軽くコミカルながらも現実を描いた物語
他と比べて少し異色な短編集
荻原浩の短編集は珍しくない。「さよなら、そしてこんにちは」や「ちょいな人々」などたくさんの短編集を出している。その中でもこの「冷蔵庫を抱きしめて」は少し異色に感じる全体的なカラーがある。今までの荻原浩の作品だと、どこかほんわかとしながらも切なく少し笑ってしまいながらちょっと涙腺がゆるんでしまいそうな、そういう穏やかな優しさといったものがいつもある。でもこの作品にはそれだけでなく、その上に少し現代的な問題というか、ありがちなんだけどちょっと笑って見逃せないような問題を交えている。この本には全部で8つの短編が収められているのだけど、その全てに(それも現代的といってもいいのか)テーマとして病気や悩みが描かれているのがその異色に感じるところなのかもしれない。
例えば一番最初の物語「ヒット・アンド・アウェイ」はDV男と戦うシングルマザーを描いている。荻原浩の文章ではほんわかしたものが多いけれど、暴力的だったり厳しい文章もないというわけではない。むしろその表現力の緻密さや豊かさがある分、かなり読み手がダメージを受けるものも少なくない。なので冒頭から始まるその暴力的な部分は若干薄目で読んでしまうくらい警戒したのだが、最後のベタだけれどもすっきりハッピーエンドに終わるあたりはさすがだと思った。だけど短編でこのようなハラハラ感を感じたのはあまりなかったように思う。こういった展開がその他全てにではないけど多いのが、少し他とは違うなと感じた点だった。
多種多様な分野から広がる世界
荻原浩の小説、特に短編を読んでいてよく思うのが、どうしてここまで各分野に詳しいのかということ。葬儀屋であったり、料理研究家であったり、ただの主婦であったり。今回はボクサーや、摂食障害を抱える新妻、恋する女心の移り変わり、はたまたDV男の精神。本当に彼の物語の舞台は様々な分野に及ぶ。もちろん取材もあるのだろうけど、それだけでは補えない何かがあるような気がする。そしてその全ての舞台で登場人物たちは違和感なく行動し発言し、そしてその行動や発言に読み手が感動したりするというのは、小説家というものはそういうものなのかもしれないけど毎回いつも感心してしまう。
特に今回の物語で感情移入してしまったのは、タイトルにもなっている「冷蔵庫を抱きしめて」。結婚したてで行動の全てが愛情が原動力のような時に、2人の食の好みがまるで食い違うことに気付き苦悩する新妻の話。すごいのは終始彼女の目線から物語は進んでいくのだけど、気合を入れて作った朝ごはんをあまり喜んでくれない夫への失望とか、文句があってもまず始めはほめてくれてもいいんじゃないの?って思ったりする気持ちとか、どうしてここまで女性の気持ちがわかるのかという驚きがすごかった。ありがちな話でしょうと言われればそこまでなのだけど、この奥さんの気持ちはかなり感情移入してしまった。もちろんそこからの悩みで昔患った摂食障害がでてきてしまうのだけど、これも雨降って地固まるといった終わり方で、ここに収められている物語の中では一番好きな作品である。
少し感じる問題点
この短編集にも荻原浩特有の優しさや穏やかさは十分感じることができる。彼の書く文章はその豊かな表現力のおかげで頭の中で簡単に映像化されるのだけど、なぜかマンガチックに脳内で再現される。イメージとしてはあだち充のようなまるっこいフォルムというかあんな感じなのだけど、今回のこの本もそういうところはある。のだけど、若干個人的には文体が軽すぎるのではないかという気がする。もちろん現代の若者がテーマなのだから、そのしゃべり方やメールでの文体を描く以上ある程度そうなってしまうのは仕方ないのだけどそれだけでなく、例えば主人公が頭で思っていることがそのまま文章になっているから全体的に口語的になってしまっている感じがある。それは荻原浩の小説ではよくあるし、頭で相手に突っ込んでいるところが文章になっているところなんてニヤリとしてしまったりするのだけど、なぜか今回のはそれが多用されすぎというか、ケータイ小説なるものは読んだことがないのだけど今回のこの話はそれのボーダーギリギリなのではないかと感じてしまうくらい、軽さが否めなかった。もちろん全ての短編がそうではないのだけれど。
そういう意味で言うと、「アナザーフェイス」や「顔も見たくないのに」「カメレオンの地色」には特にそういうカラーが強い。どちらもテーマは悪くないのに、その文体のせいで読み進めるのが若干つらい部分はあった。ただ「アナザーフェイス」はそういう感じながらも荻原浩には珍しいホラー風味があり少し先が気になったのだけど終わり方が「私メリーさん、あなたの後ろにいるの」のような感じで、もうひとひねりくらいは欲しかったように思う。あそこでただのホラーにしてしまうのはもったいないのではないかと思えてならない。
荻原浩作品で唯一わからなかった物語
タイトルは「カメレオンの地色」。この物語は荻原浩の作品で唯一意味がわからなかった上、その主人公の気持ちの移り変わりに感情移入ができなかった作品である。好きな男を家に呼ぶために自分の部屋を片付けるところはわかる。でもそれを一日でするのはかなり無理があるくらいのレベルの汚部屋というのにちょっと違和感をもった。それほど部屋を片付けられない女性がその男性のためにそこまでやるほどの行動力があるのかという疑問もあるし、その汚れの地層から掘り出したアルバムで昔好きだった男の子を思い出したといった流れもよくわからない。少なくとも今別の男の人のために部屋を片付けようとしていて、その男の人のことは打算はあるのかもだけも、少なくと好きという気持ちがその文体では感じられた。なのに急にアルバムを見つけて思い出が蘇って、その昔の彼氏に連絡しようとする気持ちがどうにも理解できなかった。それほど好きならアルバムなど掘り返さなくとも心に残っているはずだし、そもそも今の人のためにそこまでの部屋を片付けようと思ったりもしないだろう。
でもだからこその「カメレオンの地色」なのか。だとしたらちょっと読み手としては腑に落ちた感もあるのだけど。感情移入するしないかかわらず、私はこの女性がきっとあまり好きではないのだと思う。
視線をブロックしたいという切実な気持ち
ここに収められている中で一番好きなのは「冷蔵庫を抱きしめて」と書いたけれども、それと同じくらい印象に残る話が「マスク」である。簡単に言えばマスクなしで人前に出れなくなってしまった男性の話なのだけどその気持ちがわかってしまうところが、この話を好きな理由である。
昔海外に何年か住んでいたことがある。その国はアジア人が珍しいのか、遠慮のない視線を向けられることが非常に多かった。始めは無視したり、逆に無駄にフレンドリーになってみたりしたのだけど消耗してしまいどうにかならないかと考えたのが、サングラスだった(マスクを普通に売っている国ならマスクもしていただろう)。そうすると人々からの視線を避けることが簡単にでき、ましてこっちがどこを見ようと相手に知られることもなく、こちらの表情もそれほど覗われることがない。この効果は絶大だった。当時サングラスなしでは出歩いていなかったと思う。この経験があるからこの男性にはかなり感情移入してしまった。私以外にも、そういう気持ちになる人がいるんだなと変に感傷的になってしまうくらい嬉しかった。とはいえ舞台は日本であるから、それはちょっと理解がされにい「武装」なのだと思う。だからこそこの男性に強く感情移入してしまったのかもしれない。
荻原浩の作品では中程度か
他のたくさんの彼の良質の短編を読んでいる以上、この「冷蔵庫を抱きしめて」は正直それほどではないと思う。いいところももちろんたくさんあるのだけど、それほどの完成度ではないと思う。本当にさっと書いたといった趣かもしれない。それでも、いかにも自宅の庭でなりましたといった感じのリンゴをもらってそれが妙に印象に残る味だった時のように、この短編集にもそういった味わい深いものを感じるところがある。だからこそ、私は荻原浩の文章が好きなのだと思う。
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