男の子のお母さん
思っていたよりは映画
きっと身につまされるような介護劇なんだろうなと思っていた。もしくは母と息子の愛情物語なのだろうなと思っていた。だけど、そうでもなかった。原作漫画の絵柄の可愛さから、ほのぼのエッセイ風でいてリアルな内容なのかもと想像していた。だけど、それでもなかった。映画は思ったよりも幻想的に仕上がっていて、見る人が見れば、胸に来るのだろうが、私は、そうでもなかった。事実は事実として置かれてはいて不足はないのだが、
それに対する心理描写は遠慮がちだと感じた。触れそうで、あえて触れないでいたのかもしれない。原作は原作、映画は映画と切り分けられているような感じは悪くない。息子が職業で漫画を描いている、くらいのさわりで、時々その絵も映るくらいで程よい。今作は「映画作品」として丁寧に作られているのは感じられた。だが、どちらかというと、実は原作よりな仕上がりを期待して臨んだので、「あ、これは映画作品として見なくては」と気分を切り替えるのに少し暇がいった。それに母と息子で言うなら、リリー・フランキー原作の「東京タワー」は充実していたな、と思い出したりした。
「昔の女性」という生き方
母親の一生を、一人の女性の一生として息子の知る範囲で回想するのが、物語の筋だったように思う。悲しい出来事さえ、甘美に感じるような、ロマンチックな仕上がりだった。昔の女性は大変だったと思う。耐えることが多かったのだと思う。意地のようなものがなくては生き抜けなかったんじゃないだろうか。それに比べて男性は不器用で嫌だなと思った。今も昔も。そんな感想を抱くほど、この作品は、男性たちを素直に描いていたとも言える。かっこいい男性は出てこない。母であり、痴呆になり、自分なりの一生を遂げようとしているこの女性は、笑顔を見せる。それを見ると。誰か、何か、もっと、救ってあげられないものかと思う。でも彼女は幸せだと思っているのかもしれない、一生を筋を通してやり終えることを誇りに思っているのかもしれない。駐車場で、息子が帰ってくるのを待って、帰ってきた息子の車に轢かれそうになったりして怒られても、また息子を待っている。息子は優しいけれど、母の愛情を超えるほどには母を愛することが出来ない。みんなそうなのかもしれない。多分、母親は、それを望んでいるわけではないから。
息子と父に灯る母
息子は、母に苦労を掛けてきた父のことを好きだと言う。息子の気持ちとしてそれは分かる、子供は誰でも父親を好きでいたいから。でも少しがっかりした。きっと息子に、そう思わせてくれたのは、母親なのだと思う。息子が父を嫌わないのは、母のおかげではないのだろうか。そんなことを思った。だから少しくらい、母をかばって怒ってくれてもいいような気もするのだ。けれど、当の母親は何も言わない。この母親は無欲だと思う。欲が無いわけではないのだが、欲の前に、良いと思うことや当たり前だと思うことを選択してきた人だと思う。嫌だけど、我慢するのが当たり前だから、という風に。とても苦しい生き方のように見える。それを自分のものとして消化していく人生はとても長く感じたのではないだろうか。楽しいことが多ければ、時間は短く感じるものだから。痴呆になったのは、ほっとして自分を解放できる時間を与えられたからではないのかとさえ思った。もしそうならば、彼女にとっては、可哀想なことではなく最後の一振りだったのかもしれない。例えば、料理なら最後の一振り、塩をかけると、ぐっと味が良くなるような、そんな時が彼女の人生に訪れたのかもしれないなと思った。
とてもいい景色
それにしても、映像に特別な加工はなさそうなのに、幻想的に感じたのはなぜだろう。やはり土地の持つ美しさなのだろうか。海も、家族が住んでいる家も、お祭りも、とても情緒があって良かった。多分、そのままの映像で、十分なにかが迫ってきた。心の柔らかな人が住む場所は、柔らかくて広い景色が広がっているのか、それともただ、自分に馴染みのない風景に感動しただけなのか、わからない。ただ、人物のことを掘り下げなくても、景色が人物を訴えることもあるのかと思い、そういうのは効果的で面白いなと感じた。技術を使って、撮り方や、光の塩梅を工夫して色々なことが出来るのは分かるのだが、そういうことをしなくても、最初からそうなっている場所というのがあるものだ。知らない場所なのに、知っているような気持にさせられたり、自分もそこに立っているかのように自然と引き込まれる感覚が、この作品にはあった。見せたいものを見せたいように作れるのが映像なのに、そういう嘘をついていない素直な感じを受けた。ここに住むと、どんなに激しい感情も、少しずつ納めて穏やかになっていくのかもしれない。
目と心
親が自分を分からなくなるのは辛いことだというくだりがある。ペコロスの場合は息子がはげ頭を見せると母親は息子だと認識することができる。これが何とも、温かい。禿げ頭を見せることくらい、息子にとっては何ともないことなのかもしれない。母親も、自分の息子が剥げていても、それもまた微笑ましく愛しく感じているのだろうか。親子だから出来る所作だと思う。他の人同士では全く違う感情が生まれるはずだから。禿げた頭が親子を再会させるカギになっているのが、不思議だと思う。人は目で記憶しているのだなと思った。作中では、恋をした相手に似ているせいで、その本人だと間違われたりもしていた。それもまた、よく考えると面白い。恋の記憶が目の前のものを実際とは違うものに見せるのだから。人はいつも、何かやどこかに思い入れを持って見つめ、生活しているのだろう。
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