女性向けグルメ漫画の先駆け
お嬢様がお嬢様でなくなったときから始まる物語
主人公藤原百恵は食道楽の父親に何不自由なく育てられたお嬢様だったが、ある日父親が急死したことによって家族を支えるために働くことになる。しかしうまくいかず立ちどまった店の前から漂うコンソメの香りから物語は始まっていく。
食道楽の父親と様々な料理を食べてきた百恵の舌の記憶は確かで、旬のものやそれぞれの食材の組み合わせ、調理法など知り尽くしているのに、お嬢様で育ってきただけあって料理だけはできない。このミスマッチが他のマンガとは違って面白く、そしてその欠点を克服していく様がリアルに描かれていた。プチラパンで働き出した当初はお味噌汁を作ることはおろか、じゃがいもの皮さえ剥けなかった彼女が立派にコックとして成長していくところは、当時なにげなくOLとして働いていた私に少し勇気をくれた作品である。
いまでこそたくさんのグルメマンガが氾濫しているけれど、当時はそれほどの量はなかったと記憶している。ましてや女性向けなどはあまり出ていなかった。そういう意味でこのマンガは新しかったし、だからこそ早々にドラマ化されたのかもしれない。
数々の料理の魅力と、それを食べる人の表情の魅力
グルメマンガで料理の絵に魅力がなかったら本末転倒である(恐ろしいことに、そういうのは時々ある)。このマンガはその問題は軽くクリアしていた。出てくる料理すべて、和食もフランス料理もはたまた屋台の料理まできちんとおいしそうで、またそれを嬉しそうに食べる百恵の姿も好感が持てる。料理がおいしそうなのは当たり前で、このマンガの特徴はそれを食べる主人公のおいしそうな顔にその魅力があるように思う。食べるものに対して真剣に向き合いその命を頂くという、人が生きていく上での原点中の原点が終始大切に描かれているところが、他と違うところだと思う。このテーマは「美味しんぼ」でも何回か取り上げられていた。そこでは、命あるものを食べないと生きていくことができない罪を原罪というと書かれていたことが印象に残っている(あのマンガは食べる姿勢やその言葉が時に回りくどく感じることが多いけれど、よく読んだマンガだった)。この「おいしい関係」にもそのあたりのことを意識して描かれているように思う。
特に覚えているのは、百恵が父親と屋台のラーメンを食べにいくところ。寒くて寒くて手がちぎれそうに寒くて、そんな状態で食べるラーメンを描いているシーンがある(そこで味がわかるのかどうかは置いといて)。このマンガはそういう食べるときにもっともふさわしい温度や状況を上手に描いている。屋台のおでんで日本酒のシーンもやけにおいしそうだった。食べる時の温度、体温、シチュエーション、そういったものをもっとうまく準備すれば、私たちも食べることがもっと楽しくなるかもしれないと思わせてくれるシーンだった。
料理をするということ
このマンガのもう一つの特徴は、旬のものを大事に扱うとか、お米をきちんと研ぐとか、食材を尊重した味わい方とか、どうすれば相手が喜ぶかとか、そういう料理の基本のことがよく描かれている。そこで気づいたのはそれは決して技術ではなく、心構えというか心のなかにきちんともっていなければならないことではないかということだった。千代ばあの料理は決して材料や腕の自慢でなく、食材に丁寧に向き合い、いつも相手のことを考えてできあがるものだった。あの料理は絶対に高級食材や珍しい調理方法だけでは仕上がらない何かを持っている。織田のコンソメもそう。ただの一皿にあれほどの手間をかけるということはそうそうできるものではない。毎日のことだからついついおろそかにしがちなことだけど、そのあたりは忘れてはいけないことだと再確認した。こういうことを感じさせてくれるグルメマンガはあまりないと思う。
登場人物の関係性の弱さ
とはいえテーマが料理以外のものとなると、このマンガはいささか弱い気がする。私の意見としては、もともと料理がテーマのマンガなのだからあまりそれ以外のことで話を広げて欲しくないというところがある。そしてそういうのはあまりうまい展開を見せないものが多い。このマンガもその例に漏れず、今村可奈子や高橋薫といった登場人物はでてくるのだけども、可奈子はともかく、薫といつどうやって仲良くなったのかわからず、かなりの違和感があった。確かレストランで百恵と口論して、それからしばらくしたらもう仲良くなっているという展開だったので、落丁本かなにかかと思ったくらいだった。あと、百恵が誰に対しても感情移入しすぎてすぐに泣いたり落ち込んだりするのも度が過ぎているように思えて、個人的にちょっと引いてしまうシーンがいくつかあった。それほど相手と親しくもないのならその背景もわからないし、それなのにそこまで思えるかということがただの甘いヒューマニストのような気がして嫌だった(プチラパンのサラダのトマトを自腹で買うところもやりすぎだと思う)。
薫の愛人とか、可奈子が精神的におかしくなるとか、そのあたりは余計な展開なような気がする。薫の愛人が事故で亡くなって落ち込む薫を慰めるために自らを差し出すというのも、逆にもしかしたらものすごい計算があったりするのかと思うくらいその前後関係が希薄で、このあたりはもうすこし丁寧に知りたかったと思う。
織田を育てた千代ばあに気に入られたくだりも、おいしいものをおいしそうに食べるところだとは思うけど、それだけであそこまで気に入られるかなというのも不思議なところ(グルマンという言葉をあそこで初めて知った)。説明が多すぎるのは逆効果だとは思うけど、百恵に関わるほぼすべての登場人物がいつからそんなに仲良くなったの?という行動や態度が多く、そのたびに読み返したり首をかしげたりすることが多かった。
様々な展開を見せてくれるのは読み手は嬉しいのだけど、そのほぼすべての話が料理に対してほど掘り下げられておらず、なにか中途半端感が否めない。これほど風呂敷を広げずともテーマが十分おもしろいのだから、それ一本でいってもよかったのになとは思う。
ドラマの残念感
マンガの実写化はどうしても残念なものが多いし、またその残念だったものばかり記憶してしまいがちだけど、このドラマもひどかった。なにより主人公百恵が中山美穂というのがまったくイメージが違った。ほんわかしてしてながらも芯が強いというのが百恵だと思うけど、中山美穂だとただ気が強いイメージしかなく(そしてそのように見えた)ずっと違和感があった。もしかして可奈子役の方が合っていたかもしれない。織田も唐沢さんではなかったし、薫も宅間伸ではなかった。二人とも線が太すぎて強すぎた。織田も薫も強靭なものをもっているのだけどどことなく脆いところがあり、それがキャラクターに深みをもたせていたのだけど、ドラマではそれがまったく出てなくてただただがんこな職人気質の料理人のようで、安く見えてしまった。プチラパンのオーナーは原作では確かに人はいいのだけど困難がでてきたら逃げてしまったりという弱い人物だったけども、森本レオの演じたオーナーはただただ弱くてやる気のない感じでその人の良さ感が悪目立ちしすぎてあまり同情ができなかった。逆にぴったりだったのは、草なぎくんが演じた木村くんだけだったと思う。優しげで、でもしっかりしていて強さがあってという雰囲気を草なぎくんが好演していた。キャストに不満があっても見続けていくうちになんとなくしっくりきだして、案外悪くなかったなと思えるようになることはよくあるけど、このドラマに関しては個人的にはずっと違和感がぬぐえない残念な結果となった。
槇村さとるの絵は決してコメディタッチではないししっかり書き込まれているから、実写化はしやすいのかもと思っていたのだけど、ふたをあけてみたらそうでもなくて最後まで見ることはなかったように記憶している。
とはいえ、この作品のキーワードであるコンソメスープ。あのスープにあんな手間がかかっているとは知らなかった。一度機会があったら飲んでみたいと思う。
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