スティーブン・キングらしいホラー小説
原題「Full Dark,No Stars」
原題のほうが良かったのになと思う小説や映画は多いけれど、その逆もまたよくある。今回読んだこの小説「1922」は原書である「Full Dark,No Stars」に収められている4作のうちの2作を収めたものだけれど、その2作のうちの一つの名前がそのままタイトルになっている。それだけなのにこの「1922」というタイトルにはなぜか魅力を感じてしまう。それは恐らく個人的好みなのかもしれないけれど、数々の映画や本で面白かったものにこの数字のみのタイトルが多かったことが記憶に残っていて、そのためそう感じたのかもしれない。だからこそ、原題よりもこちらの方がいいように思った。とはいえ、「Full Dark,No Stars」の不吉な感じはこのタイトルでは感じられず、少しもったいないなと思ったりもした。
スティーブン・キングの作品にはタイトルが魅力的なものが多いため(今回のような2分割の作品とはいえ「図書館警察」、「11/22/63」(数字のみのタイトル!)、「トム・ゴードンに恋した少女」etcetc)、もちろんそれは訳者の言葉のセンスもあるのだけど、それをじっくりと愛でるのも楽しみのひとつだったりする。
後味の悪い2つの物語
ここに収められている物語の2つとも実に後味が悪い。後味の悪いスティーブン・キング作品として思い出すのは「クージョ」や個人的には嫌な「グリーン・マイル」などが挙げられる(「ミスト」は映画は実に後味の悪いものだったが、小説を読んでいないのでここではあえて書かない)けれど、この「1922」に収められている2つの作品もまた後味悪いものとなっている。しかしその後味の悪さは、映画で言うと「セブン」や「ブラック・スワン」のような後味悪くとも名作といえる風味を醸し出している。
そもそも後味が悪い、テーマが重いというのは決してストーリーとしてマイナス要素でなく、場合によってはプラスに働くことが多いと思う。その重さゆえに全体が締まり、その暗さゆえにリアリティが増すということもある(映画「さよなら渓谷」も「ゆれる」も、この類に入る。そしてこの両方とても心に残る映画だった)。だから小説も個人的には後味の悪いものもテーマが重いものも好きであったりはする。だけどその“後味の悪さ”にも種類があり、ただ心に何も残らないだけの後味の悪さというものもある(ちょっと古いけれど「バトル・ロワイヤル」は心になにも残らなかったし「ドッグ・ヴィル」は本当の意味で後味が悪かった)。スティーブン・キングの後味の悪さは癖になるというか独特の雰囲気をもっており、何度も読みたくなってしまう。
「1922」
土地を売り都会で派手な生活を望む妻とそれに反対する夫と息子が、ついに妻を殺して井戸に捨て、そこからすべての破たんが始まっていく。そもそも妻を殺す計画に息子を巻き込むなんてことがいい結果にいくはずもない。その上妻の殺し方も計画とは違ってスマートとは程遠い散々なもので、まったく思うどおりにうまくいっていない。これが1922年当時だからうまく逃げおおせたものの、現代ならすぐにつかまっているだろうお粗末な犯行であることは否めない。相手は泥酔しているのだから首を絞めるとかもっと穏やかな殺し方があったろうに、派手に色々やってしまうあたりのドタバタ感が不思議だったけれど、そのドタバタも含めてストーリーは転がり始めていたのだと思う。
この話を読んで思い出したのは「その土曜日、7時58分」のあの何をしても悪いほうに転がってしまう、こちらの胃が痛くなるようなストーリー展開だった。イーサン・ホークのあのあせり方、息継ぎの激しさが思い出されるくらい、この物語もどんどん悪いほうに転がっていく。こう犯行がずさんだとそれも当たり前だといわざるを得ないのだけど、農場を維持したかった男の気持ちは分かるような気もするし、あのように下品で派手好きな妻よりはよほどこの夫のほうに感情移入してしまうのはしょうがないと思う。
にしても息子と恋人の逃避行は幼いながらも切実で命を顧みないものである分純粋で、逆に説得もなにも受け付けない頑なさがある。結果悲惨な末路を辿り、そこには何も残らない。ここが一番つらいところだった。
農場を守るつもりでやった行動から皮肉にもそれさえ取り上げられ、結局はなにも残らずネズミに追い回され(この物語のキーワードはネズミだ)挙句幻覚を見て頭がおかしくなったのか、自らを噛み続け死に至る(キング作品で“噛む”というキーワードで思い出すのは「ローズ・マダー」。ノーマンの殺し方を思い出してしまう。あれは恐ろしかった)。本人はネズミに噛まれて死んだつもりかもしれないがそれは実は自らが噛んでいたという驚きの展開に、きっと誰もが「ラストは誰にも言わないでください」という言葉が浮かんだと思う。それくらい衝撃的な終わり方だった。
「公正な取引」
こういうストーリーはよくある話だとおもう。自身に振りかかった災厄を自身が憎むものに与えようと悪魔に魂を売る話だ。主人公ストリーターは肺がんに侵され、余命いくばくもない状態で不思議な男エルヴィッドにであう(エルヴィッドの綴りを入れかえるとデヴィルになるところとかなかなか古い設定で趣があった。それは私に金田一少年の“レッドラム”を思い出させる)。そしてストリーターは自身の災厄を長年の恨みをもちながら長年の親友として付き合ってきたトムに与える。引き換えは魂でなく、金銭(年収の15%。年々収めなくてはならないこの一生つきまとわれる感はなかなか気持ち悪くて良かった)というのはリアルだと思う。そこからのトムの凋落ぶりと、ストリーターの上向き具合は目覚しく、お互い競い合うように落ちて上がっていく。特にトムの運の下がり具合は恐ろしく、トムが言った「神様の機嫌を損ねちまった」というのが正しいようにさえ思える。だけどそこにはなにかテンポの良いものさえ感じられ、例えばドミノ倒しのような、ピタゴラ装置のようなものが感じられて、トムにはなんの恨みもないのだけれどどこか小気味がよかったりもした。ちょうどそのような感情を、「作品解題」として最後に編集部が書かれていた。そこには「その痛快さの奥には読み手の中にある罪深い愉悦がある」とされている。正直そこまでいわば“他人の不幸は蜜の味”的な感情はなく、ただただ物事の起こり具合のテンポがまるでカタカタと音をたてるように進んでいくところが単純に小気味がよかっただけで、そこは、そこまで負の感情はないですよ、と言いたいところでもあった。
スティーブン・キングの精力的な活動に感謝
この作品「「Full Dark,No Stars」が書かれたのは2010年である。この作品自体は中編とはいえ、2009年には長編「アンダー・ザ・ドーム」、2011年にも長編「11/22/63」が書かれている。ほとんど毎年これほどのビッグタイトルが書ける想像力とそのパワーが彼の魅力でもある。作品の多くが映画化やドラマ化し、それらの作品はもしかしたらちょっと彼自身との想像と違ったりするのかもしれないが、それでもこの数は他にないのではないだろうか。
彼が時々本の冒頭に書く“まえがき”的なものに、どのようなインスピレーションを得てこの作品が書けたかというようなことを書いてある時がある。時には息子の一言(「図書館警察」がこれだったはず)だったり、コインが溝に落ちた場面を見たこととかそういう些細なことで話ができあがるということだった。たちまちストーリーが浮かび、一晩で書き上げることさえあるという彼の言葉がとても作家らしくて好きだった。
キング曰く、小説は元々あるストーリーを取り出すだけの作業だという。確か仏師がそれと同じことを言っていた。木の中にいる仏を木屑を払って出してやるだけだと。不思議な共通点に少し宇宙的なものを感じてしまった。
彼は今年どんな新作を出すのか。今から楽しみでもある(まだキングの作品全作読んでいないのでそっちが先かも知れないけれど)。
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