ありそうでなかったヤンキー教師の物語
目次
ヤンキーあがりの教師という設定
こういう設定は決して珍しいものでないのではない。いい教師に出会えて改心し、教師になろうと決断したという話はよくある。でもこのマンガはそれで終わりでなく、最後までずっと元ヤンキーだった彼が教師として生きているストーリーである。もちろん元ヤンキーならではのメチャクチャ感も程よく出てくるのだけど、彼、鬼塚英吉は決して悪人ではない。むしろ時折見せる気の弱さも手伝い、こと女性に関しては奥手だったりする。しかしその行動、大人というよりむしろ生徒側のような考えに、問題児だった生徒たちが次第に心を開いていく。その様子はまったく不自然でなく、その問題児の生徒たちに逆に感情移入してしまうくらいだった。問題行動を起こす生徒にもそれぞれバックグラウンドとなるものがあり、その行動には理由がある。それを教師は頭ごなしに叱り付け、その声を聞こうとしない態度に対する怒りは、私も確かに思春期の頃感じたものだった。大人に対する怒りというものを抱えてあの頃の子供たちは生きている。それに唯一理解を示し、話を聞き、上からでなくあくまで対等に会話する教師、それができたのは鬼塚英吉がそれこそ昔怒りを抱えて生きていたからだろう。大人にゴミ扱いされ、話も聞いてもらえず、だからこそ自らはそうはならないと拙いながらも決心するところは、純真にさえ見えた。
当時の社会問題や風俗、教育なども盛り込まれているストーリー展開
彼が勤める吉祥寺の学園中等部には、多種多様な問題が常に起こっている。天才少女で不登校の神崎麗美や、同じく天才少年菊池や相沢など、自分たちの担任をすべてイジメによって退職を余儀なくしている。その手口は単純に暴力によるものでないところが現代のたちの悪さを感じさせる。
またもちろん生徒同士のいざこざも後をたたない。印象に残っているのは、トロちゃんや麗美に対する雅たちのイジメや、ノボルと上原さんあたりの対立(そしてその後の展開)だろうか。トロちゃんを鬼塚に告白させてもろとも排除しようとした目論見に対して、エサにかかったのは体育教師の袋田だったけれど、彼にも教育者としての問題はありあまるほどあるだろう。信用できない大人の象徴、それが教師なのであれば彼らとの信頼関係を築けるはずもない。
教頭である内山田も問題を抱える人物の筆頭だと思う。保身を考えるあまり生徒のことを軽んずる発言や態度は、一番最初に鬼塚が決めたジャーマンスープレックスだけでなく数々の鉄槌で一度ならず何度も態度を改めたかのように見えるのだけど、結局最後まで鬼塚の理解者にはならなかったのは残念だったように思う。
印象に残った事件
色々事件がストーリーの中で起こるのだけど、個人的に最も印象に残っているのは神崎麗美と雅一派の対立だと思う。麗美は何しろIQ200の超天才少女であり(家庭教師にパンツをかけてカッシーニの軌道の計算をさせたのはすごすぎた)、怒らせたら怖いと分かっていたはずなのに手を出してしまい、雅は社会的に抹殺してやると宣告される。抹殺方法は数々の盗撮ビデオだったのだけど、結局その動画や写真は公開されることなく皆で写っているスナップショット一枚だけがデータとして残っていたこと。あれほどひどい仕打ちを受けながらも、麗美はまだ雅を友達と思わずにはいられなかったのだろう。その捨て切れなかった善意(と呼ぶべきもの)が雅の精神を余計に苛む。
結局雅自身もクラスを裏切っているという事情があり、率先してイジメなどに加担せざるを得ない背景があったのは理解できたのだけど、それでも絶対やったことは大きいし、100%感情移入しきれないところがある。大げさに言うと、殺人を犯した人間がたとえどんなバックグラウンドがあったとしても「でも殺してしまったんだろう」という一点を見過ごすことができないことによく似ている。その壁はとても高く普通の人間は決して超えることのない壁である。それを超えた以上、どれほどの理由があってもさほど感情移入はできない。
報復を考えた麗美が行動に移したときの雅のアドレスを窓にスプレーするシーンがある。あのあたりのストーリー展開はゾクゾクした。忘れられないシーンの一つである。
鬼塚英吉の教師としての顔と態度
もちろんマンガであるから、その表現が現実離れしているのは当たり前だしそれが魅力だとは理解している。とはいえそれが度を過ぎてしまうとそのストーリーにあまり入り込めなくなってしまうというデメリットもある。
鬼塚が授業をしているシーンは数多くないけれど、それなりにある。いつもふざけてコスプレをしていたりとか、常に自習とか誰かに本を読ませているだけとかいうのが目につく。確かにそれは若者には面白がられるだろうけど、大人になってから読み返してみると、本来教師としてのやるべき最低限はやっておいたほうが何かといいのではないかと思ったりもした。それは大人特有の計算高い見る目なのかもしれないけど、このあたりは生徒の両親に何か言われたときに言い訳が聞かないだろうとも思う。受験に関係のない科目だから大目にみられているのかもしれないけど、ここはちょっと気になるところではある。
授業の態度はそうでも、こと生徒に対する鬼塚の態度はさすがに他の教師とは一線を画している。それが全て覆い隠してしまうのかもしれないが、教師としての最低限の矜持はあるべきかもしれないとも思う。
麗美を救った鬼塚が他にも救ったもの
その高いIQゆえに孤独感を募らせ自殺を考えた麗美を探し回る鬼塚に内山田が言ったセリフがある。「生徒なんてこれから何百人も受け持つ。その全てを責任をもてるはずもない。肩の力を抜きたまえ」。こう言われた瞬間に鬼塚が内山田を殴り飛ばしながら、「てめえにとって生徒は何百人に一人かもしれないが、生徒にとったらその先生はたった一人だ」と怒鳴る。このシーンは、これを描くためにこのマンガがあるのでないかというくらい印象的なものだった。ベタかもしれないが、本当にその通りなのに大人はそういうことに気付きもしない残酷さをわかっているのか。作者にそう言われたような気さえした。結果、麗美を助けることができ、しかも冷え切った彼女を裸で温めようとするその勇気(なにかすれば教師の不道徳が歌われる昨今に)は考えなしなのだろうけど、生徒が安心してもたれかかることのできる何かを彼がもっていることを再確認した出来事だった。
藤沢とおるの描く絵柄とその特徴的なコマの中の文字
彼の書く絵はそのストーリーの割りには、時折崩されることはあっても緻密にきちんと描かれているという印象を受ける。そして彼の作品に特徴的な、登場人物の内面の言葉を文字にしてコマの中に書き、オチ的なものは大きくゴシック体で強調するあの形は彼が初めて作りだしたもののように思う。よくバラエティでもしゃべっている内容の面白いところをテロップで出したりするけど、なんとなくあれとよく似ているように思う。映像であれはあまり好きではないのだけど(オチを固定される気もするし、実際本当になんて言ったかわからなかったから今こそそれが欲しいときに限ってでてこないその不自由さも嫌いだ)、このマンガに限ってはテンポのようなものを生みだし逆に心地よい。特に内山田教頭がそこからこのままだと田舎でタクシー運転手をやっている末を想像していくさまなど、現実の脳内の頭の中を見たらあんな感じなのかもというくらいリアルで印象深いシーンだった。
この作品はただのヤンキー漫画以上のものを感じさせる。幼いような甘えたセリフもたくさんあるのだけど(それは年をとるにつれ増えていく)、昔は確かにこう思っていたということを思い出すためにも、このマンガは時々読み直している。
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