何のために人は生きるのだろう? - 夜と霧の感想

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夜と霧

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何のために人は生きるのだろう?

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目次

私達は生き方を選べない

どんなに善良に生きようとしても、どれほどより良くあろうと心がけようと、ある日突然、自分の大切にしていたものを、いとも簡単に奪われることがある。それは、身近なもので言えば、兄弟げんかでお気に入りのおもちゃを壊されることであったり(子どもにとっては一大事だ)、事故や災害によって、体の自由を奪われたり、大切な人を失ったりというものであったりするのかもしれない。ただそれは、「今自分が生きている世界」を前提としているものであり、住む環境や時代が違えば、「奪われるもの」が、だいぶ趣を異にする。

第二次世界大戦化におけるユダヤの人々は、「人間としてよりよく生きる権利」を奪われた。それもすごく不当に。もちろん、ユダヤの人々の歴史は、迫害の歴史と言われることも多い。その最悪のケースが、ホロコーストだろう。それを語るにはあまりに言葉と知識が足りないが、奪われるべきではない多くの生活が、財産が、命が奪われていった。「もし、あの場所に生まれていなかったら」「もし、あの時代に生まれていなかったら。」、違う生き方をすることが出来たであろう。もしくは「もし自分があの時代にユダヤ人として生きていたら、今ほど長くは生きられなかったかもしれない」。我々は、表面的に生き方を選ぶ権利はあるけれど、根本的には非常に限られた条件の中で生きていることは、今も昔もそれほど変わりはない。

限られた条件で、どう生きるか

しかしながら、いかに不当な収奪に遭ったところで、我々は目の前の現実を受け入れ、どう生きるかと言う問題に対処しなくてはならない。収容所の中では、「クリスマスに解放される」という噂が流れ、それが嘘だったと分かると、生きる気力を奪われてしまった者がいた。当然だろう。絶望の中で、わずかに見える生きる希望を、奪われてしまったのだから。でも、そのような儚く脆い希望に生きる希望を全て賭けるだけが、人の生き方ではない、フランクルは、そのように考える。最悪の状況の中で、どのように生きるのか。出来るだけそれが「人間として、より良いもの」であるように、心がけなければならない。体の自由を奪われても、精神の自由は奪われないのだということを、証明するように生きなくてはならない、フランクルはそのように考える。

我々は、どう生きるのか

我々は、この考え方から何を学ぶことが出来るのだろう。
現在、これほど人間の尊厳や権利をないがしろにするような行為は、今私が生きる小さな環境の中には恐らく起こらないだろうという楽観的な仮定のもと私は生きている。

ただ、権利やなんだというものが守られている現代でさえ、フランクルの言うように、モラルや人間の品性を保てない人間がいるのは確かだ。細かく見ていけば、私もそのうちの一人かもしれない。

この現代というゆるい収容所の中で、尊厳を守られているように見せつつ、生きる希望を持てないまま、それを周りのせいにし、運命に甘んじながら生きる、という人もいれば、そうでない人もいる。

一体我々は、何のために生きるのか。

私は、「人間は、言葉や思いを受け取る器である」ということを、よく考える。ともに時間を共有して生きた人たちから受け取った何がしかを育み、自分ではない誰かに伝えていく。それが、例えばこの本のように、他者に対して「よきもの」であるように、思いを巡らせることにその人の「人間性」が表れるのではないかと思う。

「よりよきとは何か」を常に考え、私は生きていきたい。

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