復活無理じゃね? と人は言う。だがラストに復活への大きなメッセージが隠されている!
目次
私は良いと思うが…世間ではあまり評価されていない作品
私は本作を評価しているが、確かにうーん、と思う点も多数ある。
興業的にはすごく悪かったらしい、と聞いて悲しくもある。
何故だろう?
パンデミック映画な前半と、テンポが緩くなった後半のバランスの悪さだろうか。人がばたばたと死ぬ凄惨さに堪えられなかったのだろうか。
当然人目に触れるものである以上、いろいろな評価がある。それが映画だ。
本作にはいろんな位置づけがある。
当時日本最高の資金をつぎ込んだ大作、日本SFの黎明期を支えた小松左京作品の映画化、角川春樹という業界異端児への好評と悪評、まあ、いろいろあるがいくつかの要素を分析しながら、自分なりに本作を検証してみたい。
何故こんなに人気が無かったのか
本章では作品をニュートラルに捉えるため、悪い所は悪いと言ってみよう
・前半がだるい
前半は完全にパンデミック映画なのだが、MM88が持ち出される過程や開発(?)過程がちょっと冗長な気がする。もっとサクサク進めるか、あるいは開発過程に後半にも活躍するキャラを入れるなどの工夫が必要だったのではないだろうか。
例えば開発に関わったラ・トゥール博士が、MM88拡散以前にペンタゴンに反発して南極越冬隊に志願したというのはどうだろう。この場合博士をもう少し若い2枚目男性にするとか、妙齢の女性にする、などで視覚効果もアップしておけば前半に見ごたえがあり、後半との分断感も少なかったかもしれない。
・多岐川裕美の存在は必要か?
仮に別れた彼女などという設定を作っていなければ、もっとマリトとの出会いをフレッシュにできたのではないだろうか。全体に地味で暗い本作に、少しでも恋愛色を加えることはマイナスではなかったように思う。
日本でのパンデミックシーンを描くとしても、吉住との男女関係が今一つ生きていない。あるいは兄妹という手もあったかもしれない。いずれにしても彼女の存在は必須ではなく、ちょっと残念である。
・吉住は則子(多岐川裕美)に何故あんなに冷たいのか、再見してみても腑に落ちない。
マリトにはあれほど優しい彼が、何故則子を気遣う言葉を一つも出せないのか?
もしかして則子は彼を束縛したがる女性だったのだろうか? 結婚してほしい、もっと家にいてほしい、もっと私に時間を使ってほしい、もっと普通の仕事について欲しいetc…
そうであればそのような演出は必要だろう。
出産後のマリトに屈託ない笑顔を見せる彼なら、もっと則子にも優しくしていて良かったように思う。そのあたりのちぐはぐさがこの静かな映画をよりノリにくいものにしたかもしれない。
・とことん暗く辛い話に対してあのラストはどうなのか?
これは全体のテーマに関わるので最終章で書こう。
マリト(オリビア・ハッセー)の天使性が重要
前項では敢えて悪い点ばかり上げたので良い点も書いておこう。
原作小説では、マリトに相当する人物は、美人ではなく年齢もかなり上だ。極端に女性が少なくなってしまった都合上、性愛の対象という役割を担わざるを得ないのだが、結果的に母性で吉住を癒すことになる。
しかし映像的にはそれではまずい、と言うことでビジュアル面を考慮して若くて美人にしたのだろうが、これは大成功と言えるだろう。
私は本作の最も成功した点として彼女をキャスティングしたことを挙げる。
彼女は映画封切り時29歳、画像検索すると17歳前後のロミオとジュリエットの映像が多いが、この復活の日の時点でも十分に美しい。アルゼンチン生まれらしいが黒髪で知的、清楚で物静かな感じがこの役割にジャストフィットしている。
吉住が彼女の黒髪を則子と重ねて涙するシーンもあり(英語ではDark hair と表現されている)、黒髪でオリエンタルな雰囲気とエキゾチックさを兼ね備える彼女でなければ成り立たない、という役に仕上がっている。
本作では基地シーンや南極での厳しい生活のシーンばかりなので、非常に地味な服装しか披露されず、着飾った美しさは皆無だ。セリフも少なく、主張はほとんどしない。
雑な見方をすると美しいだけのお飾りのヒロインとして片付けられてしまうかもしれないが、この静かさと穏やかさこそが、彼女の本作に存在する意義である。
彼女は大声をあげて嘆いたり、絶望にくれたりしない。
これは大変重要な要素なので最後に語ろう。
Life is wonderfulは日本語で何という?
カーター少佐役のボー・スヴェンソン、あまり売れていないB級映画アクションスターのようだが、当時私はすごくかっこいい、と思った。
再見してみると、思ったより粗暴な感じがするキャラだったのだと知る。
低い潜水艦の天井にいちいちぶつかったり、初の何極会議で各国代表を銃で威嚇したりする。
服装や表情もスマートとは言い難い、ワイルドな雰囲気を醸し出している人物に描かれている。
今見ると知的で物静かな吉住との対比上、こういう役になったのだと予想がつく。
吉住に「Life is wonderfulは日本語で何という?」と尋ねるシーンは唐突だったが、命を落とす可能性が高い(というより明白な)状況であり、その言葉を自分の墓碑銘とするつもりだったのだろうか。
家族の写真を大事に持っている彼は結局そのことを語るシーンを与えられないが、死ぬ間際にもこの言葉を吉住に与えたのは何故か。
死にゆく彼がARSが作動してしまったことを理解していたかは不明だが、状況は絶望的でしかない。彼ら自身も生き残れないし、南極基地もおそらくミサイルで吹き飛ばされて壊滅、この言葉が似合う場面とはとても思えない。
もしかして彼は吉住が装置を止めてくれたと思ったのだろうか?
あるいは、死にゆく自分や今後の人類の不幸とは関係なく、これまで生きてきたことへの感謝を述べたのだろうか。
またまたタラればの話になるが、例えば彼が妻や息子の他愛もない話を大事そうに話しつつ、「今は何の希望も見いだせないような状況だが、それでも生きていることは素晴らしい。何があっても生き延びろよ、ヨシズミ」といった語りを入れておけば、このメッセージがもっと生きたように思う。
どんなに苦しくても生きていることに価値があるんだ、という意味としてこれが伝われば、吉住が数年かけてアメリカ大陸縦断を行う後押しになるのだろうが、そのあたりはちょっと残念なところだ。
雑にカットされた海外版を見て、この映画の真の意味を知った
今回、全く振るわなかったという海外版も見てみた。
控えめに言って、かなりびっくりした、というのが感想だ。
日本語字幕が出ないので私のつたない英語能力では完全に理解できていないところもあるとは思うが、何しろ明確に尺が短い。
日本語版2時間36分に対して海外版は約1時間40分、1時間程度が切られている、という時点で予想はしたが、そのカットぶりが悪夢的だった…
基本的には海外版のみのシーンはほぼ無く(各国全滅と予想されるシーンで死亡者数がテロップで出るがこの演出は日本語版には無い)、フルサイズからエピソードをカットして海外版は作られている。
それはダイジェストではなく、完全に違う映画だった、と言うべきだろう。
まず目につくのは、則子が登場するシーンがほぼカットされているということだ。病院で働くシーンはあるが、流産するシーンや友人好子とその息子旭のエピソードは完全に無視されている。
日本人オンリーの場面が続いても欧米人は共感できないという判断か、と100歩譲って見続けるが、すぐさま激しい違和感に襲われる。
則子と吉住の関係が省かれたために、ワシントンへ決死隊として赴く直前のマリトと吉住の再会シーンで、彼女のダークヘアを見て則子の黒髪を思い出し、生きていたかもしれないわが子を想って泣き崩れるという演出が無くなっている。
これがあった場合、吉住の悲哀を理解してそれを包み込むマリト、という構図になるのだが、外国版は単に決死隊への冥途の土産として、セックスサービスを目的としたマリトが献上された、ということになっている。
これは「愛」ではなく単なる性行為に過ぎない。
本作のキャッチコピーは「愛は人類を救えるか」なのだが、海外版には「愛」は1ミリも描かれていない。
カットされたのは短いシーンなのだが、この映画を締めくくるために非常に重要な役割を持っていた場面なのだ、とここで腑に落ちる。
吉住は上手く生きれなかった自分に対して、理解と慈愛を示してくれたマリトに再会するために、数年かかってアメリカ縦断を行ったのだ。単に性愛のためではない!
そう気づいて海外版編集者の軽率な行為を呪う私を、更なる衝撃が包む。
カーターと吉住がワシントンでARSの阻止に失敗、ミサイル発射、世界中で核爆発、ここでいきなりジャニス・イアンが歌う主題歌が流れて終わっているのだ。
なんという事だろう。
つまり誰も生き残らなかった、という結末だ。
要するに人類は自分たちの愚かな行為で自滅しましたとさ、終わり、である。
なんじゃこりゃ…感動も何もないじゃないか…
これでは客が入るはずがない、と不振の理由に納得しつつ、しかし失われたシーンが重要な意味を持っていた、と再確認する。
日本語版でも海外版でも共通のシーンなのだが、任務に失敗した吉住がネレイド号のマクラウド艦長に無線で「too late=遅すぎた」という報告をしている。
この吉住が力なく発する「too late」はジャニス・イアンが歌う主題歌You are Loveのサビの部分、「It’s not too late to start again=再出発にはまだ遅くはない」という歌詞に対応している。
本作は殆ど絶望的なシーンばかり、誰もが全てを諦めてしまうのも当然の展開だ。
エンディングにほど近いシーンでわずかに生き残った人々も「もう疲れた」と呟く。
しかし、マリトだけはネガティブさを携えていない。彼女は透明なまま、慈愛のヒロインのままなのだ。
絶望に暮れる人々を置いて、ふと外に出るマリトは、あらぬ方向に人影を見る。
自分たち以外に人間がいる! そんなはずはない、自分たち以外の人類は死滅したのだ。ではあれは誰だ? もしかしたら! 彼女の表情が変わる。
そしてその人影の胸元に何かが光る。
人影はボロボロになった吉住であり、光の正体はマリトが「グリーから」と渡したペンダントに太陽が反射したものだった。
南極で初めて生まれた命=マリトの子に南極連邦委員会はグリーと名づけた。それはノルウェイ語で「夜明けの光」という意味だ。
そのペンダントが光を放ち、死んだと思われていた吉住が奇跡の帰還を遂げた。
駆け寄り抱きしめ合う二人、そして流れるテーマソング。
ジャニスイアンが「It’s not too late」と歌い上げる。
これこそがまさに本作のメッセージなのだ。
ワシントンから南米最南端まで歩いてくるなんて不可能だ。これはトンデモ映画だ、と多くの人は言う。
カーターの「Life is wonderful」を唐突すぎるという人もいる。
だが、どんなに苦しい時でも、ものすごく小さくても、何かしらの希望はある。
我々にできることはそれを信じて生きること、ただそれだけだ。
本作が言いたいのはそういうことだったのだ。
たまたま見た、不完全な海外版が私にそれを教えてくれた。
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