緋色の椅子~『たった一人の人』を求める孤独~
概要
5年前、主人公セツの住む村から、一人の少年が消えた。実は王の妾腹だったその少年が、王位を継いだと聞いたセツは、幼馴染のその少年に一目会う為、王都にやってきた。けれど群衆に紛れて見た「彼」は……
「誰だてめえーーーっ!!」
大切な幼馴染はどこへ行ったのか、玉座にいる彼は誰なのか。「緋色の椅子」――玉座を巡る人々の思いと陰謀にセツは巻き込まれていき…。
LaLaDX2002年1月号から連載を開始し、2004年7月号にて完結。緑川ユキの初連載「赤く咲く声」と、現在も月刊LaLaで連載中で、アニメ化もされた「夏目友人帳」という注目された作品に挟まれた作品である為か、残念ながらあまり注目はされなかったが、隠れた名作。
緑川ユキの「作風」
作者初の中世風ファンタジーで、ネーム制作当初、作者は「ファンタジーとは何だ」と悩んだようである。それまで「声に暗示能力を持つ」「コーヒーを飲むと運動神経が格段に向上」などのとんでも能力を持つ主人公と、その設定に頼りがちなストーリー展開であった作者だが、連載第2作目の「花追い人」の連載終了戦後から、短編を中心に登場人物の心理描写に重きをおいた作品を発表し始めた。作者は少女漫画家としてはやや致命的であるが、恋愛を主軸とした作品作りが苦手であることを、単行本の柱コメントや後書きでも明かしており、この短編を多く発表した時期は、作者にとっても苦手分野を何とか克服しようと苦心した時期であったはずだ。その苦労は見事に報われたと言っていい。確かに恋愛主軸の話はいまだ得意ではないだろう。しかしもともとネームセンスがずば抜けていることは、デビュー当時から明らかな作家である。セリフの選び方、絵の構図、他者には真似できない独特の個性を持っていた。そこへ人物の心理描写を丁寧に丁寧に描けば、もはや恋愛が主軸である必要はない。緑川ユキの「作風」というスタイルが確立した。
本作品「緋色の椅子」は緑川ユキの「作風」を存分に詰め込んだ作品である。
セツが幼馴染の少年ルカを探す行程を軸にストーリー展開するため、終盤まで派手な展開はないものの、最終巻における怒涛の伏線の回収は圧巻。緑川ユキという独特な感性をもつ作者の作品であるため、連載当時は「単純にルカが見つかってハッピーエンドはまずありえない」と考えて、先が読めないことに悶々とした読者も多かっただろう。絶対ないとは思いつつ、ハッピーエンドを願わずにはいられなかった読者もいただろう。そんな中で、あの最終回は、おそらく誰も文句を言えなかったのではないか。じんわりとした余韻を残したあの終わり方、あれこそが緑川ユキ的なハッピーエンドだ。
登場人物達の孤独
前述したとおり、恋愛主軸の作品作りが苦手な作者であるが、本作品の主人公セツは、外見も内面も自他共に認めるほど男性的ではあるものの、行方不明の幼馴染ルカを探し続ける、なかなか一途な少女である。「幼馴染」というスタンスが作中崩れることはないが、セツとルカ両者が互いに大切に思いあっていることは明白であり、本作は「恋愛主軸」として読んでも差しつかえないだろう。
しかし「恋愛」と簡単にくくるには、あまりにもセツには悲壮感が漂っている。恋愛に必ず付随してくる「嫉妬」や「欲」が、まったくない。よく少女漫画にありがちな「そばにいれればいい」さえもないのだ。とにかくセツは夢中になって生死不明のルカを探し続ける。まぁ、ルカが生死不明であるから、恋愛関係の成就も何も飛び越して、一番根本的な「生死」に固執せざるを得ないのではあるが…。
作中、ルカはセツの思い出の中の登場人物として多く登場する。その思い出はあまりにも綺麗である為、逆に胸が締め付けられるが、その思い出にしがみつかなければ生きられないセツの孤独も浮き彫りにしている。そう、セツにはルカしかいないのだ。
本作の登場人物全員に、この「孤独」は共通して存在し、そしてその孤独を原動力として全員が行動している。セツ、ルカ、キラ、ナギ、そして「陛下」も。
誰もが『たった一人の人』を求め、孤独に身を置いている。
もう一人の主人公「陛下」
最終巻の最終話の最後の最後に、ようやく本名が明かされる「陛下」。暗殺者を多く輩出する街の出身であるが、街が滅んだ後は、セツとルカの暮らす村のはずれにある橋の下に、浮浪児として住みついていた。その頃からルカとは交流があり、セツが知らないルカの仄暗い一面も知っている。セツと同様に彼にとってのルカも「唯一」の存在であり、生死不明のルカの代わりに緋色の椅子を守ってきた彼は「ルカリア」の名を生かす為に、自らの名前も人生をも捨ててきた。いや、捨てるというほどのものが彼にあったようには思えない。ルカの意に沿って生きるのが、彼にとって当然であったかのようにさえ見える。ルカが帰ってきたら全て「返す」つもりの彼であるが、返した後、彼には何が残るのか…。カズナやセツとの関係性も、彼にとってはルカから与えられたものなのではないだろうか。そうなれば彼の手元に残るものはない。そもそも、ルカの命令であるにせよ、国王と騙っていたのだから、カズナ同様ただではすまないという覚悟も、陛下はしていたはずである。
ルカリアの本音
そもそも、ルカは秘密にはしていたが5年前村にいた頃から病を患っており、そう長くないだろうと自覚していた。彼に忠誠を誓ったカズナもそれは知っており、だからこそ、刺客に襲われたルカの代わりに陛下を「国王」に仕立て上げることに同意したのだろう。カズナが、バジ家に王位を渡さないことを優先したのか、最後の王族であるルカの「命令」としてそれを実行したのかは定かではない。
仮に病身でなければ、ルカはおそらくセツから離れることはなかっただろう。父親である前王への恨み、バジ家への恨み、そして裕福な暮らしへの憧れはあっただろうが、それ以上にセツのことが大切だったはずだ。セツにとってルカそうであったように、ルカにとってもセツは唯一無二だっただろう。
けれど実際は、自分の死でセツを悲しませない為に、ルカは「王になる」という口実で、セツから離れざるを得なかった。
作中数少ないルカの独白の中に、「セツの中で生き続けたかった」という本音がある。遠い王都で自分は生きているとセツに思い込ませることで、自らがセツの中で生き続けたかったという彼の悲しい本音は、彼の中でセツがどれほど大切な存在であったかを思わせる。
しかし彼は陛下に対して「いつか必ず村に帰る」「大切なものをおいてきた」とも言っている。村においてきた大切なものとは、いわずもがなセツのことであろうが、この時点で彼は自分の体のことは自覚しているはずである。だからこそ村を出たのだ。それでも「帰る」と言ったのは、そこにも彼の本音が隠れているからではないか。
彼が村を出たのは、自らの病気が、医療設備が整っている王都でなら治るかもしれないというかすかな希望をもったからかもしれない。
そうして病を治し、セツを迎えに来ることが彼の本来の望みだったのではないか。
刺客に襲われたことでそれは叶わぬ望みとなってしまったのだが、5年の間、身を隠し闘病しつつもセツや陛下を思っていただろうルカリアを思うと哀れでならない。
最終回のその後
再会を果たしつつも、また離れ離れになったセツとルカ、そして陛下。その後どうなったのだろう。
作中、ルカの死を明示記述や描写はない。カズナが最後に一緒にいたことを考えると、簡単に死んだとは思えない。けれど既にルカの体が限界だったことを考えると、あの焼け落ちる城を無事脱出していたとしても、ルカは今度こそ、セツと陛下の前には二度と姿を現すことはないだろう。仮に城の中で死んでいたとしても、死体がなかったということは、カズナがその死を隠す為に持ち去ったのだろうから、もはやセツと陛下には探索の余地がない。
けれどセツと、そして名前をとりもどした陛下は、おそらくルカを探して旅を続けるのではないだろうか。心のどこかで「生きているにせよ死んでいるにせよ、もう絶対会えない」
と思いつつも、探さずにはいられないだろう。
それ以外の生き方を二人が出来るとは思えない。
ちなみに、友情で結ばれているにせよ男女が一組残されたのであればその後…と邪推もしてみたが、ほぼ確実にセツと陛下に恋愛関係が成り立つことはないだろう。
陛下がセツに対して恋愛感情を抱くことはないとは言い切れないが、「ルカ病」の末期患者であるセツがその病から回復するとは考えられない。陛下にしても、そんなセツを何とか振り向かせるほどの恋愛手腕があるとは思えないし、多少悩むことはあっても生涯何も告げずに、ルカの代わりにセツを守っていくくらいが関の山である。
何だかんだと言いあいながらもルカを探す彼らの旅が、せめて少しでも楽しいものであるよう願うばかりだ。
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