古風な少女漫画。昼ドラのようなストーリーが癖になる。
表現が古風な昭和の少女漫画
おそらく平成の若者がこの作品を読んだら、なんてくさいセリフの古臭い少女漫画なんだろうと思ってしまうだろう。主人公香澄の酔いしれたポエムのようなモノローグが、気恥ずかしくて、実際こんなこと考えている中学生はいないと思う人も多いと察する。
しかし、この作品はヒットしていた昭和60年代では、それが当たり前の少女漫画の在り方だった。ただ、それが理解できているはずの当時雑誌「りぼん」で連載を読んでいた私ですら、今読み返すと照れくさい表現ばかりで、自分はこんなこと考える中学生じゃなかったと感じる。
夢見る少女という意味では、この作品の表現はぴったりなので、当時の女の子にはどこかこういうロマンチックな一面に憧れたり、そういう感傷にひたることもあったのだと思う。そういう意味ではとても懐かしさを感じる少女漫画である。
時代や風俗にも、当時ならではを強く感じる作品
当時池野恋氏の「ときめきトゥナイト」や、吉住渉氏の「ハンサムな彼女」なども連載していたが、それらの作品と比較しても、星の瞳のシルエットはかなりバブル期の昭和臭が強い作品である。
とにかく目を引くのが登場人物の私服。高校生男子がデートにトレンチコートを着たり、主人公香澄をはじめ他のクラスメイトや友達の女子の私服も、現在ではあり得ないような、ピアノの発表会のような服装だったり、やたらと奇抜だったりと、ストーリーよりそっちにびっくりしてしまう人もいるだろう。主人公の香澄がはんてんを羽織って夜中に行方不明になった友達真理子を探し回るシーンなどについては、当時のりぼんの編集会議でも「こんな主人公いない」と話題になったくらいだそうである。
また、携帯電話やメール、LINEなどがないからこそのすれ違いや意思疎通がうまくいかないことがこの作品のメインなので、現代では体験ができない、昭和の恋愛について描かれた作品と言える。
昼ドラなみのどろどろした展開
友情にしろ愛情にしろ、なかなか意思疎通がままならず、年単位で誤解されたまま物語が進行していくため、本当にじれったい。しかし、だからこそ目を離せない。友達の好きな人を好きになってしまう。しかも相手も自分を好きだったという、よくありがちな三角関係の話であるが、どうしたらすべてうまくいくのか、主人公香澄、友人の沙樹、真理子、思い人久住君、久住君の友人司と、それぞれが模索し、苦悩し、あがく姿が相互作用を起こし、見事に一つの物語になっている。読者には、それぞれがどう思っているのか俯瞰でわかるようになっているため、話がこじれたり対人トラブルが起きると、ハラハラして目が離せなくなる展開となっている。武者小路実篤の小説、友情などにも通じる部分があり、古典的な面白さがある作品である。
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