倒置法を用いられた目的は!? - 八雲立つの感想

理解が深まるアニメレビューサイト

アニメレビュー数 2,474件

八雲立つ

3.603.60
映像
4.00
ストーリー
3.00
キャラクター
3.00
声優
4.00
音楽
4.00
感想数
1
観た人
1

倒置法を用いられた目的は!?

3.63.6
映像
4.0
ストーリー
3.0
キャラクター
3.0
声優
4.0
音楽
4.0

目次

1巻と2巻の内容が!?

少なくとも、巻数の表記を2回は確認してしまいました。

特に、第2巻が始まった場面における違和感は大きく、全2巻を観通した時点で、倒置法が用いられていたことに気付きました。物語構成に特徴的があり、エピソードの巻数の割り当てが完全に逆で構成されています。

なぜ、こんな本編の構成をこのようにされたのでしょうか。

明らかに、制作スタッフや原作者の意図的なものだと考えられます。その前に、倒置法という言葉の意味を確認しておきたいと思います。

倒置法というキーワードをgoogle検索すると、以下の内容が表示されます。

倒置法とは、ことばの順番を、普通とは逆のものにすることです。 つまり、一般的な語順に逆らって、ことばの場所を変えるものです。 言いかえれば、通常の語順をひっくり返すレトリックです。 この「倒置法」は、伝えたいことを強調するためなどに使われます。(参照元:google検索)

一般的には、言葉の順序を変えることのようです。しかし、1巻と2巻の内容を入れ替えるほどの大胆な倒置法は稀な使用方法なのではないでしょうか。そして、大胆に順序を入れ替えてまで、強調したかった対象は何だったのでしょうか。

それは、やはり1巻の冒頭の場面である主人公の闇己(くらき)が父親の首を刎ねる儀式だったと考えざるを得ません。全2巻の全編を観通しても、もっともインパクトのある場面だから、そのように考えます。また、他の場面を強調したいと仮定するならば、他に強調すべき場面が見当たらないという点も挙げられます。消去法で考えてみても、父親の首を刎ねる儀式を強調したかったとしか考えられないのです。

では、強調したかった目的は何だったのでしょうか。

強烈なインパクトで、アニメ本編に視聴者を引き込むことだったのだと考えられます。物語の内容を振り返ったとき、インパクトはあるものの、強調する理由には謎が残ります。強調することに必然性を感じられないのです。

すなわち、考える視点を切り替える必要があります。

物語内容で強調したいものがないのであれば、次に営利目的について考えてきたいと思います。

営利目的の構成

第1巻の販売においては、事前の告知や宣伝効果、そして原作コミックのネームバリューの強さに委ねられる部分は大きいように思われます。

しかし、第2巻以降においては、別要素も絡んでくるのだと考えられます。

それは、第1巻の内容にどれだけ魅力があり、惹き付けられるのか、という要素も大きいのだと考えられます。当然のことながら、第1巻の内容が面白くもないのに、第2巻の内容を観ようとは思わないでしょう。それは人間の心理における必然的なことなのではないでしょうか。そして、第1巻の内容が面白く、惹きつけられるものなのかで第2巻OVAの販売実績も大きく作用することは明らかなのです。

そして、そう考えてみた時に倒置法が採用されている事実と、目的が合致しているようにも考えられます。あくまで、仮定の域を脱しないし、想定の範囲を出ませんが、そう考えるなら父親の首を刎ねる儀式の場面が強調された目的に合点がいきます。

第2巻の販売実績を考えられた上で、構成されていることは明らかなのではないでしょうか。

時系列に沿った構成だったなら!?

この事項も、「たられば話」でしかないのかもしれません。

しかし、父親の首を刎ねる儀式が強調されていた理由を証明することになるのかもしれません。

よって、考察していきたいと思います。

第2巻の内容と感想を率直にどう思われたでしょうか。きっと、第1巻ほどのインパクトはなかったし、第1巻に至るまでの経緯を淡々と語られていた印象が強いです。そうなのです、全体を観通してみると、第1巻で盛り上がる見せ場を全て描き切っているのです。そのことで、第1巻で期待して、第2巻を観てしまうと残念な気持ちになります。

そして、第2巻の内容を、そのまま第1巻として発売していたなら、第2巻を観る気は喪失してしまったのではないでしょうか。それは、OVA第2巻の販売実績に色濃く反映されたと予測されるのです。倒置法を行ったことで、確実にOVA第2巻の販売実績は伸びたのだと考えられるのです。

やはり、倒置法を行った背景には、営利目的が色濃くあったのではないでしょうか。

OVA制作された目的について

当OVA作品は、原作コミックの存在があり、アニメ化されたものです。

原作コミックは長編物語であり、とても30分のOVA2巻にまとめきれるものではなかったと考えられます。現に、6本ある守り刀のうち、OVA本編に登場している刀は2本のみで、投げっ放し状態で締め括られています。つまりは、原作の長編物語のうち、プロローグの部分のみをアニメ化されていると捉えることができます。

原作ファンであれば、とても納得のできる内容のOVA作品ではないことが想像できます。

それは、原作ファンを視聴者として設定しているのではないことも伺えるのではないでしょうか。

そして、原作コミックを知らない視聴者に向けて、制作された内容であることも表していると考えられます。そのことから、OVA作品を観ることで、原作コミックの存在を知ってもらい、原作コミックの販売数も伸ばそうとしていたことが垣間見えるのです。

OVA作品でも儲け、そして、原作コミックの販売数も伸ばそうとしていた思惑を強く感じられます。

この「八雲立つ」というコンテンツ、特に、OVA作品においては他のOVA作品より営利目的である意図が明確に打ち出されていることが表れています。

以上が、私の分析ですが、皆さんはどう感じ、どのように考えられますか?

本編で強調されていた人物

主人公の闇己の存在が、最も強調されていたと考えられます。

それは、物語本編が、闇己の目線で描かれていることが多い為です。また、そのことから、登場している場面数が、最も多い登場人物といえます。物語の主人公だから当然、という考え方もできます。しかし、他の登場人物に、ほとんどスポットが当たっていないので、闇己の存在が一層に際立つのです。

そして、家系に纏わる儀式で、自身の父親を殺さなければならないという立場でした。

一般的な観念や風潮とは真逆のもので、殺人という犯罪の中でも、親を殺すというのは、特別に違和感を放つものなのではないでしょうか。闇己も本編の中で、一般的な観念と家系の仕来たりの中で、心が揺れ動いています。

意図的に、「悲劇のヒーロー」として祀り立てたかったのだと考えられます。

また、闇己の良心として機能していたのが、健生(たけお)の存在です。闇己が父親を殺してしまった時、儀式を目撃していた健生をも殺そうとします。しかし、闇己は自らの意思で、健生を殺すことをしなかったのです。ここで描きたかったのは、闇己の良心であり、それを描くために健生というキャラクターの存在価値があったのだと考えられます。

主人公の闇己の存在が強調されていた中身として、悲劇のヒーローであること、良心を持ち合わせた魅力的な内面という二点だと考えられます。

そして、主人公の闇己の魅力を押し出すことによって、視聴者を本編や原作コミックに惹き付けようとした意図があったのだと考えられるのです。

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

関連するタグ

八雲立つを観た人はこんなアニメも観ています

八雲立つが好きな人におすすめのアニメ

ページの先頭へ