北斗 ある殺人者の回心 考察
北斗は父に愛されていなかった?
北斗は父である至高から酷い虐待を受けていました。客観的にみると自分の子供なのに酷い、どうして、可愛くないのか、と思ってしまいますが、私は至高が北斗を愛いていなかったわけではないと思います。本文中にもありましたが、北斗の両親は愛情を表現するのが下手だった。北斗の父である至高が優等生として生きてきて、エリート街道を進んでいった中で、至高の両親からのしつけと称した暴力の描写も出てきます。虐待は繰り返す、と言いますが、至高もまた愛を知らない子供だったのではないでしょうか。今でいうアダルトチルドレンです。自己評価が著しく低い、自分のことを認められない、そのまま大人になってしまった至高。至高は間違いなく生きづらさを感じていたでしょう。思うようにいかない、自分を他人は認めてくれない、自分自身ですら認めてあげられない。そんな大人に子供を包んであげることができるでしょうか。至高は、愛情を表現する方法というものを知らないし、親が子供を抱きしめるなんて発想はなかったでしょう。そういう一般的な愛の中で生きてきた人間ではないでしょうから。それでも、北斗のことを愛していなかったらわざわざ暴力も振るわないはずです。もちろんストレスのはけ口にしてしまっている感は否めませんが、追い出してしまったり、自分が蒸発してしまったりせずに、悲しくも暴力という形で北斗と関わり続けたことが、至高の愛情表現だったのではないでしょうか。そんなもの受けたらたまったものじゃないですし、性格は歪み、その子供もまた生きづらさを覚えてしまいます。悲しい循環です。
北斗は殺人者であり殺人鬼ではない
タイトルは「ある殺人者の回心」となっています。もし、現実にこの事件が起きて、ニュースで報道されたとしたら、罪のない女性を2人もナイフで刺し殺した「殺人鬼」とされてもおかしくないような事件だと思います。しかし、北斗は快楽殺人ではなく、目的は生田友親を殺すことだけでした。北斗は里親の綾子のことを苦しめた元凶である生田友親だけを殺したくて研究所に行きました。殺すことを実行に移してしまった殺人者であり、この殺人者という言葉には人格が残っているような印象を受けます。ある理念を持ち、目的を持ち、人が人として人を殺す、と言いたいような気がします。そんなことが実際にあっていい訳はありませんが。北斗は初めて自分を受け入れてくれた、愛してくれた綾子を亡くしてしまって、計り知れない絶望に堕ちてしまいました。抜け出す気なんてないように思いました。これも虐待を受けていた子供の行動指針ですが、自分を罰したがる傾向があります。北斗や明日実のようにリストカットをしたり、自暴自棄な性行動をしたり、常に自分はダメな存在で、どこかで傷ついていないと存在していないような気になってしまう。認められない自分なんて価値がない=認めてくれた人のいない世界なんて価値がない、どうなってもいいから、お母さんのために生田友親を殺さなくちゃ、といった使命感に燃えている北斗の心理がよくわかりました。自分のためには行動できませんが、大切な他人のためになら行動できてしまう北斗の優しい心も伝わってきて、その分遣る瀬無い気持ちになりました。
裁判とは人の心を裸にすること
このセリフは、この小説の中で一番印象深く残りました。この小説を読む前に裁判は、ただ役所のようにマニュアル的に、罪を読み上げ一応みんなの意見も聞いて、まあ過去の判例を照らし合わせて、はい終わり、というイメージでした。しかしこの小説では、北斗が拒否するにも関わらず、情状酌量を必死で求める弁護士が登場します。北斗は厄介な自尊心と他者への拒絶が根底にあるため、ある程度の意思表示はしますが、なかなか心の根底にある思いを吐露しませんでした。おそらく、北斗自身も自分が何を感じて何を思っているか、わからなかったのではないでしょうか。もう北斗の心は、他人に期待して傷つきくことがこれ以上ないように、麻痺していたんだと思います。取り調べの北斗は嘘もついていないし、曲げない信念をもち臨んでおり、本当に頑固だなと思いました。自分だったらこの辺でちょっと小狡いけれども、反省を述べて受け止めて楽になろうとすると思います。しかし、北斗はあまり受け止められたことがないからそんなことしようなんて思わなかったのでしょう。しかしまあ不器用なヤツだなと思いました。それはさておき、裁判を進めるに連れ、麻痺したはずの北斗の心を揺さぶることがたくさん起こります。被害者の家族の証言、明日実の証言、そして生みの母親の証言。自分の殻にずっと閉じこもっていると、表面的なことばかり気にして本質的なことが気にならなくなります。本質的なこととは、他人が本音で何を思っているのかということです。他人を拒絶して生きてきた北斗だから、他人の気持ちを慮る能力は低いように感じました。しかし、この裁判を通じて北斗の心の殻は崩されていくように思いました。
揺れない北斗の心
被害者の息子が、「裁判なんていいから北斗が自殺してくれればいい」と言った後に、北斗は「ありがとうございます。考えてみます。」と発言しました。もし自分が被害者の息子だったら、自分の発した言葉が宙に浮いて虚しく空回り消えたような気がしたと思います。結局自分の悲しみはこいつには伝わらない、と思ったはずです。しかし、北斗は本気でその選択肢も考えており、面と向かって死んでくれと言われたことに実はショックを受けています。それは読者だからわかるのであり、おそらくその場にいたらわからないでしょう。北斗はこの時点ではほとんど感情を表に出していませんでした。裁判の休憩室や終わった後の描写では北斗の心情がわかりますが、裁判中の行動では全くわかりません。弁護士の高井先生が注意する場面もあったように、端から見れば何を考えているかわからなく、改悛の情は感じられないでしょう。
徐々に揺れていく北斗の心
もう1人の被害者家族の証言では、少し揺さぶられているように思いました。もう1人の被害者家族は極刑を望まなかったからです。被害者は優しく、寛容な人間で、もし被害者がこの場にいたら極刑を望まないだろう、というのが理由でしたが、その聖人さが綾子と被り、北斗は綾子のことをまた思い出しました。綾子との時間を思い出したところで、実は北斗の心の殻は少し崩れていたのではないでしょうか。そして、生みの母親の登場。生みの母親は自分のことなんかちっとも愛していないはずなのにどうして出てきたのか、この時点で北斗の心は揺れていました。あんなに自分を痛めつけた生みの母親が、まさか自分のためにわざわざ裁判所に来るなんて思ってもみなかったことでしょう。母親の証言は、母親自身には苦い証言でした。その証言によって、虐待した母親、子供より自分を守った母親、とみなされてしまいます。それでも出て証言をし、最後に冷たく「勝手に生きろ」と伝えたことで、北斗は母親なりの歪んでひん曲がった愛情を感じました。そこからは話が進むのが早く、明日実からも生きろと言われ、北斗は自分自身に付いて考えます。今まで大切にしてこなかった自分、傷つけてきた自分、誰も守ってくれなかったけど、自分でも自分を守らずに生きてきたこと。次の日の最後の証言で北斗は初めて、傷ついたかわいそうな自分を抱きしめられました。アダルトチルドレンの改善法に、過去のかわいそうな自分を認めてあげましょう、抱きしめてあげましょう、とよく書いてありますが、北斗は裁判を通して過去の自分を認めることができたのだと思いました。まさしく、心を裸にしたのです。
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