おそらくは日本一センスのある漫画
センスの塊
このドロヘドロという漫画、何がすごいってセンスがすごい。すごいなんてものじゃない。ものすごい。センスとはなんぞと問われれば、それはとにかく独自性だと思うのだが、この漫画はあらゆる意味でオリジナリティに溢れすぎている。始まり方からして秀逸だ。口の中にいる謎の男だなんていう、意味不明の展開から物語がスタートするドロヘドロ。この時点でもうセンスがやばい。しかもその男の正体も口の中にいる道理もちゃんとした理由があり、決してギャグ漫画ではないというところもたまらない。この口の中の男然りなのだが、この漫画は、カイマンのトカゲ頭の意味だったり、ニカイドウの魔法についてだったり、ホールと魔法使いの関係であったり、とにかく小説かっちゅうくらいに話がしっかりと練り込まれているのだが、そのパーツがおかしいというのが何よりの特徴である。話を構成する、素材がおかしいのだ。
このおかしさの正体は、一言で言えば、「コンセプトから乖離したデザイン」と言えるだろう。普通、そんなデザインを漫画でしてしまえば、ただの駄作で終わってしまうだろう。しかし、ドロヘドロは面白い。なぜ面白いかと言われれば、それはセンスがあるからだ。
ここでは林田先生の、センスあふれる世界観を紐解いてみよう。
煙ーエンー
ドロヘドロにおいて、恐らくは主人公集団よりも人気が高いであろう敵チーム……というか、日本中の漫画を見渡したってこれほど魅力的な集団はいないとまで言えるほどのオモシロ集団、煙ファミリー。そのボス、煙の操る魔法がキノコという時点で、この漫画がいかにハイセンスかがわかるだろう。この男、作中内ではラスボスに近いレベルの存在なのに、キノコって……コンセプトからの乖離、その一である。だがしかし、彼の魔法がキノコであることが、本作のどことなくフザけた空気感の形成に役立っているのは間違いない。彼は、キノコでなくてはいけないのだ。本作はおどろおどろしいながらも、どこか抜けた空気感を持つ漫画であるが、それが一番最初にわかるシーンこそが、煙の初登場シーンだと筆者は思う。彼、むっちゃカッコよくておっかない顔で現れるにも関わらず、右手にはハサミ、左手にはキノコの入ったバスケットという、キノコ狩りにきたオッサンスタイルなのである。きっと勘の良い読者なら、この時点で、本作を彩る魔法という要素が、凡人の想像するようなありきたりのものではないと気がついたに違いない。
物語の中盤で命を落とす彼であるが、結局はファミリーの命がけの奮闘によって見事に復活し、彼は大金星をあげることになるのだが……そこについては、後述しよう。
悪魔
今作には悪魔という設定がある。こいつらの特徴は、なんと全知全能。普通だったら漫画全体がご破綻してしまうような設定である。少なくとも、キャラの魅力を単純な強さに頼るような漫画では、悪魔たちの設定は相当に冒険的と言える。なぜなら、他のキャラクターたちの強さの格が一気にガタ落ちしてしまうから。だが、やはりというかなんというか、本作においてはこの悪魔の設定もまた秀逸に生きている。普通なら扱いが難しくて物語がスッ転げて行ってしまいそうなものだが、そこは林田先生の構成能力の高さに脱帽である。
また、悪魔のデザインも一つ一つが素晴らしい。というよりも、中に本体が入っているというアイデア自体が面白いのだ。魔法使いが訓練を経ることで悪魔になるという設定を、こんなふざけた形で表現するのは林田先生だけだろう。しかもそれが、後々のニカイドウ悪魔化の伏線となっているというのだから驚きである。普通ならふざけて見える設定を、大真面目に取り込んで物語にするのが、ドロヘドロなのである。
煙の復活劇
本作において、煙が復活するまでの過程は中盤から最新話近くまでの大きな見所であるわけだが、その最後の場面、ファミリーのメンバーの文字通りに身を削った救出作戦に関する伏線は見事の一言である。その根幹を担ったのはターキーの魔法だが、彼の魔法そのものがまずセンスに満ちあふれているだろう。人形作りの方法が、料理って。しかもやたらと美味しそう。彼は物語の最序盤から登場するキャラクターであり、その魔法も読者の印象に残りやすいものであるが、まさかそれがあの場面で、「自分たちの体を料理する」なんて使い方をされるとは誰もが予測できなかったに違いない。バラバラになった体を使って料理を作る。執念、献身、残酷さ、痛々しさ、信頼、絆……そしてバカバカしさが完全にミックスされた、これぞドロヘドロな名シーンである。三人の男の生首(一つは鳥の丸焼き)がBBQグリルを見上げながら「BBQグリルだ」と叫んでるなんてシュールな絵面で、なぜか読者は感動してしまうというのは、よく考えなくても異常である。ここまで奇怪かつ面白いシーン、他のどんな漫画にもないんじゃなかろうか。
十字目のボス
と、これまでドロヘドロのふざけた部分にばかり注目してきたが……実際のところ、筆者が語りたかったのは、その先である。ドロヘドロはどことなく間の抜けた雰囲気を持つ漫画であり、キクラゲと能井のせいもあって、人の生死さえやたらと軽い、ポップな作風が魅力なのは間違いない。だが、この漫画は決してギャグ漫画ではない。ドロヘドロは、スプラッター・ホラー・ファンタジー漫画なのである。ここまでふざけた設定の多い漫画では、シリアスなシーンは描きようがないと凡人には思えてしまうが、実際のところ、本作は結構怖く、おどろおどろしい。その理由はやはり、ホラーやシリアス描写のある場面においては、「締めるところは締めている」からなのだろう。
最たる例が、十字目のボスその人である。
彼のデザインには、どんなおふざけも含まれていない。彼は真っ当に筋肉質な強面の男であり、心のような愛嬌もなければ、煙のようにふざけた力も持ち合わせていない。ナイフを持って戦い、魔法使いを殺し、仲間をも惨殺する正真正銘のヒールである。それはある意味では、全くドロヘドロらしくないキャラデザインであるといえるだろう。本作の最強はチダルマ(あるいはストア?)であるが、彼にだってコメディ・リリーフとしての役割が振られているのがドロヘドロである。しかし、十字目のボスにはそれがない。徹頭徹尾渋い悪役である。また九つの首であったり、アイくんという前身の存在であったり、実は主人公と密接な関係があったり……一人だけ、存在がアキラばりに入り組んでいる。そのシリアスさは、直球のダークファンタジー、ベルセルクなどと比べてもまるで遜色のないという、本作の黒さを代表する名悪役なのだ。
ドロヘドロの感想を聞けば、大抵の人はふざけた漫画だと口をそろえる。それも確かに間違いではない。だが、ドロヘドロにおいてふざけた場面が目立つのは、その本質的な部分が。十字目のボスや栗鼠の魔法に代表される極太のシリアスさで構成されているからにほかならない。ダークな部分も抜きん出ているからこその、ドロヘドロ。これも一つの真実だろう。
カスカベ博士の女?
それでは最後にもう一つ……ドロヘドロにおいて未回収の伏線の紹介を一つ。7巻において、カスカベ博士が既婚者であると判明したときの、バウクス先生の発言を覚えているだろうか。彼は、博士のもとで働き始めだった頃に、彼に女がいた気がするというのを証言している。その後すぐにハルが登場し、彼女自身も後にバウクス先生に向かって「お前を知っている」なんて言ったものだから、意外と忘れらがちなこの証言であるが……そのバックに映る一枚の回想絵において、カスカベ博士と喋っている女性の髪の色にご注目いただきたい。なんか……黒くなくないか?ハルの髪の色は、カスカベ博士との出会いのシーンから、一貫して黒であるのに、なぜかこのコマにおいてだけは、黄色か白っぽい色として描かれているのだ。
そして、そういう髪の色をした、時を操る魔法使いを、読者は一人だけ知っているはずだ。
今後の展開に注目である。
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