単なるジャズ漫画ではない
ジャズ漫画でもなく恋愛漫画でもなく、「青春漫画」
『坂道のアポロン(以下、アポロン)』は、不思議な作品だ。
少女誌『月刊フラワーズ』にて連載されたにも関わらず、少女漫画らしい恋愛要素に依存していない。かといって、これまた少女漫画の主題としてよく取り上げられる「部活」や「放課後」などを取り扱ってはいるものの、これら一つのテーマに固執することもなく、始めから終わりまで物語が綴られている。
しかし、全てのテーマが浅く扱われている訳では、決してない。
恋愛、ジャズ、学校、友情。むしろ、作中で取り扱われるこれらのテーマは、物語という道の上に点在する標識のような存在だ。出しゃばらず、しかして道を往く読者たちの傾注をしっかりと受ける存在。特別な何かを「観た」訳ではないのに、「見た」という事実だけが心の片隅に残る――『アポロン』は、総じてそのような漫画であるといえる。
それでもあえてこの漫画にテーマと呼べるものをくっつけるなら、それは「青春」なのだ、と筆者は思っている。
昭和の一時代に生きた、少年少女の物語。それ以上でもそれ以下でもない。
だが、それが『坂道のアポロン』の全てであり、魅力なのである。
この漫画を好む人は、「どこが好き?」と問われても、おそらく答えに詰まるであろう。あえていうなら、「『アポロン』の空気感」と答えるのであろうか。それほど、言語化しがたい不思議な魅力を湛えている漫画なのである。
時代性を楽しめる漫画
筆者の好みについて語らせてもらえば、『アポロン』の作中でもっとも面白いのは、時代性が丁寧に表現されていることだと思っている。
はっきりいって、この世にあるほとんどの少女漫画のクオリティは、少年漫画に遥かに劣っている。その理由の一因には、「取材をしない(する必要がない)」ことにあると思う。
今はだいぶ改善されてきたが、ひと昔前の少女漫画誌で取り上げられるテーマといえば、毎回同じ「学校で恋愛」だった。
誰もが通ったことのある学校で、誰もが知っている「かっこいい男のコ」を恋の相手とする。こんなお定まりのストーリーばかりでは、取材をする必要性がないのだ。
だが、もちろんこんな漫画ばかりでは雑誌連載陣が金太郎アメ状態になってしまうのも当たり前で、その結果廃れても仕方のない話である(余談ではあるが、少女漫画誌のカラーはだいぶ雑誌ごとに異なり、ファンタジー色の強い漫画誌、OLものが多い漫画誌と、まるで派閥分けされたカラーギャングか政党のような有様なのである。この辺りについて考察してみるのも面白いかもしれない)。
だが、『アポロン』はそうではない。「女性漫画とはかくあるべし」という風潮に流されることなく、丁寧に丁寧に物語が描かれている。
特に筆者が興味を惹かれたのは、学生運動が取り上げられるシーンだ。
そこで登場する出来事は、当時を知らない人間にとっては新鮮、かつ驚くようなことばかりだ。なにしろ、「オルグ」「セクト」「アジテーション」などなど、まるで聞いたことのない言葉が並ぶ。
学生運動はエンターテイメントでは取り上げられにくいテーマだけに、当時を知らない世代としては読みながら興味津々である。こんなことをしてた人が今の役員の立場の世代なんだー、へー、と思うとちょっと怖くもある。また、当時の学生特有の「全く~~な奴じゃないか」「おい○○(苗字)お前~」などと芝居がかった鼻について楽しい。昔のドラマの登場人物って本当にこういう芝居がかった喋り方で、現代人としてはなんともいえない可笑しさを覚えてしまう。
また、主に女性陣の丁寧な言葉遣いや、仙太郎のバンカラ衣装もまたグッとくる古さ。更にベストのことをチョッキと呼ぶのである! 「このチョッキよかね。お父さんに編んであげようかな」というこの一文に込められた時代性よ! NHK朝ドラでしか見たことのないこのノスタルジックなセリフこそ『坂道のアポロン』最大の魅力である。
優れた読後感はなぜ生み出されたのか
『アポロン』でもう一つ優れているところは、その読後感にあるだろう。
学生時代を取り扱った多くの漫画は、主人公たちが卒業して物語が終わる、ということが圧倒的に多い。学校生活と同時におのおののドラマに一区切りがつく、というのが漫画の定番であるのだが、『アポロン』はそうではない。
他の青春漫画・恋愛漫画とは異なり、卒業したあとの話が丁寧に描かれていることも高く評価したい。
千太郎が行方不明になるのも学園祭後で、学生生活の途中も途中だ。そして、千太郎が行方不明になるのを機に、物語は加速度的に収束へと向かっていく。
千太郎が物語のキーマンであることは確かなのだが、これはちょっと驚く描き方であった。
千太郎がいなくなったとしても、薫と律子の恋物語であったり、受験であったりと、描くべきテーマはあったはずだ。しかしそれらは詳細には描かれず、淡々と過ぎ去っていく。これは何故か。
筆者が思うに、薫の学校生活(青春)とはつまり、千太郎あってのものだったのではないだろうか。
故に、千太郎がいなくなってから、漫画では律子との思い出もろくに描かれていない。薫の青春が、千太郎がいなくなってしまったことで色あせてしまったことが読み取れるのである。
つまり、この漫画そのものが、薫の心象風景を切りだしているのであろう。青春を映しだす鏡、と言い換えればよいだろうか。皆さんにも覚えがあるだろう。思い出だけが鮮明に見えることが。
薫にとっての思い出とは、千太郎を交えた学校生活なのである。
ここまで書いて、ふと、これは音楽作品のようだ、と思い至った。『坂道のアポロン』という物語全体が、一つの交響曲なのかもしれない。
そして、千太郎が消えたあとはフィーネへ向かい、数年越しの再会というフィナーレへと向かったのではないだろうか。
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