理由は、キャラが一貫しないことにより個別のキャラが深まらないからである。
その点において『いいよね!米澤先生』は、キャラを一貫させることでいい話も描くことが出来ている。この点はこの作品を読む人に個人的に注目してほしい部分だ。
『いいよね!米澤先生』は、前作『カッコカワイイ宣言!』から構造自体が大きく変わった作品になっている。これはおそらく、『カッコカワイイ宣言!』の繰り返しを嫌い、脱却に挑戦した結果だと思う。
『カッコカワイイ宣言!』のファンである私からすると勿体ない部分も多い作品ではあるが、それでも意外と良い作品なのが『いいよね!米澤先生』である。
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