服もだるだる、トリックもゆるゆる - ゲートボール殺人事件の感想

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ゲートボール殺人事件

3.503.50
画力
3.00
ストーリー
3.00
キャラクター
3.00
設定
3.50
演出
3.50
感想数
1
読んだ人
3

服もだるだる、トリックもゆるゆる

3.53.5
画力
3.0
ストーリー
3.0
キャラクター
3.0
設定
3.5
演出
3.5

目次

だるだるした服はなぜ

この作者は本作品に関わらず、何故少女マンガであるにもかかわらず、だるだるしたスウェットのようなものを部屋着でもなく普通に着させているのだろう?と昔から謎だった。今でもよく分からない。

しかし、そのだるっとしたお洒落から程遠い衣服を登場人物が着てきてくれているお蔭で、こちらも部屋着になってだらだらとアンマンかじりながら読みたくなる。肉まんもいきたいと思うほどだ。食欲をそそられる。

この漫画を読んでいると世の中には悪い人間は一人もいないのではないだろうかと錯覚しそうになる位に平和だ。殺人事件が起こっているのにドヤドヤとまるでお祭り騒ぎである。しかしそれでも憎めない愛すべき人たちである。目がほぼ点で書かれているのがいいのだろうか?横顔に鼻がないのがポイントだろうか?とても愛嬌を感じる。

主人公は部活に入っているわけではなく、町の老人と一緒にゲートボールすることを好んでいる。それが物凄くほのぼのするし、もしかしたら学校生活に疲れた人には癒しに感じてもらえるかもしれない。もしくは自分の世界だけが全てではないと、はっとさせられるかもしれない。兎も角変わり者かもしれないが、幸せそうにのほほんと過ごしている主人公は好感が持てる。

擬音語、造語多様

絵柄の顔つきのシンプルさもさることながら、ところどころに入ってくる擬音も外してはならない魅力だ。ボールを打つ音で「ポックンパッコン」戦闘シーンで「ぶもーっ」車が進むのに「もこもこもこ」と独特。

また、擬音の他に大勢でしゃべっているコマで擬音のように「にぎやか~」とあったり皆で行こう!のところで「パワー!」とある。作者にはこういった、擬音語でも擬態語でも正確には言えないようなものをうまく使うところがあり、個性的だ。

しかし、マザーグースをメルヘンの代名詞として出しているが、不勉強な私だったので意味がよく分からずついていけなかった。もう少し長めに歌を書いてくれるか、メルヘン=マザーグースという理由を伝えてほしかった。

トリックは素人

結局組長の事故死で幕を閉じるが、その金のハンマーを本棚の上に置くときに組長が台に乗っている(椅子のようにも見える?)し、ドアの汚れに警察が気が付かないのはどうしてだったのか?鑑識は何をしてたの?という疑問もあり、ミステリーのレベルは低い。

一生懸命、一色や黒木と裕子の関係をピックアップしていたが、そもそも現場にずっとお小夜さんが閉じ込められているのを気が付かないという時点で警察の何やってたの感甚だしい。よく調べてください。人一人死んでるし一人行方不明。結構な大事件だと思う。

結局お小夜の証言のみで結果が分かったがそれでいいのか?というラストだったが、それは彼女の人柄なのか誰も疑う者も出ずで終わり。突っ込みどころ満載。

そもそも、たっちゃんがゲートボーラー達と仲良くしだした時に、組長が「あの達也までが・・・なぜだ?許さん。」みたいなこと思ってたみたいたけど何故その思考に行き当たったのかさっぱりわからず、そこは読者の想像任せなのかしら?と思ってもみたけどもどうなのでしょう。私の読解力が足りなかったからか?

想像してみたが、妻に先立たれ子供もいなくて孤独で、自分はゲートボール好きなのに目の前の空き地でゲートボール楽しそうにしてる人たちがいて、達也もそこに参加し~で許さん。ちょっとここは分からなかった。しかし孤独な老人はひねくれた思考をするものなのだな。自分も気を付けなければならないなと勉強になった。なんてたって死んだら次の世界なんてどうなるか分からないのだから。

達也は幸せになった

結果組長が亡くなり、達也は激務から解放され、寝不足でぼーっとすることもなくなるし、たまにゲートボールして運動不足も解消され寝つきも良くなりのいいサイクルができる。やる気もなさそうだし正式に二代目を就任してないから組は解体され、まっとうな道を歩むこともできる。結婚して子供ができたら、その子供は後ろ指を指されずに済む。遺産も達也にすべて転がり込むかもしれない。いいことづくめだ。寄付するとか言い出しそうだが、ちゃんと今迄の苦労の成果だと思い懐にしまっておこう。

組長が空き地を閉鎖したことは、まわりまわって全て達也の幸福へのゲートを開いた。組長も雲の上でハッピーライフだし黒木と裕子は愛を確かめ合い結婚し、悲惨な老人の悲しい事件にもかかわらず物凄いハッピーエンドで終焉。これ以上のラストは無いだろう。欲を言うなら達也と鈴ちゃんがどうなったのかな?といったところを邪推してしまうが、そこはほわっとしたところで終わらせるのが川原流なのか。私としては是非色恋沙汰になっていたもらいたい。

ブラックなところ

そもそもゲートボール団はよそ様の土地を勝手に使っていたのだから何も文句は言えないといえば言えない。

第一刷が昭和61年、全体的にのんびりとして野性的なずうずうしい時代だったからかもしれない。空き地とかでドラえもん達も良く遊んでいるああいった状況なのだろう。現在ではなかなかそうは行かない。都会では公園でボール遊び自体が禁止という世の中だ、ゲートボールどころじゃないだろう。だとすると現在はゲートボールは田舎のご老人限定ということだろうか?

空き地自体絵に描いてある通り草がぼうぼうしていて、三人寝転んでいても気が付かず踏んでしまうくらい、のところもあればゲートボールできるところも多分あったりと広かったのだろう。もしくは自分たちで草を抜いたのかもしれないが、そんな広い空き地が放置されているということ自体のんびりしている。そしてそこで呆けていることも、このセカセカした社会ではなかなか見かけない光景だ。

私たちもたまには空き地を見つけ、そこに座り込んでぼーっとしてみよう。疲れた時にはそういった時間が必要なのである。

今の時代に合うのか?

この作品が出てから31年経っている、と当時読んだ者としては愕然。

当然内容でもメリケン粉、家電もジーコジーコだったりと昭和感が醸し出されている。私はアラフォーなので全く懐かしいといったものだが、若い人が読んだら何のこと?といったことになってしまう可能性は大だ。そういった部分は修正が必要かもしれない。

しかし、もし今もこういった女子高生が入るようなゲートボールチームがあったりしたら、地域的にはそういった若い人と高齢者とのかかわりがあるということはとてもいいことだが、やや現実味に欠ける設定ではある。

この話の場合チームメイトなのでボランティアでは全くない。そうなれたら勿論一番いい。しかしまず親だったら、学校に友達はいないのか?老人達は安全な人たちなのか?等、母親が言っていた「男と遊び歩く」よりもずっと不安としては大きなものになるのではないか。兎に角鈴ちゃんの両親はのんびりとしていることは確実だ。

結論

この作品は昭和61年に発行されたものなので、その時代にはよかったと思う。しかし現在新刊として発行されたなら見向きもされないだろう。所詮は川原ファンが昔の思い出として時々読み返すといった作品に過ぎない。

しかし当時としては、キラキラ少女マンガ全盛期にあえてズボラなジャージを点目の主人公に着せて、主人公より10歳も年上の男を相手役に出し、しかもヤクザを登場させるという暴挙。地味な絵柄の割にはぶっ飛んでたと思う。

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